第二調査局の廊下は、冷たい石造りの床がどこまでも直線に続く。
限りなく人通りの少ないその通路は、外の喧騒も届かぬ静かな場所。
通路の隅、ぽつんと置かれた観葉植物。 その傍で……
場違いな装いの乙女が一人、
小さく、丸く、しゃがみ込み、
その身に嗚咽を響かせていた。
「うっ……ふ、ぐす………ぐ……うええぇぇん……」
酷くみっともない声。
そんな自覚もなく、あたしは混乱と感情の渦に心を飲まれ、ただ泣く事しかできなかった。
一体あの部屋で何が起きていたのか。
あたしはなんで泣いてるのか。
どうしてしゃがみこんでいるのか。
ぜんぜん、なんにも分からない。
ただただ悲しい。
そして怖い……
寂しい……
かと思えば、オジさまに対する激しい怒り。
お腹が痛い……
胸も痛い……
色んな感情がない交ぜになっては、涙と共に素通りしていく。
怖い……嫌だ……ダメ……
否定の感情が湧いては移る。
焦り……後悔……悲しみ……
何かに焦り、
何かやってしまった事だけは分かり、
あってはいけない事が起きたのだけは分かる。
「ふぐぅ…………ぐすん」
鼻奥にも痛みが走る。
どうして……
なんで……
とにかくダメ……
何かやらなきゃ……
何をやるの……?
何をすれば勝てるの?
誰に勝つの?
でも分かる……
分かっちゃう……
勝てない事が、分かっちゃう……
圧倒的な敗北感……
あたしなんかが……
烏滸がましい……
……ううん、違う……
最初からダメだったんだ。
好きになっちゃ、ダメだったんだ。
恋なんかしちゃ、ダメだったんだ。
ササヤカだと思ってた願いは、
あたしに相応しくない、
大それた高望みだった。
こんな、太ってて、醜くて、可愛くもなくて……
愛されるワケなかったんだ。
選んでもらえるなんて……特別が欲しいなんて……
思うべきじゃなかった。
「…………」
じっと手を見る。
ぷにぷにでふっくらした、良く言えばマシュマロのような、悪く言えば太くて醜い、自分の手。
その手で、自分の胸を、脇腹を摘まむ。
帰ってくるのはいつもの感触。
忌まわしい……それが憎くてたまらなくなった。
オジさまだけは、違うって、信じてた。
あたしを愛してくれるかも、って。
あたしを受け容れてくれるかも、って。
あたしを赦してくれるんだって。
でも…………あのスタイルの良い美魔女を思い出す。
ああ、そうだよね……
あたしなんかを、選ぶワケが……
なかった。
……分かってた。
「もう、いいや……」
もう、どうでもいい。
なんでもいい。
オジさまなんて、いなくなっちゃえ。
あの美魔女も嫌い。 いなくなれ。
なんにも見たくない。
みんな消えちゃえ……
まだまだ胸は痛むのに。
涙はいつの間にか止まっていた。
……………
廊下の壁に背中を付けて、
両足もだらんと投げ出して、
だらしなくぼーっと座り続けていた。
どれくらい経ったのかもわからない。
ただただ何にも考えたく無くて。
胸の奥がただただ重い……
呆けた身体に、身を任せる。
そうしてじっと動かないでいると、ふと、ある疑念が湧いて来た。
……なんでこんなに辛いんだっけ?
……なんでこんなに身体が重いんだっけ?
……あたしは何しにココへ来たの?
泥のように粘った脳内を働かせ、原因はなんだ?と、かき回す。
……なんだか分からないけど、とにかくオジさまがムカツく。
「……そうだよ!」
オジさまが悪いっ!!
思い出した!
何さっ! あの顔、デレデレしちゃって!
せっかくご飯つくって持ってきたのに!
あれ?……そういえば手に持ってたバスケットが、無い。
どこに行ったの? ……あ、そうか。
勿体ないから、せめてと思ってオジさまの机に叩きつけた記憶が蘇る。
ああ、しまったぁ、あげるんじゃなかった!
オジさまなんかに、勿体ない!
あたしが全部食べちゃえば良かった!
……でも、あたしの手料理、美味しいって言ってくれたし……
……いや、違う!
オジさまがぜぇんぶ悪いんだ!
事件だってそうだ!
結局なんにも説明してくれちゃいないんだから!
言葉足らずにもほどがあるよ!
仕事が出来そうなのは分かるけど!
もっと説明してよ!
そうだ、やっぱりオジさまが全部悪い!
あの美魔女を選ぶセンスだって悪い!
あんな、妙齢の、爆乳、美、女……
……ううん! あたしの方が、オジさまを好きなんだから!
うんと、いっぱい、好きなんだから!
……う~~、でもオジさまは、あたしを、選んでくれなかった……
違う!
もういいもん!
オジさまなんか知るもんか!
どうせ事件だって大して進展しちゃいないんでしょ!
あたしにずっと、ずっと、ずぅ~っと付いてたんだか……ら……
いや、違う……
オジさまは、仕事で、だって、あたしを気に入ってたから、傍についてたワケじゃ……
だったら……
う~~~~~、もう、いいもん!
あたしがやるんだ! やっぱりあたしが事件を解決するんだ!
オジさまは、あの爆乳美魔女とよろしくやってればいいんだ!!
こういう時は…………行動!
とにかく行動! 何か動かなきゃ!
一人で塞ぎこんでちゃダメだ!
誰か捕まえて……そんで……
「ハァーイ! こんにちわー、ぽちゃ猫ちゃん」
「……ひくっ!」
いきなり声を掛けられてびっくりした。
いつの間にか立ち上がって、憤っていたあたしは、声のした方を振り返ってまた驚いた。
それはなんと、あの爆乳美魔女だった。
……最っ悪。
思わず後ずさり、構えを取ってしまう。
「あらぁ……そんなに毛を逆立てて警戒しなくても……ま、仕方ない、か」
「……あたしに何か用ですか」
自分でも驚くほど低い声が出てびっくりした。
クセで、正面の美魔女の感情色を探る。
――これは、心配と慈しみの色? キレイ……
「猫ちゃんみたいに警戒してるアナタも可愛いけれど……とりあえず自己紹介させてね?」
余裕ある態度が、経験を感じさせる。
悔しいくらい大人の女性だった。
「アタシはリオーネ・エメルラーデ。 魔法省からの出向社員だけど、今はココ、第二調査局で専属治癒魔導士として働いてるの。 立場としてはヴァルグレイの部下ってとこかな」
「……ヴァルグレイ……呼び捨て」
「あら、ごめんなさい。 彼とは軍時代からの古い知り合いでね。 上司だけど気安くそう呼んじゃうの。 許してね?」
「…………」
彼とは親しい……そんな牽制をされた気分になった。
やっぱりこの人、嫌い。
…………でも。
「あらぁ……ふふふ……アナタは名乗ってくれないの?」
「っ! ハルネ・サフランです! ヴァルグレイのオジさまとは親しくさせてもらってます」
無意識的に、なんだか変な対抗心が出てしまった。
うっ……分かんないけどなんか恥ずかしい……
「親しく、ね。 アナタの事は彼から聞いてるわ」
「…………」
笑顔を崩さないリオーネさん。
……オジさまは、あたしの事を、なんて話してるんだろう?
「さっきはごめんなさいね。 でも、仕事の話をしていただけなのよ? 本当よ?」
決して笑顔は崩さないリオーネさん。
……なんだか全てお見通しな感じがしてムカツく。
…………でも。
「ハッキリ言っておくわ。 誤解しないでね? アタシとヴァルグレイの間には「そういうの」は、無いわ。 それに……」
「……それに?」
ちょっとだけ寂しそうに、でも楽しそうに語るリオーネさん。
「さっきの彼を見てすぐ分かっちゃった。 私の知ってる彼じゃないわ」
「…………」
「よほど大切で特別なのね。 だって、あなたに向ける視線だけ彼は……」
「えっ……」
「……ふふ、ちょっと羨ましい。 さ、戻りましょ? お昼ご飯、作ってきてくれたんだものね? 彼のために」
……全部バレてるのが、すごく居心地悪い。
「彼、涙を浮かべて喜んでたわよ? 「こんな私のためにありがたい!」って」
それはウソだ。
オジさまはそんなキャラじゃないし、
リオーネさんの感情色に強く――楽しさ……からかうような、明るいフレアレモンが出ていたからだ。
やっぱ苦手、この人。
…………でも
さきほどのリオーネさんの言葉を反芻する。
ハッキリ言ってくれた訳じゃないけれど……
オジさまの視線は、あたしだけに、特別? なの?
……あ~あ、あたしってチョロいなー。
他人伝てのそんな言葉だけで、こんなに嬉しくなっちゃうんだもの。
ちぇっ……
「さ、戻りましょ?」
もう一度促すように差し出してくれたリオーネさんの手を、意識してじっと見る。
やっぱりそうだ……。
あたしはその手を、あえて無視して歩き出す。
オジさまのいる部屋の方へ。
それはあたしの意地だけの、ササヤカな抵抗だった。
「……あらら……ふふふ……ホント猫ちゃんみたい。 かわいいわ、ハルネちゃん」
全部見透かされてる。
悔しい。
悔しいけれど、やっぱり……
リオーネさんの感情色が……
――あたしへの心配と、慈しみの色と温度で溢れているのを感じて、
なんだかさきほどの言葉も無条件に信じられて……
あたしは、リオーネさんに顔を見られないように、早足で廊下を歩き続けた。
