灰色の雲が引いてゆく空の下、雨はすっかり上がっていた。
濡れたコーンの葉が風に揺れ、さわさわと優しい音を奏でている。
一方、先ほどの雨で柔らかくなった泥濘纏う土の道は、見ているだけ気分を重たくさせる。
空気はどこか張りつめて、小鳥の声すら聞こえなくなり、まるで時が止まったような空気が支配を始めると共に……
二人は、道の中央に向かい合うように立っていた。
「げっ! オジさま……」
思っていたはずの声は、知らずに外に、口に出していた。
なんの心の準備もしていないハルネは、思わず後ろを振り向いた。
(……なんでオジさまがいるの!? 一体どゆこと!!?)
ハルネはぎゅっと目をつぶり、ぎゅっと胸を押さえ、激しく鼓動を始めたハートを必死に押し込む。
落ち着け落ち着けと呪文を唱える。
その声は外にも漏れていたが、かろうじて対面の灰銀の騎士には聞こえていなかったようだ。
落ち着いたタイミングを見計らい、なんとなく手櫛で前髪を整えてから、ゆったりとヴァルグレイのいる方へ振り向いた。
笑顔で。
「こ、こんにちはオジさま? リ、リゼラちゃんの農場に何か用ですか?」
「……用があるのはキミにだ。 ハルネ・サフラン嬢」
あんれまあ。
……どゆこと? 一体どゆことなの?
リゼラちゃんの農場が目的だったら分かる。
だって昨日レルガさんが言ってたもの。
でも、あたしに用? いったい何さ!?
「え~っと、あたしに? 用、ですか?」
「そうだ。 私はこれからキミに同行する。 私の事は気にしないでいい」
はっ?
「え? なんですか? それ?」
「……理由を述べる事は出来ないが、キミの動向がそのまま捜査に繋がる事でもある。 今はそう思ってくれるだけでいい」
はっ? 意味わかんない。
……いや、ちょっと待って。
あたしの動向がそのまま捜査にって事は……やっぱりお母さんだ。
お母さんの行方を追うなら、娘のあたしかシャリエナに付くのが一番だ。
シャリエナは、お店でレルガさんが今は付いてるハズ。
だからあたしの方は、ヴァルグレイのオジさまが付く、と、そういうワケね。
……とはいえ。
「そんな事言われても……」
そう、そんな事言われてもだ。
いきなりの遭遇でびっくりしちゃったけど、さらにオジさまと一緒なんて……
気を揉んでいるあたしを察したのか。
「……私の事は気にしないでいい。 キミの好きにしたまえ」
オジさまはそう言ってくれてはいるが、正直気持ちの整理がまだ付いたとは言えない。
うーん……
「……少なくとも、私が同行している間は、絶対にキミを危険な目に合わせたりはしない。 何があろうとも、必ず、守る」
ま、守る!?
きゅんっ! は、はわぁ~~!
……ま、まぁ、いいか。
オジさまが付いてこようがあたしのやる事は変わらないし!
―――――――
ぬかるんだあぜ道を、ぽてぽてと歩く。
あたしは前を歩き、その後ろから、オジさまがまるで定規でも引いたかのような、正確な距離を保ちながら歩く。
「…………」
「…………」
水たまりを避けながら、ぽてぽて歩く。
オジさまの足音は、耳をすませばかろうじて聞こえる。
パチャっと、お気に入りのベージュの編み上げショートブーツに泥が跳ねる。
後ろからの足音はほとんど聞こえない。
聞こえるのはあたしの重そうな足音だけ。
そこにイラついた。
「…………っ!」
「…………」
足を止め、キっ!と後ろを振り返るも、オジさまは何の表情も見せない。
その無表情はまるで「早く行け」と急かしているようにも見えた。
やはり感情色は、視えない。
ん~~~~~……
ん~~~~~~~~~っ!
なんなのよっ! もうっ!
ああもう……なんなのよもうっ!!
事情があったのかもしれないけど、まだ許せてない!
なんで同行するの!? なんであたしに付いてくるの!?
なんとなくお母さんの事かもとは思うけど、もうちょっと話してくれてもいいじゃんか!
でも分かる。
まだ付き合いは浅いけど、このオジさまは絶対理由を話さない。
そういう人だってのはなんとなく分かる。
う~~~、あたしの気持ちはどうなるのよ……許せてないのに……好き……でも、嫌い!
う~~~~~~っ……
「…………はぁ」
「…………」
思わずため息が出てしまった。
でもため息とともに、緊張も抜けた。
ついさっきまで、いっぱい泣いてしまった事を思い出す。
……オジさまの事で。
せっかくリゼラちゃんに慰めてもらって、気持ちはちょっと落ち着いたんだ。
ここはひとつ、もうちょっとだけ落ち着いて、改めて考えてみようじゃないのさ。
そう切り替えて、再びあぜ道を歩き始めた。
許せない。
オジさまの事、許せない。
そう思う気持ちはなんだろう?
冷たくされたから? 態度が悪かったから?
……ううん、きっと違う。
許せないのは、きっと、あたし自身にだ。
許しちゃうあたしを許せないんだ。
好きな相手に蔑ろにされた。
それなのに許しちゃうの?って。
オジさまを好きなあたし自身を。
自分を、守ろうとしてる。
……なんだ、結局、あたしもあたし自身が可愛いだけだった。
自分が大切なだけだった。
……だけどさ、それで、いいのかもしれない。
ヒトってそんなもの。 みんな自分勝手。
そういう感情色もいっぱい見てきた。
でもさ、みんな、自分も大切だったりするけれど、周りもいっぱい大切にしてる。
自分だけが大事だなんて人はいない。
周りもちゃんと大事なのよ。
あたしはそれを信じてる。
だから、オジさまにも、あたしを大切にしてほしかった。
あたしの心を大事にしてほしかった。
あたしのオジさまの好きな心を認めてほしかった。
否定、されたくなかった。
だから、痛かった。 苦しかった。 辛かった。
じゃあ、どうしたらいいんだろう?
この許せない心はどうしたら晴れるんだろう?
……もしかしたらオジさまにも事情があるかも。
そう考えたとき、ふと気が付いた。
あたしは、オジさまを好きだけど、オジさまの事、何にも知らない。
だったらさっ!
知ればいいじゃんっ!
前世からの長い人生経験。
こうやってこじれちゃった人間関係もいくつか知ってる。
その答えも、気付いてる。
そう、コミュニケーションだ。 コミュニケーションが足りない。
あたしとオジさまにはコミュニケーションが足りてない。
まだ会ったばかりだもんね!
きっとオジさまを知れば「んもう、オジさまらしいな!」って思わず笑っちゃうかもしれない。
「仕方ないから、ワッフルで手を打ってあげる」なんて冗談をいう日も来るかもしれない。
オジさまだって、あんなに優しく困った顔で涙を拭いてくれる人だもの。
冷たいだけなハズがない。
あたしはそう信じてる。
あたしはオジさまが好き。
そうだよ。
恋してる。
オジさまがあたしに恋するなんて、絶対に無い事だけれども。
あたしを好きになって選んでくれるなんて、絶対に無い事だけれども。
仲良くだったら、なれるかも!
だって、オジさまの事、もっと知りたいもん!
……………
「ねっ! オジさま?」
そう言ってハルネは振り返る。
先ほどの仏頂面はどこへ行ったのか。
一転、笑顔でトーンの高い声。
ヴァルグレイは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにまた訝しむような無表情へと戻る。
「お話、しましょう!」
と、トトト、とヴァルグレイの横に並ぶ。
「後ろからあたしを見るだけじゃ、お話出来ないし、つまんないでしょ?」
「……話す事など、無い」
取り付く島もないヴァルグレイだが、ハルネはめげる事無く、
「まー、そう言いなさんな。 オジさま、あたし、分かるよ。 事件の事も営業停止の事も、何も言えないんでしょう?」
「…………」
「やっぱりそうだ」
小首を傾げながら顔を覗き込むハルネ。
沈黙は肯定の意。
ヴァルグレイのソレだけは分かりやすかった。
「世間話ならいいでしょう? オジさまの事、もっと知りたいの!」
「……何が聞きたい」
応えてはくれたものの、物言いは相変わらず冷たい。
「あ~、冷たい言い方~。 あのね、オジさま。 まだ会ったばかりだけど、オジさまが誤解されがちってのはすぐ分かるよ」
「…………」
「あのね、今朝の事。 すごく悲しかった。 営業停止なんて一大事なんだから。 その理由、知りたかったのに、あんなにつっけんどんな態度。 酷いよ? もう」
今朝はボロ泣きのハルネだった。
しかし、今は笑顔で言える。
「酷いよ、もう?」と。
「事情があるならそう言って欲しくて。 優しく教えてほしかった。 とても悲しかったんだよ? ホントは察してほしかったのに、言葉に出すのは乙女の敗北。 でも、ちゃんと言わないと、伝わらないものね」
「…………」
「オジさまはステキな紳士だけど、冷たくて誤解されがちだろうから、そんなんじゃ奥さんに愛想尽かされちゃうよ~?」
「……妻など、いた事は無い」
「…………っ!」
ちょっとした探りのつもりだった。
でも、独身だと知れた事が、ハルネの心を少しウキウキさせた。
「ねえ、オジさまは、何が好きなの? 例えば、好きな食べ物とか?」
歩きながらも、ハルネはヴァルグレイの顔を覗きこみながら、目を合わせて話す。
身長差が随分あるせいで、どうしても少女が小首を傾げてるような仕草になってしまう。
「あたしはね~、見て分かるかもしんないけど、食べるのが好きなの。 自分でもいっぱい作るんだよ。 お菓子とかも作っててさ、お店にも並んでるから……営業停止が空けたらさ、オジさまも食べに来てよ。 美味しいって評判なのよ?」
「……甘いものはそれほど好まない」
「……え、えぇ? あ、甘いのダメ? そ、そうなんだ~。 だいじょぶだよ。 しょっぱいのもあるよ!」
否定が悲しいのか、それともちゃんと応えてくれる事が嬉しいのか。
ハルネの声に震えが混じる。
「甘いのおすすめなのにな、一回食べてみてよ。 甘いモノが好きじゃないって事はさ、オジさま、結構お酒飲む人?」
「……酒は、多少は嗜む」
「そうなんだ! あたしもちょっと飲むよ、お酒! 甘い蜂蜜酒が好きなの!」
「……蜂蜜酒は、よく嗜む」
「……っ! そうなんだ! 蜂蜜酒好きなんだ! 良かった! あたしと、おんなじだね!」
共通点が見つかって嬉しいのか。
思わずヴァルグレイの袖を引っ張り、
ほんの少しだけ目に涙を浮かべながら、
そしてちょっぴり身を乗り出して……
春色の笑顔で応えるハルネ。
その笑顔に、ヴァルグレイの無表情が、ほんの少し和らいだ気がした。
……………
会話は、彼らのペースで進行していく。
ハルネがワーっと喋り、ヴァルグレイがぽつりと応える。
回っている歯車の速度の差はあれど、相互コミュニケーションとしては成立していた。
雨上がりのあぜ道を、ぽてぽて歩く、ぽっちゃり娘と灰銀の騎士。
会話に夢中の彼女は、気付かない。
ヴァルグレイが、彼女の歩調に合わせていることを。
「オジさまの瞳、綺麗な色だよね。 あたしと同じ琥珀色の瞳なのに、こんなに綺麗な色、初めて見たよ」
「……キミの瞳も綺麗だが?」
「おうぅふっ!!」
不意打ちすぎる。
うおー、勘違いするなー。
これはただ同じ言葉を返しただけだ。
オジさまにその気は欠片も無い。
「……先ほどから、気になっているのだが」
「おっ? なんです?」
不意打ちを食らって胸を押さえていたあたしだが、初めてオジさまの方から振ってくれた話に食いつく。
なんですかな?
「その……『オジさま』というのは……」
「あ~~、それ、気になっちゃいます?」
心の中で勝手に呼んでいたのが、いつの間にか口にも出てて定着までしてしまっていた。
「そういえば、オジさまはお貴族さまですものね。 やっぱりゼオファルドさんとお呼びすべき?」
今更だけど。
「……いや、サフラン嬢がそう呼びたいのなら、好きに呼べばいい」
「そうそう、それそれ。 サフラン嬢なんて堅い呼び方しないでさ、ハルネって呼んで欲しいな」
親しくなるには、まず名前から。
オジさまをオジさま呼びしてるあたしが何を言うのかって話だが。
「……いや、それは」
「いいんですよ。 あたしが呼んで欲しいって言ってるんだし」
お? 行ける?
と、思ったところで、あぜ道は途切れ、西街の中通りが見えてきた。
「あ~、楽しいお話もここまでだね~」
どちらにせよ同行しているとはいえ、おしゃべりに夢中になれるのはここまでだ。
いっぱいオジさまの事が聞けた。
あたしの事も知ってもらえたと思う。
お店の事は気まずいからあんまり話せなかったけど、妹の事、ギルドの事、好きな食べ物、色が好きな事、エモパレポーションの事、食べる事が好きな事、あたしの事、結構知ってもらえたかな。
オジさまの事もちょっと知れた。 お酒が好きな事、タバコは吸うけど実は苦手な事、昔は軍に属していたこと、独身で、仕事が趣味。
「……キミは、本当に何も聞かないのだな」
「え? なに? お店の事? 事件の事?」
そういえばヒョロキモの件も全然聞いてない。
まあそれは諦めてる。 答えないって。
「……説明が足りない、というのは自覚している。 が、話せないのは本当だ」
会話を続けていく内に、オジさまの態度と表情がちょっと柔らかくなったと感じている。
っしゃ! やっぱ、コミュニケーションよっ!
「……それでも、もう少し言い方があったと反省した。 すまなかった」
……そう言ってオジさまは頭を下げてくれた。
もういいのに……とは思っていた。
それでも、あの時傷ついた自分が、そのオジさまの言葉に、笑顔を取り戻した気がした。
嬉しい……嬉しいよぅ……
たとえ恋が実らなくても、
たとえ異性として好きになってもらえなくても、
ちょっとでも仲良くなれたのは本当に嬉しい。
……仲良くなれて嬉しいのは本当。
でも、それでも、やっぱりあたしの恋心は、
欲しい欲しいと手が伸びる。
オジさまの愛が欲しい。 好きになって欲しい。
コミュニケーションを取って、オジさまの事をちょっとだけ知って。
どうしよう。 ますます好きになっちゃった。
ダメなのに。 愛されるワケないのに。 選ばれるワケないのに。
絶対あり得ないのに……
それでも、今は、もっと仲良くなって、あたしを、もっと、知って欲しい。
その気持ちだけは、今は、許してね……?
「えへへ……」
謝罪してくれたオジさまへのお返しの笑顔は……
目の端に涙が浮かんで、
ほっぺも引き攣って、
やっぱり、可愛くなかった。
