大きな倉庫の扉は半分だけ開け放たれ、しっとりと濡れた外の空気が、埃っぽい土の香りと混ざり合って漂っていた。
ふと聞こえる家鳴り。
木材の軋む音がギシリと音を立て、雨上がりはもうすぐだと知らせを告げる。
リゼラは木箱を一つ持ち上げ、棚に積み直している。
腕まくりをした作業着の袖が、小さく揺れた。
ハルネはそのすぐ脇の木箱に腰をかけ、頬杖をつきながら、じっとその後ろ姿を見つめていた。
さっきの会話。
昨日から今日にかけての出来事。
そして、心の奥にしこりのように残ったあの疑問……
――「ノクセラ草が原因なら、なんでリゼラちゃんの農場は何のお咎めもないの?」
ハルネの瞳が遠くを見据える。
癒しと親しみが灯る優しげなタレ目が、理知的な炎を取り戻し、少しずつ色を持ち始めていた。
感情はすでに鎮まっている。
―――――――
作業の途中だったからと、倉庫整理に戻ったリゼラちゃんを「あたしも」と手伝いを申し出た。
しかし、二人で動かすような大物は少なく、あっという間に手伝いは終わる。
持て余した時間を、木箱に座りながら、先ほどの考えを反芻していた。
「う~ん、リゼラちゃんちの在庫が全部捌けちゃったから? ノクセラ草ってあたしに昨日売ってくれた分が最後でしょ?」
「……んしょっと。 そうだけど、今育ててる分もあるよ? ノクセラ草がウチにもあるのは変わりないんじゃない?」
リゼラちゃんは木箱を棚に置きながら、あたしの質問に答える。
うーん、そうだよね……
「そういえば、それで思い出したよ。 ノクセラ草を、あたしの前にいっぱい仕入れてった人がいたんでしょ? しかも高値で」
「ああ、いたね。 見るからにお金持ってそうな人だった。 商人っぽいって言われたらそうだけど」
「それよ。 絶対そいつ怪しい! それを聞きに来たんだった」
オジさまショックが強すぎて、今まですっかり忘れていた。
「そいつの居場所教えてよ」
「いいよ。 ちょっと待ってて」
そう言ってリゼラちゃんは母屋に戻っていく。
帳簿を確認しに行ったんだろう。
ノクセラ草が関係してて、あたしは作ってないんだから犯人はそいつで決まりじゃん。
……うーん、でも、そんな簡単な話かなぁ?
なんか穴が有りそうな……
リゼラちゃんを待つ間、うんうん唸りながら考える。
「はい、お待たせ」
帳簿とメモ帳を持って、すぐに帰ってきたリゼラちゃん。
「えーと、ちょっと待って…………はい、住所も書いておいたよ」
「ありがと。 えーと……「ドルマール商会」か」
「アタシが納品しに行ったときは、高そうな品がズラリと並んでて、お金ありそうなお店だった。 多分貴族向け」
「何を扱ってた?」
「んん~? あんまり覚えてないけど、なんか古い楽器とか骨董品が沢山置いてあったよ」
「骨董品屋がノクセラ草を、ねぇ…………」
「ああ、お酒とかもあったな。 その辺で使うのかな?って思って、特に気にしなかった」
大雑把なリゼラちゃんにしては結構覚えててくれていた。
うーん、今の段階ではなんとも言えない。
「むー、とにかく実際に行ってみるよ。 そういえばこの商人の男の人の話って、あたしの他にもした?」
「ううん、ハルネが初めてだよ」
調査局も、まだここまで捜査が及んでいないのか。
昨日のレルガさんの話では、次はリゼラちゃん農場みたいな話だったっけ。
だとしたら、まさに今日あたりココに来そうだね。
とにかく聞きたい事は聞けた。
「用はそれだけ? あ、そうそう、アタシの方からもハルネに一つ確認があった」
そう言うとリゼラちゃんは奥から一つ麻の袋を持ってきた。
「コレコレ。 昨日の激辛チリペッパー。 まあハルネんとこだし、適当な時間に持っていこうかなと思ってたんだけど、その……お店が、そういう事になっちゃったろ?」
「営業停止の事はもう気を使わないでいいよ。 大丈夫」
リゼラちゃんの気遣いがちょっと嬉しい。
「そうだねー……うん、いいよ。 昨日言った通り、あるだけ頂戴。 どっちにしてもすぐに店頭には並べないんだよ。 コレそもそも激辛だし、色々研究しないと」
そのままで売るのか、加工して売るのか。
その判断をする時間ってのもあるけど、基本的には加工しないと大きな利益にならないからね。
以前のサフラン香房では、こういうスパイスもそのままで売っていたけれど、あたしの介入により、副次効果をつけて価格そのものを上げるようにしてからは、利益は倍増した。
あと……ペッパーボムも、より強力に出来るね。
「さすがしっかりしてるね、ハルネは」
「当たり前だよ。 こういう細かい所から利益を積んでくんだよ? せっかく店主になったし、今後もこういう所はちゃんとしないとね」
「え? 店主? ハルネ、店主になったの!? いつ!?」
リゼラちゃんが驚いて肩を掴んでくる。
うお~、揺らすなぁ。
そういえばご飯後の話では、その話はしなかった。
「そういえば言ってなかったね。 つい昨日からなんだよ、えっへん!」
冗談めかして胸を張る。
「そっかぁ、ハルネもついに店主かぁ……というか、遅いぐらいだよね。 うん、おめでとう」
ぱちぱちぱちと祝ってくれるリゼラちゃん。
その気持ちは嬉しいけど、感情色が子供を見る親のそれになってるよ? リゼラちゃん?
「アイリスさんはどうするの? そのままご隠居?」
「どうするんだろうね? その辺まだ聞いてない。 なんか酒場で気の合った人としばらく旅に出るってさ」
まったく勝手な人だよね。
お母さんらしいけど。
「ふーん、営業停止になったってのに相変わらず呑気というか、豪快な人だね」
「お母さんは営業停止になったのは知らないよー。 店主の委譲書を貰ったのも、つい昨日……で、さ……」
……あれ?
…………あれ?
「? どしたんハルネ? フリーズして」
「……そうよ。 お母さんがいなくなった次の日に営業停止……」
あたしの中で何かが繋がった音がした。
とてもイヤな……
「え? ……まさかっ!」
「そうよっ! あまりにタイミングが良すぎるっ! きっとお母さんが関係してるんだわ!」
「いやいや、それは無いでしょ! あのアイリスさんだよ?」
リゼラちゃんもお母さんとは面識があり、そのキャラは知っている。
「あたしだって信じたくない! でもそうとしか考えられない!」
「でも……」
「今まで面倒くさがって、店主譲る話も、さんざん延び延びになってたのに、このタイミング!」
「待って! 落ち着きなよハルネ! いくら何でも飛躍しすぎ……」
「お母さんは錬金技術も持ってる! 「ノクセリウム」って物を作ってた可能性も、100%否定は出来ない!」
リゼラちゃんは信じてないみたいだけど……あたしは確信めいたものを感じた。
「ハルネの目を盗んで調合してたって事? 確かにノクセラ草自体はサフラン香房にあったんだもんね……」
「ううん。 あたし、在庫管理はキッチリやってるの。 だからお母さんが勝手に使ったら分かるハズ。 でも、ここに来て、サフラン香房以外のノクセラ草の買い取り手が出てきた……」
「ドルマール商会の事? アイリスさんはそこからノクセラ草を使ってたって事? わざわざハルネの目を盗んで?」
ありえなくはない。 後ろめたい事があるのなら……
「まだあるの。 たしかね、昨日オジさまが最初に聞いてきたのは、お母さんの在宅だった」
――「店主の、アイリス・サフランは在宅かね?」
「店長はアイリスさんなんだから、そこはおかしくなくない?」
「でも……あたし気付いちゃったの。 なんでオジさまがあんなに冷たかったのか……」
「……母親を疑っているって? それを、家族のハルネやシャリエナが知ったら悲しむから……」
やっぱり事情があったんだ……
納得できる事情が見つかり、胸のトゲが一つ取れた気がした。
……うんにゃ! やっぱりあのオジさまの態度は許せない!
ふん! 簡単には許してやらないんだからっ!
「……たしかに、聞けば聞くほどアイリスさんが怪しくは思えてくるけど……」
リゼラちゃんの感情色は、まだ疑い切れていない信頼の色が残っている。
リゼラちゃんの気持ちも分かる。
あのお母さんが? とあたしも思う。
確かに、この閃きがあまりに繋がり過ぎていて、視野が狭くなっている自覚は多少ある。
固執し過ぎるのも良くないかもしれない。
……でもやっぱり、少なくとも今は、そうとしか考えられない。
「とにかく! 目標がハッキリした! お母さんを見つけてその事を聞かないと! その為にはまず……」
「ドルマール商会での聞き込みね。 もしもアイリスさんを知ってたらハルネの推理は正しい、と……」
「信じたくないけどね」
うん! やる事は決まった。
二つの目標。
お母さんを見つける!
そのために、まずはこのドルマール商会を調べる!
―――――――
雲の隙間から晴れ間が見える。
小雨はすっかり止み、雨上がり特有の醸された土の匂いが鼻をくすぐる。
雨宿りから帰ってきた小鳥たちも、囀りを始める。
温かい陽射しが春の陽気を、一際強い風が春の空気を持ってきていた。
照らされた陽の中、リゼラの農場の前で、ハルネはリゼラと向かい合う。
「ハルネ……お店も、アイリスさんの事も大変だろうけど……頑張って!」
「うん、リゼラちゃん、本当にありがとう。 リゼラちゃんが親友で良かった」
「……ハルネの力になれて良かったよ。 恋の方も、頑張ってね!」
「それは……わかんない!」
――もし上手く行ったら聞かせてね、とリゼラは結び、ハルネは農場を後にする。
う~、最後に余計な事を言ってくれちゃって、リゼラちゃんめ。
でも、うんと甘えさせてくれたから許してあげる。
正直、オジさまの事は、全然整理がついてない。
泣いてすっきりしたけれども、事情があるかもって気付いたけれども。
やっぱり許せそうにない。
……でも好き。
気持ちがちょっと整理できたからか、オジさまに対する気持ちはむしろ高まってしまった。
今だって、あの瞳の琥珀色を想像するだけで、きゅうっと胸が苦しくなる。
……でも許せん!
まぁ、いいや。
どうせしばらく顔を合わせる事なんて無いんだから。
今はそれよりドルマール商会へ。 真相へ。
お母さん……ホントにまさかとは思うけど、信じたくはないけれど。
ううん、それを確かめに行動するのだ。
だって推理の根拠はタイミングだけ。
それにあたしの考えが間違ってたっていいんだ。
何が起きてるのか確かめる。
そして、営業停止を絶対解いてやるんだ!
来た時の小雨はどこへやら、どんどん隙間が広がる白と青の雲間。
そして明るくなっていく春の陽射しを浴びながら。
ハルネは顎を上げ、前を向いて、目的地に歩き始めた。
「さっ! 調査開始よ!」
……という気概は、すぐに崩れ去った。
相変わらず傾いた柵の、緑のコーン畑のあぜ道を元気に歩く。
すると、前から覚えのある人物の影が見えた。
黒のロングコートの裾から覗くのは、黒く磨かれた軍靴型のベージュのブーツ。
黒を差し色に藍色に染め上げられたシックな制服。
遠目にも目立つ灰銀の髪、そして眼帯。
佩刀した剣の柄に手を当て、威風堂々、泰然自若、ここからでも感じる威圧の空気。
鬼の副局長、ヴァルグレイ・ゼオファルドが待ち構えていた。
「げっ! オジさま……」
先ほどの決意は大きく乱れ、コーン畑を凪ぐ風の音が、波乱の予感を感じさせた。
