「ちょ、っと……やめてください」
宿屋で働く同僚のルーネさんはそう言って、掴まれた腕を必死に引き剥がそうとしていた。
声は気丈だったけれど、体が小刻みに震えているのが、後ろにいる私にははっきり分かる。
――まずい。
このままじゃ、ルーネさんは連れて行かれる。
考えるより先に、私は息を吸い込んだ。
「人攫い!! 助けて!! 誰か、助けて!!」
思いつく限りの言葉を、全部まとめて叫ぶ。
とにかく、気づいてもらわなきゃいけない。それだけだった。
次の瞬間、
「……うるせぇ、ちび」
鈍い衝撃が、頬を打った。
視界が揺れて、私はそのまま地面に倒れ込む。
ああ、殴られたんだな、と、どこか他人事みたいに思った。
それでも、口は塞がれていない。
だから、私はまた叫んだ。
――けれど。
次は、腹だった。
背中だった。
頭だった。
二人分の足が、容赦なく叩き込まれる。
声は、すぐに途切れた。
息が詰まり、痛みで視界が白くなる。
それでも意識は飛ばない。
丈夫すぎる自分の体を、こんな時ばかり恨みながら、私は歯を食いしばった。
何度目かの蹴りに備えて、ぎゅっと目を閉じた、その時――
その痛みは、来なかった。
代わりに、誰かが争う音が聞こえる。
短く、激しく、そしてすぐに終わった。
「大丈夫ですか!?」
本当に心配している声と同時に、背中を支えられる。
――会いたくなかった。
こんな、最悪の状況で。
「……レイス、さん……」
名前を口にした瞬間、顔が一気に熱くなる。
距離が、近すぎた。
「だ、大丈夫です。もう……」
体を動かそうとして、全身に走る痛みに息が詰まる。
「ミユ!!」
ルーネさんが、涙を浮かべてこちらを見ていた。
無事だ。そのことに、心から安堵する。
男たちの姿は、もうどこにもなかった。
彼に蹴散らされて、逃げたのだろう。
「動かないでください。今、医師のところへ連れて行きます」
彼は本当につらそうな顔をして、私の体を丁寧に抱き上げる。
「い、いえ……自分で……」
最後まで言い切る前に、
「……また、守れなかった」
その言葉に、私は何も返せなくなった。
「大丈夫か?」
彼の仲間の騎士たちが集まってくる。
レイスさんは事務的に状況を説明し、ルーネさんを彼らに任せたあと、私を抱えたまま歩き出す。
――また。
今の言葉が、聞き間違いであることを願いながら、私はうつむいた。
さっきまでは、恐怖と痛みだけだった。
それなのに今は、一番安心できて、一番苦しい場所にいる。
きっと、それは――
私が、彼のことを好きすぎるからだ。
「美桜さま。頼むから、あまり心配させないでください」
「……はい。ごめんなさい」
反射的に、返事をしてしまった。
沈黙。
自分の失言に気づいて顔を上げると、彼は複雑な表情でこちらを見ていた。
「話したくなければ、話さなくていいです」
静かな声だった。
「ただ、一つだけ。――ここに、とどまると決めたのですか?」
その目は、あの日、想いを告げられた時とよく似ていた。
私は、小さくうなずく。
耐えきれなくなって視線を落とし、言葉を絞り出す。
「……このことは、皆さんには伏せてください。わがままなのは分かっています。でも、私はミユです。あの日、美桜は確かにいなくなりました。私は、彼女じゃない……」
彼の腕に込められる力が、一瞬だけ強くなる。
やがて、短いため息。
「分かりました。ただし、ずっとというわけにはいかない」
「……はい。心の整理がつくまで、お願いします」
最大限の譲歩に、胸が締めつけられた。
ふと、店のガラスに映る自分たちの姿が目に入る。
月明かりの中、長い金髪に金色の瞳、完璧な容姿の騎士と――
地味で、場違いな女。
……目が覚めた。
何この絵面。
月とすっぽん。豚に真珠。
よく考えたら、体重だって増えてるし、顔だって大きいし、太ももとか完全に支えられてるし。
恥ずかしすぎる。
たしかに痛い。でも、歩けないほどじゃない。
「……レイスさん。もう大丈夫です。自分で歩けます」
返事がない。
「……あの?」
ようやく、彼がちらりと視線を落とす。
「その怪我で歩かせるわけにはいきません。それとも、俺に抱えられるのは嫌ですか」
歪んだ表情に、慌てて首を振る。
「違います。ただ……私、見た目どおり頑丈なので」
その言葉に、彼の顔が怒ったように強張った。
「どこが、大丈夫なんだ」
彼には珍しい語気に、私はびくっとする。
「……すまない」
すぐに、そう言ってくれた。
「三度目はない。だから、絶対に無茶をしないで下さい」
「……はい」
うれしくないわけがない。
それでも、胸が苦しかった。
彼が、今でも自分を責め続けていると、分かってしまったから。
――私の事情で、
この人の幸福を、邪魔している。
その事実が、何よりもつらかった。
宿屋で働く同僚のルーネさんはそう言って、掴まれた腕を必死に引き剥がそうとしていた。
声は気丈だったけれど、体が小刻みに震えているのが、後ろにいる私にははっきり分かる。
――まずい。
このままじゃ、ルーネさんは連れて行かれる。
考えるより先に、私は息を吸い込んだ。
「人攫い!! 助けて!! 誰か、助けて!!」
思いつく限りの言葉を、全部まとめて叫ぶ。
とにかく、気づいてもらわなきゃいけない。それだけだった。
次の瞬間、
「……うるせぇ、ちび」
鈍い衝撃が、頬を打った。
視界が揺れて、私はそのまま地面に倒れ込む。
ああ、殴られたんだな、と、どこか他人事みたいに思った。
それでも、口は塞がれていない。
だから、私はまた叫んだ。
――けれど。
次は、腹だった。
背中だった。
頭だった。
二人分の足が、容赦なく叩き込まれる。
声は、すぐに途切れた。
息が詰まり、痛みで視界が白くなる。
それでも意識は飛ばない。
丈夫すぎる自分の体を、こんな時ばかり恨みながら、私は歯を食いしばった。
何度目かの蹴りに備えて、ぎゅっと目を閉じた、その時――
その痛みは、来なかった。
代わりに、誰かが争う音が聞こえる。
短く、激しく、そしてすぐに終わった。
「大丈夫ですか!?」
本当に心配している声と同時に、背中を支えられる。
――会いたくなかった。
こんな、最悪の状況で。
「……レイス、さん……」
名前を口にした瞬間、顔が一気に熱くなる。
距離が、近すぎた。
「だ、大丈夫です。もう……」
体を動かそうとして、全身に走る痛みに息が詰まる。
「ミユ!!」
ルーネさんが、涙を浮かべてこちらを見ていた。
無事だ。そのことに、心から安堵する。
男たちの姿は、もうどこにもなかった。
彼に蹴散らされて、逃げたのだろう。
「動かないでください。今、医師のところへ連れて行きます」
彼は本当につらそうな顔をして、私の体を丁寧に抱き上げる。
「い、いえ……自分で……」
最後まで言い切る前に、
「……また、守れなかった」
その言葉に、私は何も返せなくなった。
「大丈夫か?」
彼の仲間の騎士たちが集まってくる。
レイスさんは事務的に状況を説明し、ルーネさんを彼らに任せたあと、私を抱えたまま歩き出す。
――また。
今の言葉が、聞き間違いであることを願いながら、私はうつむいた。
さっきまでは、恐怖と痛みだけだった。
それなのに今は、一番安心できて、一番苦しい場所にいる。
きっと、それは――
私が、彼のことを好きすぎるからだ。
「美桜さま。頼むから、あまり心配させないでください」
「……はい。ごめんなさい」
反射的に、返事をしてしまった。
沈黙。
自分の失言に気づいて顔を上げると、彼は複雑な表情でこちらを見ていた。
「話したくなければ、話さなくていいです」
静かな声だった。
「ただ、一つだけ。――ここに、とどまると決めたのですか?」
その目は、あの日、想いを告げられた時とよく似ていた。
私は、小さくうなずく。
耐えきれなくなって視線を落とし、言葉を絞り出す。
「……このことは、皆さんには伏せてください。わがままなのは分かっています。でも、私はミユです。あの日、美桜は確かにいなくなりました。私は、彼女じゃない……」
彼の腕に込められる力が、一瞬だけ強くなる。
やがて、短いため息。
「分かりました。ただし、ずっとというわけにはいかない」
「……はい。心の整理がつくまで、お願いします」
最大限の譲歩に、胸が締めつけられた。
ふと、店のガラスに映る自分たちの姿が目に入る。
月明かりの中、長い金髪に金色の瞳、完璧な容姿の騎士と――
地味で、場違いな女。
……目が覚めた。
何この絵面。
月とすっぽん。豚に真珠。
よく考えたら、体重だって増えてるし、顔だって大きいし、太ももとか完全に支えられてるし。
恥ずかしすぎる。
たしかに痛い。でも、歩けないほどじゃない。
「……レイスさん。もう大丈夫です。自分で歩けます」
返事がない。
「……あの?」
ようやく、彼がちらりと視線を落とす。
「その怪我で歩かせるわけにはいきません。それとも、俺に抱えられるのは嫌ですか」
歪んだ表情に、慌てて首を振る。
「違います。ただ……私、見た目どおり頑丈なので」
その言葉に、彼の顔が怒ったように強張った。
「どこが、大丈夫なんだ」
彼には珍しい語気に、私はびくっとする。
「……すまない」
すぐに、そう言ってくれた。
「三度目はない。だから、絶対に無茶をしないで下さい」
「……はい」
うれしくないわけがない。
それでも、胸が苦しかった。
彼が、今でも自分を責め続けていると、分かってしまったから。
――私の事情で、
この人の幸福を、邪魔している。
その事実が、何よりもつらかった。
