第二調査局――そのロビーは、音がよく響いた。
誰かの足音、誰かの溜息、軽く咳払いするだけで、その広い空間に遠慮は無しと駆け回る。
光をよく通す高窓が清潔感を、しっかりとした石造りの床が冷たさを、控えめな装飾は武骨さを表していた。
隅に置かれたただ一鉢の観葉植物だけが、春の陽気と、そして人が存在する空間だという事実を漂わせていた。
受付には角ばった眼鏡をかけたどこか老けた男。
仏頂面を張り付けたような顔は、初老にも見えるし若輩に見えなくもない。
その前で声を荒げるのは、少々ふくよかな若い娘。
ケープのリボンを胸に携え、桜の花びらを模した髪留めが、ストロベリーブラウンの髪に良く似合う。
ハルネ・サフランだった。
男は諦め半分、苛立ち半分の様子であしらってはいるものの、ハルネは一歩も引く様子はない。
そして何度目かの言葉の応酬が、今また始まろうとしていた。
―――――――
ギルドで調査局の場所を聞いたあたしは、迷わず第二調査局の建物へと向かった。
人の出入りが激しそうな第一調査局と違い、どこか静かな雰囲気漂う第二調査局は、少しだけ入るのを躊躇させた。
ええい、ここまで来たんだから腹を決めろと扉をくぐる。
受付で面会の旨を伝え、面会書類を渡した所で押し問答が始まり……今に至る。
「だからぁ……アポは無いんだろ? 副局長は忙しいんだ。帰った帰った」
「だからちゃんと面会の書類も書いたでしょ! 会わせなさいよ!」
「相手がゼオファルド卿だと知ってたら、書類なんぞ書かせなかったよ。 ほら、帰れ」
くそー……相手にするのも面倒だって感じの感情色してくれちゃって……
何か無いかな、手札……
生活が……お店がかかってるんだから!
あたしだっておいそれと引くわけには行かないのよ!
「そうだ、事情聴取! 昨日、ヴァルグレイのオジさまが、あたしの店に来たの聞いてない? その時の事件で言うのを忘れてた事があったの! 本人に伝えたいの!」
もちろんブラフだ。
とにかく会いさえすれば……
「事件ん~?? ……面会書類の署名は『ハルネ・サフラン』……そういえば……いや、やっぱり知らん! そのうちそっちに捜査員が行くだろう、そいつらに聞け! 俺の手を煩わせるな!」
ムカっ!
こいつ今……――閃きの白い感情色を出したクセに……知らないフリしたな!
こいつじゃダメだ。 話にならない。
どうしよう……どうしよう!
このままじゃお店が……サフラン香房が……
うううぅ……
「おっ! ハル姐さんじゃないッスか! 探しやしたよ!」
押し問答で気付かなかった。
いつの間にか、入り口からブルーの制服を着た一人の調査局員が、あたしに話しかけてきていた。
この人はたしか……
「レルガさん!」
そうだっ!!
「レルガさん! あたし、ヴァルグレイさんに話してない事あるの! 話したいの! お願い、取り次いで!」
「え? ええ??」
なんでレルガさんがここにいるのか、あたしを探してたのか分からない。
けど……これを利用するんだ!
「いいよね!?」
「あ、ハイ。 わかったッス……俺もそのつもりだったんでいいっスよ」
やった! 第一関門クリア!!
「そういうワケでこの子は俺が預かるんで。 いいッスよね?」
「レ、レルガ捜査官! は、ハッ! 了解であります!」
―――――――
「実は今朝早く、サフラン香房の方に寄らせてもらったッス。 調べたい事もあるし、掃除も手伝えって命令だったっスからね……」
レルガさんが事の顛末を教えてくれている。
けれど、あたしの耳には全く入ってこない。
オジさま……ヴァルグレイのオジさま……やっと会える。
自然と歩みが速くなる。
会って……会って、話すんだ。
……どうして営業停止なんてひどい事するの?
……あたしの事、ちょっとでも気に入ってくれたんじゃなかったの?
やっぱり気のせいだったの……?
どうやら副局長室は応接室とは違う専用の部屋で、奥まった所にあるようだった。
遠い。 遠い。 早く着け。
早く着いて…………ううん、着かないで……
「掃除は正直面倒ッスけど、噂の美人姉妹と一緒なら逆に役得ッスからね! 張り切って朝早くから向かったんッスけど、どうやらハル姐さんとは、すれ違っちまったみたいで……いやね、俺もおかしいと思うんスよ。 即日急に営業停止だなんて……」
一生懸命レルガさんが話しかけてくれている。
けれど、やっぱりあたしの耳には全く入ってこない。
靴音はどんどん速くなる。
まるで今のあたしの鼓動のように、コツコツ、トクトク、加速を増していく。
どうして裏切ったのさ……
どうしてあたしからお店を取り上げるの……?
ひどいよ……あんまりだよ……
好きになれると思ったのに、理想だったのに、なんでこんなひどい事するの?
あんな気持ち初めてだったのに……通じ合ったって思えたのに!
――そんなものは全部、お前の勘違いだ。
ちがうっ!!!! 勘違いじゃないもん!!
あんなに幸せな気持ちをくれたのに……!
あんなに優しく涙を拭ってくれたのに……!!
「ここッスよ」
いつの間にか、目的の扉に辿り着く。
レルガさんは無遠慮に、そして気軽に扉をノックする。
この扉の向こうにオジさまが………
――コンコン
「レルガっスー。 副局長、入りますよー?」
「――入れ」
扉越しに聞こえたオジさまの声。
……ヒュっと、自分の息を飲む音が聞こえた。
その呼吸を整える間もなく……
扉は開かれた。
―――――――
そこは、一人の私室としては少々広い部屋だった。
落ち着いた色の木目の戸棚には、整然ときっちりと資料が並べられ、床にはチリ一つない様子。
隅に観葉植物が一つ。
ロビーと同じものだろうか?
……普段のハルネなら、もう少し部屋を観察する余裕があっただろう。
しかし今の彼女の瞳は、とある壮年の男に釘付けだった。
奥まった所にある業務用の机に座り、書類を読んでいたばかりと思しきヴァルグレイは、こちらをなんとも思わぬように一瞥しただけで、こう言った。
「……やはり君か」
――ぶわっ!
噴き上がった怒りで背中が総毛立つ。
叫び出したいところを、詰まった喉がそれを許さない。
「何それ……あたしが来るの、知ってたの……?」
押し殺すように声を絞り出す。
「……ここに来ることが無いよう、レルガを寄越したはずだが?」
「へぇ、すいやせん、入れ違いまして……」
そう答えるレルガさんを他所に、オジさまは興味が無いとばかりに、再び書類に目を落とす。
その態度に再びカチンと来て、キレた。
「ちょっとっ!! それだけ!? ちゃんと説明してよ!! 貴方の仕業なんでしょう!!?」
オジさまは、まるで聞こえていないとばかりに動かない。
「ゼオファルド卿……ちょっとは説明してあげても……」
そんなオジさまの態度をあんまりと思ったのか、レルガさんが助け船を出してくれた。
「必要ない。 レルガ、何をしている? さっさと店に戻れ」
「……へい。 じゃあ、ハル姐さん、またいずれ……」
レルガさんが気を使って、ドアの音を鳴らさぬようゆっくりと扉を閉めてくれたのも、この時のあたしは気付けない。
部屋には、あたしとオジさまの二人きりになった。
沈黙が支配する時間が過ぎる。 まるでこの部屋には人など存在しないよう。
「…………」
「…………」
……なんで何も喋らないの?
あたしみたいな木っ端市民に言う事なんか何も無いってワケ?
再び苛立ちが募り、口を開こうとした刹那……
「……そこで何をしている? 早く店に戻れ」
ギリッ! 歯を食いしばる音。
オジさまのそのなんでもないような冷たい言葉に、一気に感情が……怒りが吹き上がった。
「何さっ! 何でよ! なんで営業停止なのよ!! 急にっ! 何の説明もなく!! 酷いよ! あたしの大事なモノ……取り上げないでよっ!!」
酷いよ……
オジさま、あたしの味方じゃなかったの?
お店の味方じゃなかったの??
助けてくれたじゃない……
抱き寄せて、くれたじゃんか……優しく、抱いてくれて……
あったかいコートも掛けてくれて……
あんなに、優しくしてくれて…………全部、ウソだったの?
「営業停止にしたのは必要なためだ。 それ以上詳しく言う必要は、無い」
無い……
無い……無い……
……あたしへの気持ちも無いって事なの?
なんでそんな突き放すのさ……どうしてそんなに冷たいの?
あたしが傷つくって分からないの?
だったら……どうして、こんな気持ちにさせたのよ!?
なんで優しくしたのよ! だったらずっと冷たいままでいてよ!!
もう好きになっちゃったのに……オジさまもあたしを気に入ってくれてるって思ったのに!!
こんなあたしでも……太ってるあたしでも……選んでくれるって期待したのに!!
あたしを特別に思ってくれるかもって、期待したのに!!
涙を拭いてくれた時も、あんなに幸せをくれたのに……!
あたしから……お店も、幸せも、取り上げないでよぉ………
ついぞ、涙が零れ始める。
オジさまは何も言葉を続けない。
何も届かない。 あたしの気持ちは届かない。
あたしは下を向いたまま、涙を落とす。
まるで親に叱られた子供のよう。
なんの涙かは分からない。
あたしの感情はグチャグチャだった。
自分で自分を制御できない。
なんでこんなに腹が立つの?
なんでこんなに悲しいの?
好きなのに、ムカツく!!
好みなのに、嫌い!!!
この人しかいないって思ったのに!
運命かもってトキメいたのに……
オジさまの事もっと知りたかったのに……
いっぱい知って、何が好きなのか、知りたかったのに……
あたしの事も、いっぱい知ってもらって……
初恋なのに……恋人になれるかもって……
いっぱい、いっぱい……甘やかしてあげたかったのに!
……オジさまは、一体、何を考えてるの?
ねえオジさま、ただの仕事だったの?
あたしの事、気に入ってくれてたんじゃなかったの?
ねえオジさま、一体、今、どんな感情なの?
ねえ…………どうして……?
なんで……どうして……?
どうして…………感情色が、視えないのよぉぉ~~~ッ!!!!
なんでさ! どうして?
今!! 一番、知りたいの!! オジさまの感情!!
肝心な時に! なんでさ!? なんで視えないの!?
いくらオジさまを凝視しても、何の色も浮かんでこない。
何の温度も感じない。
こんな事、今まで一度も無かったのに!!
今使えないで、いつ使うのよっ!!
使えない異能に腹が立つ!
期待した自分に腹が立つ!!
視えないオジさまが一番腹が立つ!!!!
涙はますます止まらない。
歯を食いしばって奔流する感情に耐える。
すると、いつの間に席から立ったのか。
琥珀色の瞳が、すぐ近くに……
オジさまは、昨日のハンカチを手に携え、こちらに向かって手を伸ばすところだった。
―――ギリッ!!
「何さ! いらないわよ!! そんなもの!!」
バシっ! とオジさまの手を払いのける。
もういい、分かった。
オジさまには頼らない。
好きになったのも間違いだった!
全部あたしの勘違いだった!!
結局頼れるのは自分なんだ!
お店だって、人間関係だって、今までだってそうして回して、生きてきたんだ!
あたしなら、一人だって、出来るんだっ!!
「もういい! オジさまには頼らない! 結局ノクセラ草なんでしょ?! あたしが犯人捕まえて! ここに持ってくればいいんでしょう!!? そうすればほら、円満解決! あたしもハッピー! オジさまもハッピー! それで、満足よねっ!??」
そうと決まればさっさと調査だ。
こんなところにいられるか。
「ふん! 邪魔したわね! ばいばい!」
――バタンっ!
あえて乱暴に扉を閉めてやる。
へんだ、ざまあみろ。
そのまま、あたしの店の入り口みたいに壊れてしまえばいいんだ。
さあ、これからだ。 やる事だ。
……ノクセラ草、それがキーワードだ。
だとしたらまずは……リゼラちゃんち!
―――――――
「入るわよー。 ヴァルグレイ?」
魔女帽を被り、魔法省の制服を身に纏った、若い……いや少しばかり歳を重ねた美しい女性が、副局長室の扉を叩いた。
その麗しい手には書類が一枚、握られている。
「何してんの、アンタ?」
机の傍で、何をせず、ぼーっと立ち尽くしているように見えるヴァルグレイ・ゼオファルドの姿を見て、リオーネは意味ありげな視線を送る。
「はは~~~ん、さては、今そこでスレちがった、カワイイぽちゃ猫ちゃんと何かあったわね?」
「何もない」
即答するところが怪しい、と睨むも……
「ま、どうせアンタに聞いたところで、何か答えてくれるワケないわよね」
「……何の用だ、リオーネ」
どうせ答えをくれるはずもない。
即座に諦める選択を選べる程度には理解がある仲の二人は、口調だけは気安い。
「ああ、ほら、受付行ったらさ。 ついでに雑用頼まれちゃって~。 何の用かといえば、これ、いわゆる一つの面会書類ね~」
恭しく、そしてわざとらしく、副局長の机に書類を置くリオーネ。
「…………」
「ふーん、ハルネ・サフランちゃんか~。 ぷにぷにしてて凄く可愛らしい子だったわね。 10年早かったらアタシが食べちゃいたいくらい」
「馬鹿な事を言うな」
「あれま珍しい。 鬼のヴァルグレイが即ツッコミをくれたよ。 こりゃ明日は槍でも降るか……」
「……用はそれだけだろう。 早く行け」
「はいはい。 相変わらずツレないわねぇ~。 いや、これがいわゆる一つの放置プレイ……」
謎な呟きを残し、去るリオーネ。
部屋には妙な空気が残る。
その空気を振り払うように腕を回し、再び副局長の机に座るヴァルグレイ。
渡された書類に目を通す。
いつもやっているように上から順に素早く目を滑らせ、鋭い目つきで確認を施す。
そして、書類の末尾に書かれた本人のサイン「ハルネ・サフラン」の文字。
本人の気質を示すような、丸みを帯びたどこか癒される文字。
ヴァルグレイは、文字に指を運ぶと、まるで確かめるように、そっと撫ぜ……
「丸い……文字だ」
そう呟き、2段目の引き出しに、そっとしまった。
