『彼はただの会社員だったそうだよ。営業の合間にここへ来て、どうして仕事の傍ら作家になったのかはわからないけどね』
テーブルへ置かれた本、【青い空-古葉龍青、最期の本-】に、彼はそっと視線を落とす。
『読んだ? 読んでなかったら、どうか読んであげてくれないか』
『……あの、どうして私なんでしょうか』
『それは俺にもわからない。けどもしかしたら彼は、君にこれを読んで欲しかったから、続きをここに置いていったんじゃないかなと思ってね』
『でも私、そんな風に思ってもらえるようなことをした覚えなんて』
『そうなの?』
『はい。本当に、特別なことは何も』
そんな風に言ってもらえるようなことも、何か特別な思いを抱いてもらえるようなことも、私の中には何もなかった。
『君にとってはただの仕事の内でも、彼にとってはそれが唯一の救いだったのかもしれない。捉え方なんて人それぞれだから』
彼はやさしい顔で笑っていた。とてもやわらかい表情で、その本の表紙を撫でていた。
よくある表現だけれど――この空は彼の代わりに泣いている――何故だか、そう思った。



