【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―


 第二調査局の廊下は、冷たい石造りの床がどこまでも直線に続く。

 限りなく人通りの少ないその通路は、外の喧騒も届かぬ静かな場所。

 通路の隅、ぽつんと置かれた観葉植物。 その傍で……

 場違いな装いの乙女が一人、

 小さく、丸く、しゃがみ込み、

 その身に嗚咽を響かせていた。


「うっ……ふ、ぐす………ぐ……うええぇぇん……」

 酷くみっともない声。

 そんな自覚もなく、あたしは混乱と感情の渦に心を飲まれ、ただ泣く事しかできなかった。

 一体あの部屋で何が起きていたのか。

 あたしはなんで泣いてるのか。

 どうしてしゃがみこんでいるのか。

 ぜんぜん、なんにも分からない。

 ただただ悲しい。

 そして怖い……

 寂しい……

 かと思えば、オジさまに対する激しい怒り。

 お腹が痛い……

 胸も痛い……

 色んな感情がない交ぜになっては、涙と共に素通りしていく。


 怖い……嫌だ……ダメ……

 否定の感情が湧いては移る。

 焦り……後悔……悲しみ……

 何かに焦り、

 何かやってしまった事だけは分かり、

 あってはいけない事が起きたのだけは分かる。

「ふぐぅ…………ぐすん」

 鼻奥にも痛みが走る。

 どうして……

 なんで……

 とにかくダメ……

 何かやらなきゃ……

 何をやるの……?

 何をすれば勝てるの?

 誰に勝つの?

 でも分かる……

 分かっちゃう……

 勝てない事が、分かっちゃう……

 圧倒的な敗北感……

 あたしなんかが……

 烏滸がましい……

 ……ううん、違う……

 最初からダメだったんだ。

 好きになっちゃ、ダメだったんだ。

 恋なんかしちゃ、ダメだったんだ。

 ササヤカだと思ってた願いは、

 あたしに相応しくない、

 大それた高望みだった。

 こんな、太ってて、醜くて、可愛くもなくて……

 愛されるワケなかったんだ。

 選んでもらえるなんて……特別が欲しいなんて……

 思うべきじゃなかった。


「…………」

 じっと手を見る。

 ぷにぷにでふっくらした、良く言えばマシュマロのような、悪く言えば太くて醜い、自分の手。

 その手で、自分の胸を、脇腹を摘まむ。

 帰ってくるのはいつもの感触。

 忌まわしい……それが憎くてたまらなくなった。

 オジさまだけは、違うって、信じてた。

 あたしを愛してくれるかも、って。

 あたしを受け容れてくれるかも、って。

 あたしを赦してくれるんだって。

 でも…………あのスタイルの良い美魔女を思い出す。

 ああ、そうだよね……

 あたしなんかを、選ぶワケが……

 なかった。


 ……分かってた。


「もう、いいや……」

 もう、どうでもいい。

 なんでもいい。

 オジさまなんて、いなくなっちゃえ。

 あの美魔女も嫌い。 いなくなれ。

 なんにも見たくない。

 みんな消えちゃえ……


 まだまだ胸は痛むのに。

 涙はいつの間にか止まっていた。


……………


 廊下の壁に背中を付けて、

 両足もだらんと投げ出して、

 だらしなくぼーっと座り続けていた。

 どれくらい経ったのかもわからない。

 ただただ何にも考えたく無くて。

 胸の奥がただただ重い……
 

 呆けた身体に、身を任せる。

 そうしてじっと動かないでいると、ふと、ある疑念が湧いて来た。

 ……なんでこんなに辛いんだっけ?

 ……なんでこんなに身体が重いんだっけ?

 ……あたしは何しにココへ来たの?

 泥のように粘った脳内を働かせ、原因はなんだ?と、かき回す。

 ……なんだか分からないけど、とにかくオジさまがムカツく。


「……そうだよ!」

 オジさまが悪いっ!!

 思い出した!

 何さっ! あの顔、デレデレしちゃって!

 せっかくご飯つくって持ってきたのに!

 あれ?……そういえば手に持ってたバスケットが、無い。

 どこに行ったの? ……あ、そうか。

 勿体ないから、せめてと思ってオジさまの机に叩きつけた記憶が蘇る。

 ああ、しまったぁ、あげるんじゃなかった!

 オジさまなんかに、勿体ない!

 あたしが全部食べちゃえば良かった!

 ……でも、あたしの手料理、美味しいって言ってくれたし……

 ……いや、違う!

 オジさまがぜぇんぶ悪いんだ!
 

 事件だってそうだ!

 結局なんにも説明してくれちゃいないんだから!

 言葉足らずにもほどがあるよ!

 仕事が出来そうなのは分かるけど!

 もっと説明してよ!

 そうだ、やっぱりオジさまが全部悪い!

 あの美魔女を選ぶセンスだって悪い!

 あんな、妙齢の、爆乳、美、女……

 ……ううん! あたしの方が、オジさまを好きなんだから!

 うんと、いっぱい、好きなんだから!

 ……う~~、でもオジさまは、あたしを、選んでくれなかった……

 違う!

 もういいもん!

 オジさまなんか知るもんか!

 どうせ事件だって大して進展しちゃいないんでしょ!

 あたしにずっと、ずっと、ずぅ~っと付いてたんだか……ら……

 いや、違う……

 オジさまは、仕事で、だって、あたしを気に入ってたから、傍についてたワケじゃ……

 だったら……


 う~~~~~、もう、いいもん!

 あたしがやるんだ! やっぱりあたしが事件を解決するんだ!

 オジさまは、あの爆乳美魔女とよろしくやってればいいんだ!!

 こういう時は…………行動!

 とにかく行動! 何か動かなきゃ!

 一人で塞ぎこんでちゃダメだ!

 誰か捕まえて……そんで……

「ハァーイ! こんにちわー、ぽちゃ猫ちゃん」
「……ひくっ!」

 いきなり声を掛けられてびっくりした。

 いつの間にか立ち上がって、憤っていたあたしは、声のした方を振り返ってまた驚いた。

 それはなんと、あの爆乳美魔女だった。

 ……最っ悪。

 思わず後ずさり、構えを取ってしまう。

「あらぁ……そんなに毛を逆立てて警戒しなくても……ま、仕方ない、か」
「……あたしに何か用ですか」

 自分でも驚くほど低い声が出てびっくりした。

 クセで、正面の美魔女の感情色を探る。

――これは、心配と慈しみの色? キレイ……

「猫ちゃんみたいに警戒してるアナタも可愛いけれど……とりあえず自己紹介させてね?」

 余裕ある態度が、経験を感じさせる。
 悔しいくらい大人の女性だった。

「アタシはリオーネ・エメルラーデ。 魔法省からの出向社員だけど、今はココ、第二調査局で専属治癒魔導士として働いてるの。 立場としてはヴァルグレイの部下ってとこかな」
「……ヴァルグレイ……呼び捨て」
「あら、ごめんなさい。 彼とは軍時代からの古い知り合いでね。 上司だけど気安くそう呼んじゃうの。 許してね?」
「…………」

 彼とは親しい……そんな牽制をされた気分になった。

 やっぱりこの人、嫌い。

 …………でも。

「あらぁ……ふふふ……アナタは名乗ってくれないの?」
「っ! ハルネ・サフランです! ヴァルグレイのオジさまとは親しくさせてもらってます」

 無意識的に、なんだか変な対抗心が出てしまった。

 うっ……分かんないけどなんか恥ずかしい……

「親しく、ね。 アナタの事は彼から聞いてるわ」 
「…………」

 笑顔を崩さないリオーネさん。

 ……オジさまは、あたしの事を、なんて話してるんだろう?

「さっきはごめんなさいね。 でも、仕事の話をしていただけなのよ? 本当よ?」

 決して笑顔は崩さないリオーネさん。

 ……なんだか全てお見通しな感じがしてムカツく。

 …………でも。

「ハッキリ言っておくわ。 誤解しないでね? アタシとヴァルグレイの間には「そういうの」は、無いわ。 それに……」
「……それに?」

 ちょっとだけ寂しそうに、でも楽しそうに語るリオーネさん。

「さっきの彼を見てすぐ分かっちゃった。 私の知ってる彼じゃないわ」
「…………」
「よほど大切で特別なのね。 だって、あなたに向ける視線だけ彼は……」
「えっ……」
「……ふふ、ちょっと羨ましい。 さ、戻りましょ? お昼ご飯、作ってきてくれたんだものね? 彼のために」

 ……全部バレてるのが、すごく居心地悪い。

「彼、涙を浮かべて喜んでたわよ? 「こんな私のためにありがたい!」って」

 それはウソだ。

 オジさまはそんなキャラじゃないし、
 リオーネさんの感情色に強く――楽しさ……からかうような、明るいフレアレモンが出ていたからだ。

 やっぱ苦手、この人。

 …………でも

 さきほどのリオーネさんの言葉を反芻する。

 ハッキリ言ってくれた訳じゃないけれど……

 オジさまの視線は、あたしだけに、特別? なの?

 ……あ~あ、あたしってチョロいなー。

 他人伝てのそんな言葉だけで、こんなに嬉しくなっちゃうんだもの。

 ちぇっ……

「さ、戻りましょ?」

 もう一度促すように差し出してくれたリオーネさんの手を、意識してじっと見る。
 やっぱりそうだ……。

 あたしはその手を、あえて無視して歩き出す。
 オジさまのいる部屋の方へ。

 それはあたしの意地だけの、ササヤカな抵抗だった。

「……あらら……ふふふ……ホント猫ちゃんみたい。 かわいいわ、ハルネちゃん」

 全部見透かされてる。

 悔しい。

 悔しいけれど、やっぱり……

 リオーネさんの感情色が……

――あたしへの心配と、慈しみの色と温度で溢れているのを感じて、

 なんだかさきほどの言葉も無条件に信じられて……

 あたしは、リオーネさんに顔を見られないように、早足で廊下を歩き続けた。