冷たい石壁に囲まれた小広間は、凍り付いたように鎮まりかえっていた。
ヴァルグレイ・ゼオファルドがそこに立っているだけで、誰も口を開くことは出来なくなっていた。
守衛長に容疑者達を見張らせ、部屋の隅に移動するヴァルグレイとレルガ。
ここならば話し声は聞こえても会話の内容は分からない。
「……報告」
「あっ……へい! 事の起こりは刺傷事件っス。 ここ北街の古着屋で……」
ヴァルグレイの端的な言葉にレルガが反応する。
通信符で伝えられなかった、細かな状況を伝えていく。
四人の容疑者。目撃の有無とそれぞれの立ち位置。
そして……ローゼンディア伯爵令嬢の存在。
「……以上が顛末っス」
「…………」
報告終わりに、レルガは令嬢の様子を確認する。
先ほどのヴァルグレイの脅しに多少蒼褪めてはいたが、存外大人しく壁際で扇子を口元に当てている。
ヴァルグレイも、同様に令嬢に視線を向ける。
「……わざわざ私を呼び出すなど、とは思ったが……」
「へい、すいやせん隊長……」
「……隊長と呼ぶな。 だが、なるほどな。 ご苦労だった」
自分のボス――副局長を呼び出すほどの大事かという思いはあったものの、
ヴァルグレイは、レルガの判断力は信用していた。
「……確かに、第一向きでは無いな」
ヴァルグレイはそう呟くと、容疑者達のいるテーブルの方へと足を向ける。
それを追うレルガ。
「あ、あ……アタイは、や、やってないよ!」
恐怖で意志を失った中年男性に代わり、女店主が思わず反発の言葉を放つ。
ヴァルグレイはそれを一瞥だけすると、スッ…とテーブルを通り過ぎる。
「……え?」
初めから、ヴァルグレイの向かう方向はただ一つ。
「…………」
扇子で口元を隠した状態故、表情の全てを読み取る事は出来ない。
壁際に佇むローゼンディア伯爵令嬢から、ちょうど二歩離れた位置で、ヴァルグレイは足を止めた。
「…………随分、乱暴な方でいらっしゃいますのね?」
視線を逸らさず、存外、落ち着いた声が返ってくる。
「…………」
「もちろん……ローゼンディア伯爵家の名はご存じよね?」
背筋を伸ばし、その目線は射貫くように真っ直ぐだった。
さきほどの中年男性に対する仕打ちを見ているはずだが、この令嬢は多少蒼褪めたものの、まったく怯む様子を見せてはいなかった。
「…………」
「……何を黙っているのかしら? 早くお父様を呼びなさい」
強気を守る令嬢の態度だが、仕立ての良い黒い手袋越しに、扇子を持つ手が震えているのを、レルガは見逃してはいなかった。
当然、ヴァルグレイも気付いているだろう。
「…………」
ヴァルグレイは、その高い上背から、じっと視線を下ろすだけだった。
耐えきれなかったか、やがて令嬢は視線を外す。
「まったく…………平民が一人刺された程度でこんな仕打ち……屈辱ですわ!」
「…………座らないのかね?」
「え?」
重く冷たい一言。
この灰銀の老紳士が、やっと口を開いたかと思えば、それは何気ない一言だった。
「…………」
何気ない指摘を受けた令嬢は、そのまま黙ってしまう。
「……何か、座らない理由でもあるのかね?」
「…………」
再び視線を外し、黙してしまうローゼンディア令嬢。
拒絶の意だった。
「……もういい。 レルガ、この女を調べろ」
「あっ……へ、へい!」
「ちょっとっ!」
ヴァルグレイの後ろに控えていたレルガが、令嬢に一歩近づくと、威嚇するように持っていた扇子を突き出す。
「近づかないで! わたくしに一歩でも近づいたら……お父様に言いつけるわよ!」
「……はぁ、すいやせん」
それでも命令なので、もう一歩近づこうとするレルガに、あからさまな動揺を見せるローゼンディア令嬢。
「や、やめなさい! へ、平民の憲兵風情がっ! お父様に言えば……アナタを失職させて投獄させるのだってワケないのよ!」
「黙れ」
割り込むように、ヴァルグレイが一歩踏み出て言葉を挟む。
「ソイツに命令したのは私だ。 責任は全て、この軍務省第二調査局副局長、ヴァルグレイ・ゼオファルドが取る」
「ボス……」
「……だが、いいだろう。 そこまで言うのなら、この私が直々に貴様を調べる」
ヴァルグレイが、そう言って、さらに一歩令嬢の元へ踏み込む。
「う、うわあああああああァァァァっ!!」
突如、ローゼンディア令嬢は、自身の黒い手袋の付け根から何かを取り出したかと思うと、
ヴァルグレイの懐へ、獣じみた奇声を上げ、なりふり構わず躍りかかってきた。
「あ……ボスっ!!」
――ガッ!
レルガが思わず叫ぶが、その時点でもう既に終わっていた。
ヴァルグレイは、令嬢の持った何かを一瞬で蹴り上げ、突進してくる令嬢の勢いを利用し、腕を掴んで地面へと引き倒す。
「い、痛っ!」
地面にうつぶせに倒れた令嬢に、自身の体重を掛けるように膝を乗せ、腕を後ろ手に取り、制圧が完了した。
「痛いっ!! は、離しなさい無礼者っ!!」
――ダァンッッッ!!
「ヒ、ヒイィィィィっっ!!」
大きな衝撃音と、令嬢の悲鳴が、部屋中を轟かせた。
ヴァルグレイは、ナイフを令嬢の顔の目の前に突き立てていた。
……石造りの床に……深々と。
ナイフは、先ほど令嬢が取り出し、ヴァルグレイが蹴り上げた何かの正体。
「…………」
「…………っっ……」
沈黙の時間が続く。
令嬢は恐怖に目を剥き、顔の横に突き刺さったナイフを見る事しか出来なかった。
誰もが固唾をのみ込み、その顛末を見届けている。
ヴァルグレイが、圧を掛けていた膝をどけ、令嬢の耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。
「…………あ……ぅ……」
令嬢は、苦しげな様子を見せながらも、観念したように、その威勢を、顔と共に地面に伏した。
―――――――
「最初から分かってたんスか?」
詰め所の外で、容疑者を運ぶための馬車を待つ二人。
レルガは抱いていた疑問を、雑談がてらに切り出す。
「……貴様も初めから気付いていたから、この私を呼んだのだろう」
「100%の確信があったワケじゃないッス。 しかし、ボスは凶器の場所も特定してたじゃないスか。 あれはどうやって気付いたんスか?」
陽が落ち始めた夕暮れの北街。
通りの広い北街の大通りは、空気も澄んでいて遠くまで見渡せる。
夕陽をバックにヴァルグレイは語る。
「……凶器の場所なぞ知らん。 まだ身に着けている可能性の高さから、揺さぶってみたまでだ」
「…………」
こういう所が怖いのだとレルガは思った。
令嬢のドレスは貴族らしく布量が多かった。
隠し場所は色々と考えられるが、まさか手袋の中に仕込んでいたとは思わなかった。
令嬢が襲ってきた際も、ヴァルグレイは微塵も動揺した様子は見せていなかった。
「しっかし、なんだってあの伯爵のお嬢様は平民なんか刺したんスかね? オレには全く動機が分かんねーッスよ」
「……動機など無い」
「えっ?」
「……刺してみたかっただけだろう」
ヴァルグレイはそう言って左手で自分の眼帯を撫でる。
ヴァルグレイは魔眼持ちで「人の心が視える」くらいの情報しかレルガは持っていない。
一体、自分のボスには何が視えているのか。
彼には想像もつかなかった。
「と、ところで、さっきのは、オレも思わずブルっちまったッスよ。 ボスは女性だろうが、まったく容赦しないッスよね?」
「…………女だろうと」
ヴァルグレイは、じっと手袋を嵌めた自分の右手を見つめていたかと思うと、懐からハンカチを取り出す。
「……優しくする理由など、無い」
そう言ったあと、ヴァルグレイは一瞬だけ言葉を切った。
「……例外も、無い」
手袋の上からハンカチで手を拭く。
まるで、たとえ手袋越しでも、汚らわしいモノを我慢できなかったかのように……
……………
詰め所の中には、令嬢を見張っている守衛長ただ一人が残っていた。
大人しく生気を失っている令嬢は、少しだけ歳が老けたかのように見えた。
守衛長は、ふと、凶器のナイフに視線を向ける。
石造りの床に、深々と突き刺さったナイフを見て、背中に冷たいモノが通り過ぎた。
「…………鬼」
その呟きは、小広間の虚空へと、冷たく吸い込まれていった。
―――――――
お読みくださりありがとうございます!
本編ではストーリーの都合上、どこかハルネに甘いだけの強いオジさま像になっていましたが、
日常のおっかないヴァルグレイをお見せする機会が出来て良かったです!
第1部本編をご覧になっていればお分かりになるかと思いますが、
この冷酷なヴァルグレイが、ハルネにだけは、
コートを掛け、涙を拭き、頬を拭っては味わい、色に感動し、胸に抱かれて泣きじゃくっているのは……
妄想するだけで楽しいです!
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