「伊代クン。お名前が違った気がするんだけど」
「あれ? そう、ですよね」
長部龍生――それは【青い空】の主人公の名だ。それなのにどうして今、ぽろりとその名前がこぼれて落ちたのか。
「……上がりね」
「え?」
「はよしねや」
「?!」
「早くしなさいってことだと思うよ。……取り敢えず上がらせてもらおう。夜も遅いしね」
「はっ、はい。お、お邪魔します」
そのまま女性のあとを付いていくと、屋敷の奥へ奥へと通される。
そして、その突き当たりの襖が開かれた瞬間、私は息をのんだ。
「これはまた、壮大ですね。まるで風景の一部を切り取ったようだ」
案内された大広間。その全面に大きく描かれていたのは、青い青い空。
“――ばあちゃん久し振り。元気だった?”
まるで、異世界の空間に来たかのような。でも、どこかで見たことがあるような。
とても絵とは思えない風景画に、涙が溢れて止まらない。
「……これが、空。青い、空……」
「伊代クン?」
「先生。空が。……雲が。草木が……っ」
「伊代クン!」
崩れ落ちそうになる私の体を、了安が慌てて引き寄せて支える。
私の体は、震えていた。それが、恐怖によるものなのか、感動によるものなのか。それとも全く違う別の何かか。
涙を流している私でさえ、理由なんてわからなかった。



