第二調査局の廊下は、冷たい石造りの床がどこまでも直線に続いていた。
時折、ぽつんと置かれている観葉植物の存在が、人気のない通路にわずかばかりの温かみを与えている。
静謐さと冷たさを兼ね備えたその空間に、場違いな装いの乙女が一人。
光をやわらかく返すケープに春色のスカート、苺茶色の髪を揺らし、わたしはご機嫌だとばかりに鼻唄を響かせている。
手には大きなバスケット。
ランチが入ったその籠を前後に揺らし、ハルネは上機嫌に笑顔で鼻歌を歌っていた。
「おっひる、おっひる、おっひるのランチはサンドイッチ~」
浮かれてる。
誰もいないからと、意味の分からない歌を歌ってしまった所で自覚した。
あたしは浮かれてる。
受付のおじさんを、オジさまとレルガさんの名前を出して押し通り、昼ご飯を持ってきたと副局長室に通してもらった。
ウソじゃない。
寡黙なオジさますら美味いと言わしめた、あたしの腕前。
きっと喜ぶだろうと、お昼ご飯も作って持ってきてしまった。
オジさまには「ずっと家にいる」と言ってしまった手前、ここに来るのに多少の躊躇はあった。
じゃあ口実を作ろうと、お昼ご飯を作って持っていくことにした。
オジさまの目的は、要はあたしと一緒にいる事なんだから、あたしが調査局に来ても変わんないでしょ。
……たぶんね。
いつも作るはちみつバターをべったべたに塗りたくったサンドイッチもたしかに美味しい。
しかし、甘いのが苦手なオジさま用にと今日は、
お魚のフライとチーズを挟んだり、
アンチョビにグリーンソースを塗ったり、と、
色々と具の中身も工夫してきた。
朝の感じからすると、好みから外れてはいないはずだ。
……喜んでくれるかな?
……さっき別れたばかりなのに、あたしが来ても大丈夫だったかな?
一人で静かな廊下を歩いているせいか、不安の目がほんのりと顔を出した。
でも、朝、美味しいって言ってくれた事を思い出す。
すごく、すごく嬉しかった。
その嬉しさだけで、不安はすぐに消し飛んだ。
また美味しいって言ってくれるかな?
あ、そうだ、今度ちゃんとオジさまの好みをハッキリ聞かないとね。
早く顔が見たいなー。
喜んでくれるといいなー。
そうやって幸せの予感に浸りながら歩き続けると、重厚な木製の扉に辿り着く。
扉には綺麗な純白の木製板に「副局長室」の文字が。
以前はテンパってて全く気付かなかった。
あたしは昂揚した気持ちのまま、重そうなドアをノックした。
――コンコン
「オジさま~? ハルネですよ~? 入りますよ~?」
香ばしい香り漂うバスケットを胸に抱えながら、あたしは重たい扉を意気揚々と開く。
……………
部屋に足を踏み入れた瞬間、ふとオジさまの匂いを感じた。
先日来た時にも見た、落ち着いた色の戸棚に、整理された書類。
綺麗な床。 観葉植物が一つ。
奥まった所にある、業務用の大きな机に座っているオジさま。
そこへ駆け寄ろうとしたその時、初めて、オジさまの隣に人がいるのに気付いた。
妙齢の美女。
大きな魔女帽に、シックながらも可愛らしい魔法省の制服?を着ている。
そして、その上からでも分かる、抜群のスタイルを持った美女。
え? 誰?
隣にいるのは……オジさまだよね?
「お似合いの妙齢の美男美女」……
漠然とそう思った、次の瞬間。
妙齢の美女は、自然な仕草でオジさまに一歩近づき、
何かを囁くように、顔を寄せた。
オジさまは、一瞬だけ目を伏せ、
次の瞬間には、柔らかく微笑んで、彼女の言葉を受け止めていた。
――そのやり取りが、あまりにも自然で。
あたしの知らない、二人の特別な仲の良さが、否応なく伝わってきた。
「やだっ……」
やだ、やだ、やだ。
なんで?
なんで、そんな親密そうな顔を見せてるの?
だって、オジさまと仲良いのはあたしであって……
急に視界が狭まった。
喉も狭まり、息が、詰まった。
やめてよ……っ
オジさまに、そんなふうに、馴れ馴れしく……!
「…………近づかないでよぉッ!!」
誰なのよ! アンタ!
あたしのオジさまに近づかないでっ!
オジさまの隣にいていいのは、あたしだけなんだから!
貴女じゃないんだから!
やめてよ! 近づかないでっ!
あたしのオジさまを…………取らないでよっ!!
オジさまもデレデレしないでよ!
あたしを好きなんじゃなかったの!?
あたしだけだったのに!!
あんな表情、見せてくれるの……あたしにだけ、だと、思ったのにぃ!!
そんな女に、見せないでよ……
ねぇ、あたしを、好きなんでしょ? オジさま……
あたしだけを見てよ……
だってあたしはこんなに好きなんだもん……
オジさまだって……ねぇ、そうなんじゃないの?!
ねぇっ!!
籠を持つ手にぎゅぅっと力が入る。
同時に瞳にも力が入る。
瞳が熱い。 燃えるように熱い。
ねぇ……今こそ、オジさまの……感情を……見せてよ!!
エモパレっ!!!!
瞳は熱さを増していく。
そして、今まで感じた事が無い感覚と共に、今まで見たことないようなものが視えた。
それは、オジさま……
……ではなく、その隣の美女、の感情色。
視える。
今まで見た事無い、心の奥底の、深層の感情色が、温度が、伝わってくる……!
――これは、桃色の……ほのかな…………愛情……色???
愛?
……愛?
…………愛してるの? このひと、オジさまを……
愛し合ってるの?
二人が?
なんで? え? そうなの?
「……じゃあ、あたしは……?」
あ……
待って…………やだ、やだ、ヤダ!
そんなのヤダよっ!!
なんで? だって……
だって、そんなの、おかしい!
なんで? どうして?
なんでオジさまはそっち見てるの?
なんであの女の人はオジさまを見てるの?
どうして隣に立ってるの?
そこにいるのは、あたしじゃなかったの?
……ねえ、あたしは?
じゃあ……あたしは、どこへ行けばいいの?
そこにいるはずのあたしは?
オジさまの隣にいるのは、あたしじゃないの?
え? 隣にいちゃ、ダメ、だったの……?
…………いやだっ!!
だって、そんな……
オジさましかいないのに……!
あたしを置いてくれなきゃ……ダメなのに!
こんな……太ってるあたしなんか、誰も選んでくれないのに!
だって……オジさましか、ダメなのにぃ……!
こんなに好きになったのに……
こんなに誰かを求めたの、初めてだったのに……
運命、じゃ、なかったの?
……そうなの? そうなの? オジさま……?
何が足りないの……?
どうすればいいの……?
だってあたし、ほかに、何にもないのに……
隣にいさせてよ……ねぇ、ダメなの?
だって、そうしないと…………一人に……
あああぁぁぁ……っ!
怖い……怖い……怖いよぅ…………
寂しい……怖い……怖い…………
助けて……ねえ、手を、掴んで、ねえ、オジさま……!
そいつじゃなくて、あたしの手を、掴んで……!
寒いよ……誰か……お願い……オジさま、助けて……
あたしを……いらない子にしないで……必要として……
隣にいるだけでいいから……許して……
あたしを、お願いだからぁ……選んで……愛して…………抱きしめて……
そうじゃないと……あたしぃ、あたしはぁ………
ああ、嫌だ……嫌だ……泣きたくないのに……
「ふ……ぐすっ……」
溢れる感情を処理しきれず、ついぞ涙も溢れ出る。
感情がグチャグチャで何も考えられない。
「……ハルネ、嬢?」
「……っ!」
大好きなはずのオジさまの声。
でも今は、聞いていられないっ!
――――バァンっ!
入ってきた扉をそのまま乱暴に開きなおし、
――――バタンっ!
そのまま廊下へ飛び出した。
―――――――
部屋を飛び出したハルネを、唖然と見送ったヴァルグレイとリオーネの二人。
リオーネの持ってきた情報を、スリ合わせしようとした所……
突然ハルネが部屋に現れ、そしてまた唐突に出て行った。
……涙を見せて。
「……ワケがわからない」
一見、無表情に見えるヴァルグレイだが、リオーネはこんなに動揺しているヴァルグレイを見るのは初めてだった。
さきほどのあの子の様子を見て、すぐに察したリオーネだったが、この朴念仁には理解できない出来事だったらしい。
「……今朝は、かなり、機嫌が良さそうに、伺えたのだが……」
かつてないほど動揺しているヴァルグレイを見るのが楽しくなってきたリオーネ。
うんと勿体ぶって答えてやろうと……
「えっとねぇ、それはねぇ、いわゆるひとつの~……」
と言ったところで、
――――バァンっ!
再び乱暴に扉が開け放たれた。
入ってきたのは…………ハルネだった。
「……えっ?」
「えっ?」
あっけにとられる二人をよそに、ハルネは二人のいる業務机に駆け寄ると……
持っていたバスケットをダンっと叩きつけるように机に置き……
――――バタンっ!
再び逃げるように部屋を出て行った。
「……??? ……これは、一体??」
「ふふっ……うふふふふっ…………あ~~、かわいい」
リオーネの含み笑いが、広い副局長室に響いた。
