東の空はすっかり明け、昨日降った小雨の水たまりが残る石畳を、陽光がキラリと照らす。
朝の通りには、人の気配と窓辺の花に留まった小鳥が、囀りながら身じろぎし、ふらりとどこかへ旅立った。
普段ならとうに開店しているサフラン香房の軒先。
壊れた入り口はベニヤ板に変わり、「休業」の張り紙が。
朝の太陽に照らされた木製の看板は、どこか休憩しているように風に柔らかく揺れていた。
軒先には、ホウキを持ったハルネが、眠そうな目を擦りながら店先を掃いている。
「ふわあぁぁ……」
思わず出た大きなあくび。
昨日の夜更かしの成果が、しっかりと身体に残っている証拠だ。
なかなか納得出来ない色合いや、瓶に貼るラベルに凝ったのも相まって、随分と寝るのが遅くなってしまった。
休業だからと言って、日課であるお店の前の掃除をサボるワケにもいかない。
こういうのは習慣がモノをいうのだ。
……と思いつつも、あたしの胸はある期待に満ち満ちている。
――「明日もまた来る」
昨日の別れ際に聞いた、オジさまのその言葉が、朝からずっと頭の中を反芻している。
……いつ来るのかな? 朝かな? もしかして昼? 午後って事は無いよね?
思い浮かぶのは、昨日の夕方の、ちょっと悲しそうなオジさまの顔。
ずっと悠然と構えていたオジさまの、後悔の表情。
ふとするたびに思い浮かんでしまって、集中できない。
……あ~あ、昨日まではお店の事で頭がいっぱいだったのに。
オジさまがステキだと思ったのは間違いない。
助けられてトキめいちゃったのも認める。
でも、あたしの中の優先順位はずっと家族とサフラン香房の事だった。
昨日、ほんの少し仲良くなっただけで、もう頭も胸もいっぱいになってしまった。
今もこうして、いつ来るか、まだ来ないか、早く来て、と待ちわびてる。
ホウキを取る手も、さっきからずっと動いていない。
「来ないかなぁ……」
思わず漏らした独り言。
その呟きを神様が拾ったのか。
直後、通りの向こうから歩いてくるブルーの制服に灰銀の髪。
「オジさま!」
あたしのお尻にもしも尻尾がついてたら、きっとブンブン振り回していただろう。
溢れる慕情を隠し切れず、あたしはオジさまに駆け寄った。
「おはよう! オジさま!」
「……ああ、おはよう。 ……店の掃除かね?」
手に持ったホウキが連想させたのだろう。
「うん、そうだよ。 お店を開けてないとは言え、日課はこなさないと落ち着かなくって」
ウソだ。
「……手伝いが必要ならば手を貸すが?」
「大丈夫だよ! もう終わりにしよっかなって思ってたから」
気を遣ってくれるオジさまの気持ちは嬉しいが、そんな雑事をさせるワケにはいかない。
「それよりオジさま。 今日も……」
ずっと一緒なんですか? という言葉を飲み込む。
眼帯をしていない方の目の下。
クマを見つけてしまった。
「あれ? オジさま、寝不足?」
「……ああ、少々仕事が立て込んでいて……心配せずとも、任務には支障はない」
お仕事か~。
むぅー、あたしが手を出せる領域じゃない。 残念。
「……キミの方こそ、寝不足じゃないのかね? 目元が少し疲れているように見受ける」
「えっ!!」
やだっ!
せっかく朝から気合を入れてキメたのに、シャリエナチェックもOKだったはずだったのに……
うぐぅ~、恥ずかしい……
「あ、あはは、昨日ちょっと趣味に興じちゃって……」
「……疲れているのなら」
「そんなことよりオジさま! お腹空いてない? 朝ご飯ちゃんと食べた?」
万全じゃない顔を見られるのが恥ずかしくて、思わず誤魔化すように尋ねる。
「……朝は、いつも食べない」
「え~~! それはダメダメだよ! 健康の秘訣は朝ごはんから! だからそんな痩せてるんだよ!」
誤魔化しついでの質問だったけど、思わぬ回答を得られちゃったもんだ。
あたしは朝ごはん食べない人を許せない。
「……そのような事を言われても」
「じゃあ今日はあたしが作ったげるから、一緒に食べよ? ね? ほら?」
そう言ってオジさまの袖を引っ張る。
さすがに手を取るのは恥ずかしい。
しかし今のあたしは世話焼きハルネおばちゃんモードだ!
「遠慮なんかいらないよ。 どうせ今日もお母さんはいないし。 いっぱい作るんだし」
「……いや、しかし」
躊躇するのは分かってるが、ちゃんとご飯は食べないと。食べさせないと。
これは義務だ。 あたしの義務なのだ。
そう心に決めつける。
「いいから! シャリエナ~! お客さ~ん! 朝ごはん一丁!」
片手にホウキ、片手にオジさまの袖を持ち、お客だと言わんばかりに入り口を潜る。
有難い事にオジさまからの抵抗は少なかった。
「……なぁに~、お姉ちゃん? ウチはいつから食堂に……って、ヴァルグレイさん?」
「……ご無沙汰している」
店の奥から出てきたシャリエナと一緒に、そのままサフラン家のリビングへとなだれ込む。
朝ごはんは、一日の、活力なのだ!
―――――――
「ヴァルグレイさん、思ったより早く来たね。 良かったねお姉ちゃん。 朝から気合入れてメイクしたかいあったね」
「シィーっ! 黙りんさい!」
オジさまをリビングテーブルに無理やり座らせ、あたしたちは一緒にキッチンで調理に取り掛かっていた。
今日のメニューは、パンケーキ!
コンロの上には2つのフライパン。
片方は特製パンケーキ、もう片方は魔導冷暗庫から取り出した大きめのベーコン。
もちろん黒胡椒をたっぷり振りかける。
パンケーキにはしょっぱくて味が濃いのも合うのよ、コレが。
ジュージューと音を立てる肉汁の匂いが、さらなる食欲を誘う。
やっぱり朝は……お肉よね!
「いつも思うけど、お姉ちゃん、朝からよくそんな重いの食べれるね」
「朝だからこそガッツリ食べないと」
「だから太……」
「……何?」
「だから朝からいつも元気なんだね、お姉ちゃん」
食事のバランス量的に、朝が一番量を食べた方が良いとされている。
あたしは、朝いっぱい食べると、つい勢い付いちゃって昼も夜も沢山食べてしまう。
…………健康っ! 健康は何にも代えがたいのよ!
焼きあがったパンケーキをお皿に積み上げ、出来たものから順にテーブルへ持っていく。
「はい、こんなもんかな」
テーブルに並べられたのは、各々のお皿の上にパンケーキ。
ベリーのジャム、はちみつ、バター、ハーブを煮詰めた濃い目のグリーンソース。
付け合わせにベーコンと玉子焼き。
我ながら美味しそうだ。
「オジさまはコーヒーで大丈夫よね?」
「……コーヒーがあるのか?」
そして、2人分のコーヒー。 シャリエナはいつものハーブティー。
そう。こちらの世界にもあったのだ。 コーヒー豆が。
ウチの店では扱ってないけど、そこそこ貴重なモノ。
あたしはそんなに好きってワケじゃないけど、たまーに飲みたくなる。
お酒の好きなオジさまは、きっと苦めのブラックコーヒーが好きだろう。
出しても何も言わない所を見る限りきっとそうだ。
ストックがあって良かった。
「いただき……」
――ガランガランッ!
いただこうとしたところで入り口のドアベルが鳴った。
お客さんかな?
休業の張り紙はしてあるけど、もしかしたら緊急の要件かもしれない。
「わたしが行ってくるよ。 お姉ちゃんは先に食べてて?」
「そう? 悪いわね?」
「せっかくヴァルグレイさんが一緒だもんね。 じゃあ行ってくるね」
「ちょっとっ……」
余計一言は言ってくれたけど、余計な気を利かせてくれたシャリエナに感謝はする。
「先に頂いちゃいましょう」
「……妹さんを待たなくていいのかね?」
「いいのよ。 ご飯中に来客なんてそんなに珍しいものでもないし」
家族だから今更気を遣うような間柄でもない。
「いただきます!」
「……神よ、今日の糧に感謝いたします……」
パンケーキにペタペタとベリーのジャムを塗っていると、オジさまの様子が目に付く。
手が止まっている。
「オジさま、甘いの苦手って言ってたもんね。 でも大丈夫だよ。 ベーコンとバターと一緒に食べても美味しいよ~?」
「うむ……」
どう食べるか思案するような手付きながらも、その所作自体は洗練されていて綺麗だ。
そういえばオジさまは爵位持ちの貴族さまだった。
今更だが、こんな庶民飯を出すことに多少の抵抗を覚えたが、食べないよりはずっといい。
そう思いなおしつつ、たっぷりとベリージャムを付けたパンケーキをほおばる。
「ん~~~、やっぱりあたしのパンケーキもベリージャムも、絶品だね」
「…………ふっ」
!!
オジさま、今、笑ったっ!?!
「……キミは、実に、美味そうに、食べるのだな」
「んぐっ……よく言われますです」
は、恥ずい……
思った以上に大口だった?
自分の家だからか、リラックスし過ぎてるのかも……
「あたしばっかりじゃなくてオジさまも食べてよ!」
「……ああ」
見惚れるくらいに気品あるナイフとフォークの扱い。
オジさまは、あたしのオススメ通り、ベーコンを乗せたパンケーキを頬張ると……
「……美味い」
そう言ってくれた。
その瞬間、さっきの恥ずかしさも忘れて、胸にほわっと花咲くように嬉しさが広がった。
嬉しい……嬉しい……
作ったご飯を褒められる事は今までも何度かあったけど……
今までで一番嬉しい……
胸がつまって目頭が熱くなる。
こんな、事で……
でも……得も知れぬ達成感と嬉しさと共に沸き上がってくるのは……
ちょっと強引だったけど、朝ごはん、誘ってよかったということ。
「良かった……どんどん食べてね!」
いつもならもっと味を堪能するところだけど、今はちょっと分からない。
誤魔化すように、あたしも自分のパンケーキを大きく頬張った。
「……ふっ」
オジさまはまた柔らかい表情を見せて、気に入ったとばかりに、次へとフォークを口に運んだ。
そうやって、お互いにしばらく食事に夢中になっていると、ふと向かいに座るオジさまの視線が気になった。
あたしの顔をじっと見て……ほっぺのあたり?
……なんだか熱い視線。
胸がとくんと高鳴った。
「……え? もしかして付いてる?」
照れ隠しに大口で頬張った時かな?
自分でほっぺを軽く拭う。
オジさまの視線は外れない。
「ん~~……あれぇ?」
再度、自分の手で拭うが、取れた感じはしない。
オジさまの視線を確認しようともう一度表情を見ると、オジさまは眉を寄せ、困ったような表情で何かを考えていた。
既視感がある。
そうだ。 あの時、コートを掛けてくれた時のような……
オジさまは、こちらに手を伸ばしかけては、引っ込める。
そういう動作を2度ほど繰り返した所で、意を決したように懐に手を入れた。
ハンカチを取り出す。
そして、腰を浮かせ、テーブルを挟んだ向かいのあたしへ、ハンカチを持った手を近づけ……
口元を拭った。
――ひくっ
しゃっくりみたいな声が出た。
拭われたあたしは硬直したまま、オジさまに成されるがままだった。
顔の熱さをなんとか耐える。
しかし、オジさまの奇行はそれだけでは終わらなかった。
あろうことか。
あたしの口元を拭ったハンカチ。
それを、オジさまは、あたしの口元を拭った側を……
自らの口元へ寄せた。
……まるで確認でもするかのように。
……へっ?
理解できない。
頭の処理が追いつかない。
今、何をしたの?
顔が熱い以上に混乱している。
オジさまの、今の行動は……何?
時間にしてわずか1~2秒。
オジさまは、自らした行為に驚いているようにも見えたが、何も言わず、ハンカチを懐へしまった。
「ただいまー。 あ~、お腹すいた。 ……? 二人とも何固まってるの?」
戻ってきたシャリエナは、あたし達に何が起こったのか気付いてはいない様子だった。
その言葉に、ああ、固まってるのはあたしだけじゃないんだなあ、と、ぼうっとした考えを浮かべていた。
