【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―


 時刻は、紅く染まった夕暮れ時。

 西街大通りの噴水広場、常に賑やかしい人だかりから住宅街へ向かう中通り。

 脇道に入りほんの少し進むと、広場の喧騒とは打って変わって静かな教会が現れる。

 付近の居住民の生活の一部ともなっている、祈りを捧げる信仰の空間。

 夕刻の今、普段は誰もいない時間。

 今は、二つの人影が存在した。

 祭壇の正面。

 ブルーの制服に身を包んだ、灰銀の髪の壮年の男が、膝をつき、真摯に祈っている。

 高い位置に備え付けられたステンドグラスを透かす夕射しが、赤や金の光の雨を降らせ、その狼のような痩躯を美しく装飾していた。

 一方、苺茶色の髪に、明るいケープを身に着けたふくよかな乙女が一人、聖堂の長椅子に座っている。

 彼女は祈る事無く、祭壇正面の男をジっと見つめていた。

 両者ともに何も言葉を発する事無く、ただただ無音の空間を彩る、一つの画となっていた。

 ふと吹き込んだ風が、二人の髪を優しく揺らす。

 ――儚さが増す。 まるで春の幻のように。

 しかし、その風の暖かさは、艶やかな春を感じさせ、絵画に温度を彩った。


―――――――


 応援に来たというレルガさんに、ミルレン薬草店の後処理を任せたオジさま。

 そして、「寄りたい所がある」と連れてきてくれたのがこの教会。

 あたしも以前、ここには来た事ある。

 誰かからの恐怖の果てに、自己嫌悪の回廊に取り込まれた場所。

 オジさまは道中、何も言葉を発することは無く、ここに着くなり、祈りを捧げ始めた。

 どこか慣れた祈りの所作。
 
 ああ、そうか、オジさまは魔眼を使うたびにここに来てるんだな、と、他人事のような感想を抱いた。

 祈るオジさまはどこか神々しい。

 そんなオジさまを、あたしは聖堂の椅子に座ってぼんやり眺めていた。

 ……さっきのオジさまとの言い争いを思い出す。

 どうしてオジさまはあたしに怒ってるんだろう?

 なんでいつもあんなに辛そうなんだろう?

 なんとなくの理由は分かるけど、それもオジさまの口から聞いたわけじゃない。

 辛そうなオジさま……あたしになにかしてあげられること、ないのかな?

 一頻りの時間が流れる。

 外はすっかり陽が傾き、もうすぐ暗く日も沈む。

 オレンジ色の光が、ステンドグラスを透かす夕刻の色は、とても綺麗だと思った。

 オジさまが立ち上がる。

「……魔眼を使うたびに私はココに来る。 汚れた自分を罰するために……」

 そんな唐突なオジさまの告白から、あたし達の会話は始まった。

「……感情色の魔眼は、罪だ。 人の悪意を暴く。 醜さを暴く。 嫌な面をこれでもかと暴く。 私はもう何年も何年も、人の悪意を見続け……それが人の本性だと知った」
「う~ん、そんな事無いと思うけどなぁ。 エモパレが罪なんて……思った事無かったよ」

 オジさまの深刻そうな告白に、あたしはつい素直に思ったことを軽く返してしまった。

 それがオジさまを苛立たせたのか、強い口調で反論の言葉を発する。

「……それはキミが本物のクズを……人の本性を知らないからだ。 あのドス黒い闇の黒濁色、ドブが匂ってくるような感情色はもうたくさんだ。 それだけで、ヤツらが生きるに値しない事を、私は確信している」
「う~~ん、そうかなぁ? オジさまは悪意だけを見過ぎてきちゃったんだね。 あたしからしたらエモパレなんて全然大したもんじゃないよ? 人の価値なんか決められない。 そんなに万能なものじゃないよ」

 またしても軽く返してしまう。

 でもさ、本当にそう思うもの。

「……キミは甘い。 それが、どうしても許せんのだ……! あの色を視て、なぜそう思える? 私には理解できない。 この魔眼は、人の悪の本性を映し出す、呪われた魔眼だ」
「悪の本性かぁ……確かに濁った黒灰色してたね。 でも感情なんて一瞬だよ? 一部だよ? すぐに移ろっちゃう。 オジさまは、悪いヤツばっかり見過ぎたんじゃない?」
「……それは……やはりキミは、甘い。 分かっていない。 この、呪われた魔眼が、どれだけ私の心を蝕んできたのか、を……」

 オジさまの拳が震えている。

 そっか。

 オジさまは断罪のためにエモパレを利用してきた。 だから……

「呪われた魔眼……そう言っちゃうほど、そんな風に思っちゃうほど、いっぱいいっぱい悪意の色を、視てきたんだね? オジさまは……」

 悪意の色しか視えない世界を想像する。

 それは、とても、つらいこと。

 あたしならきっと耐えられない。

「それはきっと辛いこと……苦しかったんだよね。 もしもエモパレが人の悪意しか視えないモノだったら、きっとあたしも呪われてるとか思っちゃったかもね……」
「……ああ、そうだ。 だから……」
「でもさ、オジさま。 エモパレって悪意だけじゃないのよ? 感情色にも色んなのがあるよ。 綺麗な色、変な色、眩しい色、もちろん良くない色もあるよ。 悪意の色なんて、その人が持ってる一部だよ」
「……それは」
「あたしだって大人だもの。 どうしようも無いほどの悪い人がいるのも知ってるよ? でもさ、その人たちだって悪意一色じゃないのよ? 疚しさだったり怖さだったり、時に嬉しさだったり。 悪い人だって色んな色があるんだよ? オジさまもそれは知ってるでしょ?」
「…………」

 オジさまはあたしから目線を逸らす。

 きっと、オジさまは悪意の一色だけを視過ぎちゃったんだ。

「……やはり違う。 人間の本質は悪だ。 私にはもう、そうとしか考えられない……そして、これは罰なんだ。 醜いものを視ろ、悪を視ろ、汚いものを視ろ…………本当はそんなものはもう視たくない。 嫌なのだ。 しかし、それが……それを直視する魔眼が与えられた私は、罪人なのだ……」
「視えちゃうんだね? オジさまは。 視たくないものを。 それが、嫌なのね? 本当に嫌だったんだよね? オジさま。 嫌な物を視せられる苦しみ。 辛いよね……でも、罪でもなんでもないと思うよ?」
「じゃあこの苦しみは!? これが罰でなければ……! これが罪でなければ……!! 一体なんだと言うのだ!」

 普段は寡黙で、あまり抑揚の無かったオジさまの声色に、強い感情が混じり始める。

「ああ、やっぱりそう。 オジさまはね、優し過ぎるの。 感受性が強すぎるの。 苦しいのは、本当は信じたいから。 人を。 どうしようも無い悪だなんて、本当は信じたくないの」
「……違うっ! 私には視えるんだ! 彼らの本質がっ……」
「本質じゃないよ、オジさま。 感情だけでしょ? 視えるのは。 感情が視えるだけで罪なんて、そんな事ないよ。 だってさ、あたしなんてシャリエナにしょっちゅう感情どころか、心の中まで読まれちゃってるよ? オジさまの言ってる事が真理なら、感情を正しく察せるだけの人も罪人なの? それは違くない?」
「……私には…………視えるんだっ」


「視えるだけでしょ? 感情だけが」


 思わず突き放すような口調になってしまった。

 オジさまの顔はとても辛そう……でも、

「それにさ、エモパレなんて役に立たない事もいっぱいあるよ? 心が読めるんじゃないんだから。 あたしだってすぐ感情を読み間違えて勘違いしちゃうし。 オジさまは神様からの祝福とか呪いみたいな言い方してるけど、こんなの道具だよ。単なる」
「……キミは、本当に……っ!」

 オジさまがあからさまな怒りを向けてきた。

 怒らせちゃった……

 でも、なんでオジさまがあの時怒ったのか、さっき怒ったのか、そして今怒りを向けているのか、その理由が分かった。

 悔しいんだ、きっと。

 自分がこんなに苦しんでいる能力なのに。

 同じものを持ってるあたしはどこか能天気。

 気持ちが楽なあたしを、許せないんだ。


 ……そっか。

 オジさまは、本当に、ずっと、ずっと苦しんできたんだ。

 人の悪意しか視えない盲目の闇の中で。

 ウソと悪意しか視えなかったら、人を信じられなくなるのも無理はない。

 それは本当に辛いこと。

 そりゃ人間不信になっちゃうよ。

 どうにかして、オジさまの気持ちを楽に出来ないかなあ?

 エモパレなんて、本当に大したことないのにな……

 悔しがる事なんてないのにな……

 オジさまは、あたしに恨みがましい目を向けている。

 怒りを向けられているはずなのに、なぜだがそれが可愛かった。

 まるで、スネている子供みたいで……


 人を信じる。

 そんなに難しい事かなぁ?

 だってみんな綺麗な色だよ?

 あの色を視ちゃえば、そんなに捨てたもんじゃないって、気楽に思えないのかなぁ?

 オジさまだって、あんなに優しいんだ。

 まだオジさまの感情色は視れないけど……

 きっと優しい色に違いない。

 春みたいな、優しい心地よい緑色で……

 あっ……そうだ!


「ねえ、オジさま。 あたし、オジさまの感情色が視えないんだけどさ。 それってやっぱりその眼帯のせい?」

 唐突に話を変えるあたしに、オジさまは少したじろいだ。

「……急に何を。 ……ああ、おそらくそうだ。 この眼帯には魔眼を封じる印が込められている」

 やっぱりそうなんだ。

 ひとまずそれは置いておいて……

「ねえオジさま。 あたしから見れば、オジさまはすごく優しいよ? 冷酷なところもあるっていうのは、さっき知ったけど……それでもやっぱり優しいよ?」
「……そんな事は無い」
「そんな事あるの。 見てて分かるよ。 怖がられてるけど、レルガさんも慕ってるし、悔しいけどリオーネさんもオジさまの事好きよ?きっと。 それはね、オジさまが、冷たいだけじゃないから。 人間味があるから。 人の暖かさを感じるから」
「…………」
「初めて会った時、あたしにも優しくしてくれたじゃん。 あたし、今でも覚えてるよ。 オジさまが、最初は後ろ向いて放っておこうと思ったけど、やっぱりって思ってハンカチで涙を拭いてくれたこと」
「……アレはっ…………」

 あたしのとても大切な思い出。

 今でもあの時の、幸せな気持ちをハッキリ思い出す事が出来る。

「あの時あたしに優しくしたオジさま。 その自分を信じる事は、出来ない……かな?」
「……それは無理だ。 そう思うには、私はもう汚れ過ぎた」

 うーん、やっぱり急に自分を信じるってのは難しい……よね……?


 だったらさ。

「じゃあさ、オジさま。 あたしの色を視て? 眼帯なんか投げ捨てちゃってさ。 オジさまはもっとさ、普通の人の感情色を視た方がいいんだよ。 きっと」

 そう。 悪意を見過ぎなんだよ、オジさまは。

 もっとバンバンとエモパレを使ってさ!

 慣れちゃえばいいのさ!

「それはっ、ムリだ!」

 思いのほかオジさまの拒絶が強かった。 なぜ?

「あたしはさ、自分で言うのもなんだけど、普通の人よ? 少なくとも悪人では無いと思ってるよ? あれ? もしかして、あたしも悪人?」
「そ、そんな事はないっ!!」

 やたらと強く否定してくるオジさま。 なぜ?

「実はさ、ず~っとね、自分の色を視たかったの。 エモパレは自分の色は視れないから。 オジさまもそうでしょ? だからさ、あたしを視て、慣れてよ。 オジさま」
「……っ…………!」

 本当は物凄く恥ずかしい。

 そう、あたしは本当は気付いている。

 これは……告白でもある。

 あたしのオジさまへの気持ちは隠しようもない。

 あたしのオジさまへの感情は隠しようもない。

 それでもさ、オジさまが、ほんのちょっとでも……

 人間の感情の色を、悪くないって思ってくれるならさ。

 あたしの失恋なんて、可愛いもんよ。


 口では絶対言えないけど。

 絶対「好き」なんて言えないけれど。

 感情色なら視られてもいい。

 だってあたしは散々、ずぅっと他人の感情の色を視てきた。

 実を言うと、後ろめたい気持ちはほんのちょっとあった。 ほんのちょっとね?

 だからオジさまの、誰かの本性を暴くって気持ちも、ちょっと分かる。

 もうすっかり慣れちゃったエモパレだけど。

 いつかは自分が読まれるのかな? そんな風に考えた事もあった。

 もしも同じ異能があるならば……

 そして、それがオジさまなら……

 大、大、大好きなオジさまならさ…………それって、


 最高じゃん!


「あたしを、視てよ? オジさまがずっと怖がってた感情色、あたしのはさ、自慢じゃないけど、汚くは無いと思うよ?」
「……や、やめろっ」

 あたしは静かに、一歩前に出る。

「あたしの感情色を、感じてみてよ……」

 人を信じる第一歩としてさ。

 あたしを、信じて? ね?

「ねえ……あたしを、視て? オジさま……」
「…………っ!!」

 さらに一歩、オジさまの正面へ。

 胸の前で手を組み、そっと目を閉じる。

 さすがに、オジさまの反応をダイレクトに見るのは恥ずかし過ぎる。

 オジさま……

 ずっとずっと苦しんでたんだね。

 人が嫌いで、でもきっとそうじゃなくて。

 きっと信じたいんだ。 だからあんなに苦しそう。

 さっきはオジさまの冷たい面を見つけて、

 今はオジさまの弱い所を見つけた。

 どうしよう。

 ダメな面を見たのに、それもちょっと嬉しいのさ。

 オジさまを受け容れてあげたい、って。

 オジさまの苦しみをあたしにも頂戴、って。

 オジさまの悩みを、もっともっと知りたいの、って。

 ドキドキしてた胸の中が、今はふわふわぽわぽわしてる。

 想う気持ちは強くなるのに、切なくて、どうしようもないくらい、あったかい。

 焦がれていた気持ちが、今は大人しく温かく……

 胸はいっぱいだけど、空に浮かんでるみたいで、気持ちいいな……

 ふわぁ……なんだか、心地よくなって…………


……………


 ハルネは両手を胸に組み、まるで祈りを捧げるような姿勢で固まっていた。

 その目は閉じられ、本当に祈っているように見えた。
 

 自らの心を捧げるその姿に、ヴァルグレイは激しく動揺していた。

 幾度も左眼を抑えては、顔を背け、苦悩する。

 そして、ついには一歩後ろへたじろいだ。

 ハルネの聖性に……その気高い献身に気圧された。

 誰かの気に圧されたのは、彼にとっては初めての経験だった。

 彼は何かをぶつぶつと呟く。

 その口は、一体何を呟いているのだろうか。

 彼女への怒りか?

 彼女への謝罪か?
 

 ヴァルグレイは、さらに一歩後ろに下がり、膝をつき、自らも祈りの姿勢を取った。

 彼は敗北した。

 ステンドグラスの青と金とオレンジの光が、祈りを捧げている彼女を、優しい夕射しと共に照らし上げる。

 まるで、スポットライトのように。

 それは、完成された、一枚の絵画だった。

 ヴァルグレイは目を剥き、一心に祈りを捧げる。

 彼の胸には何が宿っているのだろうか。

 それは彼の瞳を見れば分かる。

 琥珀色、そしてハニーゴールドに輝く瞳が、彼女の姿を映しとっている。


 孤高の騎士は、その無自覚な無垢なる光に、搦め捕られていた。 魂すらも。


 その眦から、一粒の珠が零れ落ちようとしたその時……


 ハルネの身体は、崩れるように倒れた。