朝ごはんを食べ終わるや否や、オジさまは制服の腕を捲り、黙ってお皿を洗い始めた。
「ヴァルグレイさん! そんなのいいですよ! お姉ちゃんにやらせなって!」
シャリエナがそう言って止めるが、「……これくらいは」と一言バッサリ断られた。
あたしといえば、先ほどのオジさまの行動の混乱が解けない。
ぼうっとお皿を洗うオジさまの横姿を眺める。
捲った袖から見える、前腕の筋肉の隆々さ具合に目が離せない。
ぽよぽよのあたしの腕とはまるで違う、男性の身体付きに、胸の高鳴りも止まらない。
…………はっ!
いかんいかん!
オジさまにだけやらせるワケには……!
「あたしもやります! 一緒にやった方が早いですよ!」
「……むっ」
無理やり身体を捻じ込み、奪うようにお皿を洗う。
オジさまに密着してしまった身体に、また一層胸が高鳴るが、今は作業に集中!
「シャリエナは洗ったお皿を拭いてね」
「はいな」
三人での共同作業。
なんだか家族が増えたみたい……へへ。
……………
三人でやれば一瞬だ。
お皿を棚に仕舞った後、食休みにとコーヒーとお茶を入れなおした。
あたしとシャリエナはお茶。 オジさまはコーヒーをもう一杯。
テーブルの向かいにはシャリエナ、あたしの隣にはオジさまが座る。
「そうやって並んでると、なかなかお似合いだよ? お姉ちゃんとヴァルグレイさん」
「な、何言ってんのさ! ……すいませんオジさま。 この妹は、ほんとにもー」
「……いや」
あたしはきっと耳まで赤くなってるだろうけど、オジさまはいつも通り泰然自若。
ふと気になった事を聞いてみる。
「オジさまは……今日も、ずっとあたしに付いてるんですか?」
「……ああ、そのつもりだ」
その言葉に思わず背筋が伸びた。
「顔に出てるよ、お姉ちゃん」
「うっさいわね! そういう事は言わないでいいのよ!」
「……キミは、妹君といる時は、まるで違うのだな」
オジさまは柔らかい言い方でそう聞いてくる。
今朝からずっと柔らかい表情だ。
優しい空気……もしもそれを引き出しているのがあたしだったら、嬉しいな。
「それはもう、あたしは姉ですからね。 しっかりしないと」
「よく言うよ。 ワタシにしょっちゅう甘えてくるクセに」
「うっさいわね! そういう事はいちいち言わないでいいのよ!」
「……仲が良いのだな。 私には兄弟がいないのでそういう関係は羨ましくもある」
……兄弟はいないんだ。
もうちょっと踏み込もうか悩んだが、シャリエナが先に踏み込んだ。
「ヴァルグレイさんのお父さんお母さんは?」
「……両親は随分前に病気で亡くなった」
「あ……それは」
「ごめんなさい……」
「……ああ、気にすることは無い。 もうかなり前の事だし、元々疎遠だった」
あたし達がシュンとしていると、オジさまが気を遣ってくれる
「……本当に気にすることは無い。 だから、さっきは久方ぶりに温かい手料理が食べられて有難かった」
「あんなもので良かったら、いつでも……」
「お姉ちゃんの手料理、美味しいよね? いっそこのまま営業停止なら、ご飯屋さん開くのもアリじゃない?」
「えー? 嫌だよ。 仕事で毎日作るのはさすがにしんどい……」
料理は好きだけどさすがにお店を出せるほどでは……
いや、意外とイケるかも? でも……
「今のサフラン香房が気に入ってるんだから、やっぱやーよ」
「なんだ惜しい。 お姉ちゃんならサフラン小料理店とかに変えても全然やってけそうなのに」
「あたしは食べる方が好きなのっ!」
「…………」
オジさまはどこか柔らかい表情で、あたし達のやりとりを聞いていた。
しまった。
せっかくオジさまがいるのに……
「オジさま……ごめんなさい。 みっともないやり取りを見せてしまって……」
「……いや、構わない。 シャリエナ嬢の言う事も一理ある。 さきほどの料理は高級レストランに負けず劣らぬ味だった」
オジさまは、あたし達の空気に充てられたのか、会話にちゃんと参加してくれた。
それにしても……
「……そ、そうですかぁ?」
まっすぐな誉め言葉がくすぐったい。
素直に嬉しい……
「お姉ちゃん、顔赤いよ。 それになんでさっきから丁寧語なの?」
「う、うっさいわね! そ、そういえばオジさまは知ってる? 中央街のこっちの方に新しい高級レストランが出来たんですよ!」
「そんな誤魔化さなくても…………でもあそこ、気になるよね」
「ね、ねー? いつか食べてみたいなぁ。 焦がしバターの牛フィレステーキ……」
「そうだ! ヴァルグレイさん、お姉ちゃんを連れてって上げてよ! お貴族様なんでしょ?」
「バカっ! この子は! なんちゅう失礼な事を! ごめんなさいオジさま!」
「……いや、構わない」
ぎゃーぎゃー喚くシャリエナの口を抑えながら、オジさまに謝罪する。
ほんとにもー、なんて事を言うんだ、この子は……
でも、オジさまは、そういうお店、色々知ってそうだなぁ……
「ほら、ヴァルグレイさんも、いいって言ってるし」
「オジさまは優しいから許してくれてるだけよ!」
「……優しいという事はないが」
「ついでに聞いちゃお。 ヴァルグレイさん、独り身なんでしょ? 結婚とかしないの?」
「またこの子は! いいんですよオジさま? まともに取り合わなくても……」
と、言いつつ、すっごく気になる。
だからシャリエナを止めといてなんだけど、とっても聞きたい。
……ズルイかもだけど。
「……ああ、考えた事も無かったな」
「…………」
「そっかー。 ごめんね? 変な事聞いちゃって。 お姉ちゃんみたいな人とかどうなの? 奥さんとして」
「……っ!」
「……ハルネ嬢のような素敵なお嬢さんに、私のようなジジイなぞ不釣り合いだ」
自虐気味に言うオジさまも気になったが、それどころではない。
素敵だって! ステキだって! 素敵なお嬢さんだって!
うお~~、顔がニヤケちゃう……くっ、抑えろ、あたし!
「良かったね、お姉ちゃん。 素敵だって」
「うっさいわね! アンタが変な事ばっか聞くから、こっちは居た堪れない気持ちになってるの!」
でもありがとうシャリエナ。
今夜はよく眠れそう。
「……ふっ、キミたちは本当に仲が良いな」
またオジさまはふっと笑ってくれた。
それだけで空気がより一層優しくなる。
「そうなんですよ。 お姉ちゃん、至らない所も沢山あってテンパり症だけど、ヴァルグレイさんも仲良くしてあげてね?」
「……どういう立場なのよ、アンタ」
「……仲が良いのは良い事だ」
オジさまの口調も軽い。
昨日よりもたくさんお話してくれている。
昨日、頑張ったかいがあったのかもしれない。
あたしとオジさま、コミュニケーション、取れてる!
うんと穏やかな、朝ごはんの後のお話の時間。
ふと我に返り、こんな事を思ってしまう。
(……こんなに幸せでいいのかな? ずぅっとこんな朝がいいな……)
たとえ泡沫の夢のように消え去ったとしても、
あたしが今感じるこの幸せな気持ちは確かなもの。
どうか……続けさせて、もう少し……
ずっと夢見てたかもしれないこの光景。
想像と少し違ったけれど、想像よりずっとあったかい。
次に来るオジさまとの朝、
もしそんな時がまた来るのなら、
隣にいるのが、どうか、あたしでありますように……
―――――――
ご飯のあとは、お店の掃除を少し手伝ってもらうことにした。
綺麗に掃除するのはあたしたちだけでも出来る。
でも、棚を持ち上げたり、大物を動かしたりはさすがに人手が、とくに男手がいる。
昨日レルガさんに少し手伝ってもらったとはいえ、まだまだ片付けなきゃいけない所は残っている。 例えば……
「うーん、この樽木槌は、一旦、店の奥に片付けちゃおうか」
支えを外して横に転がしてある樽木槌。
必殺技になってくれたのは頼もしいけど、いちいち店の入り口を壊してしまっては忍びない。
「使うたびに入り口壊しちゃうもんね。 お姉ちゃん、コレ取り付ける時にそれは考えなかったの?」
「あの時は「これなら絶対倒せるぞ!」って思って……」
「お姉ちゃんらしい……」
オジさまに手伝ってもらって、店の奥の倉庫に入れてもらう。
中の水を抜いてあるとはいえ、数十キロはある樽をひょいと軽々持ち上げるオジさま。
すごい。 やっぱり男の人って全然力が違うのね。
……と思ったけど、普通の成人男性でもこの樽をこんな軽々持ち上げられるはずもない。
実際、昨日のレルガさんは早々に動かす事をあきらめたみたいだった。
オジさまが凄いだけだった。
その後も棚を動かしてもらって、軽い模様替えも手伝ってもらう。
ずっと営業停止なはずもない。
それがいつかは分からないけど、来たる新装開店に向けて、色々考えて行かないとね。
「オジさま、ウチの営業停止って……」
「……すまない」
聞いては見たものの、やっぱり答えてはくれない。
でも申し訳なさそうなオジさまを見て、改めて確信する。
きっと、悪いようにはしないはず……と。
なら、あたしは今できる事をちゃんとやるんだ。
……と、色々考えていたら、剥がれた床板に足を取られて転びそうになった。
「んにゃっ!」
「……っ!」
へんな声は出たが、間一髪、オジさまが反射で抱き留めてくれた。
思わぬ近距離接近と、オジさまから漂う良い香りが冷静さを奪う。
「……ケガはないか?」
「はい……」
思わず目と目が合う。
キレイな琥珀色の瞳から目を離せなくなる。
「そこ! イチャイチャしてないで、こっちも手伝ってよ!」
シャリエナのツッコミで我に返る。
ごめんなさい。
―――――――
掃除も一段落し、お昼に差しかかろうかという時間になった頃。
一息ついていた所で、見知った来客が現れた。
「ちっス! ハル姐さん、エナ姐さん、お疲れ様っス!」
レルガさんだった。
「あ、隊長。 やっぱりこっちにいたんスね?」
「……………」
「ふ、副局長。 え、え~~っと、ゆ、有力なタレコミがあったッス!」
聞けば、有力な情報を掴んだとの事で、調査局に戻って情報の精査と指示を仰ぎたいとのこと。
「良ければ、自分がこの店に残るっスよ?」
「……いや、それには及ばん。 貴様には別件でまた頼みたい事がある」
こちらをチラリと伺うオジさま。
なんとなく言いたい事は分かる。
「こちらの事はお気になさらず。 あたしは今日はお店にいますよ?」
「……そうか。 巡回は強化しておく。 何かあればそちらへ。 仕事を片付けた後、私はまたこちらへ戻ってくる」
そっか……戻ってくるんだ。
それが分かればいい。
オジさまとレルガさんは、やはり調査局へ一緒に戻るようだった。
なんとなく店前で、二人を見送る流れになった。
「……朝食、馳走になった。 ありがとう」
「いえいえ、あんなので良ければ毎日でも」
自分で言った言葉を反芻してしまう。
毎日……毎日……でへへ。
「……では、行ってくる」
「いってらっしゃい」
そういって二人を見送った。
最後のくすぐったいやりとりを言及したのか、レルガさんがオジさまに小突かれているのが見えた。
「いや~ん。 あたし、奥さんみたいじゃーん。 うほほほほほほ」
「笑い方キモいよ。 お姉ちゃん」
シャリエナの無粋なツッコミも今は気にならない。
「行ってくる」だって!
あたしも「いってらっしゃい」だって!
あ~~、楽しい。
あたしの気分と呼応するように、ぽかぽかと漂う、お昼の陽気。
気持ちの良い春の予感が、あたしのテンションをますます持ち上げる。
お昼にしては少ない人通り。
朝よりずっと乾いた石畳を歩いていくオジさまたちを、ずっと眺めながら、
あたしは、今日は良い事ありそうかな? と、朝の幸福感を再び噛み締める。
妙な顔をしながらも、ちょっと嬉しそうなシャリエナの隣で、
あたしは、すぐに上がろうとするほっぺを、手で抑えるのに必死だった。
