【第1部完結】 エモパレ ―感情が見えるぽっちゃりな私が、オジさま副局長を無自覚なまま搦め捕るまで―


 南街商会ギルドホールの一室。

 その奥まった部屋にある、ギルド長専用の応接室は、その主の性格を表すように、質素ながら雑然とした雰囲気を感じられる空間だった。

 低めの応接テーブルの上はいくつかの書類が散乱しており、壁際の書棚の中身を見ても、背表紙の高さやラベルはバラバラだ。

 部屋の奥にあるギルド長専用の机に、窓から差し込む柔らかい朝の光は、今日も良い陽気だと小声で伝えてくるようだ。

 大きな椅子に奥深く腰かけているギルド長は、書類に目を落としながらもどこか落ち着きなく、チラチラと視線を扉の方へと向けていた。

 手元の湯のみに口を付ける。
 爽やかな香りとほのかな甘みが鼻腔と舌を駆ける。

 ――「この仄かな甘味が眠い朝に気付けをくれるんです」

 そう嘯いていた彼女の顔を思い出すのは、果たして、彼女の勧めてくれたこのお茶を飲んでいるから、だろうか。

「……来るか……いや、来るよな、絶対……」

 対応をシミュレートする。

 まずドアをノックする彼女を丁寧に応対する。
 応接テーブルへと、ゆったりと案内し、まずは落ち着いてもらう。

 そうだ、受付嬢に頼んでとっておきの高級ハーブ茶でも入れてやろう。
 ついでに、そう、茶菓子も出して、腹が膨れれば機嫌もよくなるはずだ。

 予感はすでに確信へと段階を移行している。
 なぜならたった今、玄関扉の方で聞き覚えのある声が響くのが、耳に届いたからだ。

 まだ大丈夫。 そう、落ち着け。

 ノックが聞こえたら、ゆったりと丁寧に、だ。
 もう一度だけ、茶を啜り、気持ちを整える。

 ――バンッ!!!!
 ――ズンズンズンズン…………
 ――バンッ!!!!


「どういう事よっ!!」


 一度目のバンッは扉を開ける音。 二度目のバンッは机を叩く音。

 ギルド長のシミュレートは、あえなく無駄に終わった。


―――――――


 出会い頭のギルド長の感情色は、

――恐怖の青色に染まっていた。

……なにさ、そんなにあたしが怖いの? 失礼しちゃうよね。

「ま、まぁ、落ち着け、サフラン嬢。 茶でもどうだ?」
「いらないわよ! さっさと説明して!」

――感情色は、恐怖の青から動揺のラベンダーへ。

 ギルド長は、自分の気を落ち着かせるように、手元の湯飲みを啜る。

 この香りは……あたしが最近差し入れしてる、香房でも売れ筋の「小鳥たちが歌う朝の甘い目覚め茶」だ。

 そんなのはどうでもいいの!

「で、な……何の用かな?」
「とぼけないで! 全部知ってるクセに!」
「そ、そう言われてもなあ……?」

 どこか呑気な様相のギルド長がムカツく!

 イライライライライライラ……

「張り紙ッ!! ウチの! 店が! 営業停止って! どういう事よーーっ!!」

 はぁはぁはぁ………
 思わず叫んでしまったが、おかげで、ちょっとだけ気持ちが下がる。

「う、うん、それなんだが……まぁ、サフラン嬢もな、働き詰めだし、一度休んでみては……? という……か……その」
「なんでそんな歯切れ悪いの! そういう張り紙じゃなかったでしょうが!?」

 もごもごと、何か言い辛そうなギルド長に、発散した気持ちが再燃し、またイライラが募る。

「……圧力でしょ……?」
「は、はあ?」
「どうせギルドの体面でしょう!? 圧力に屈したのが都合悪いんだ! 顔みりゃ分かるんだから! 下に漏れるのも都合悪いんだ!」
「な、なんだとっ!?」

 図星だ。
 感情色が一瞬、図星の紅に変わったもん。

 でも実はそんなの見る必要すらない。

 ギルド長の顔はずぅーっと、上からの無茶を無理やり飲まされた中間管理職の苦悩の顔色だった。
 分かりやすい事この上ない。

「どこよ……」
「あ、あぁ?」
「どこからの圧力かって聞いてんの! よその商会ギルドっ!?」

 思わず机に乗り出し、ギルド長の胸倉を掴む。

「な、何を言い出す……?」

 ――外れだ。
 やり手のギルド長が他のギルドに簡単に屈するはずはない。

「どこよ! 衛兵所っ!?」
「ち、違う……」

 ――これも外れ。
 衛兵所ならここまで誤魔化す必要もないハズ。

 ああ、信じたくない、けど……

「じゃあ……調査局?」
「な、何を……?」

――ああ、図星の紅と動揺の紫……

「やっぱりそうなんだ……」
「サ、サフラン嬢……??」

 どうしてよ……オジさま……

 先ほどの怒りはすっかり意気消沈し、心が絶望に染まっていく。
 頭のどこかで、すぐに繋げるのは良くない、事情があるに違いない、そんな懸案が過ぎるけど……

 あたしのココロは、裏切られた気持ちでいっぱいだった……


―――――――


「そうか。 そんな事が……大変だったな」

 真剣な表情で同情をくれるギルド長。

 あたしは、昨夜あったヒョロキモ事件のアレコレと顛末を、ギルド長に共有していた。
 どちらにせよ、あんな大ごとがあったんだから、ギルドに報告するのは所属店としては当然の対応。

 ……さっきまではあまりにも頭に来て、いっそ黙っててやろうかとも思ったけれども。

「言いふらすなよ? お前さんの言う通り、調査局からの請願があったのは本当だ。 ギルドとしては、受け入れるしか無かった」
「いやにあっさり受け入れるのね。 ギルド抜けてやろうかしら……」
「いやいや! これでも抵抗したんだぞ!? 言い分も要領を得なくて勝手だったし、今勢いのあるサフラン香房だ。 突っぱねる気ではいた…………が……」

 そこでギルド長は、眉をへの字に曲げ、納得いかない表情を見せる。

「『絶対に即日停止にしろ』と、強く言われた。 おっかねえ目だったぜ。 それに屈したワケじゃないが、必要なら公的な書類も発行するとも言われた。 そこまで強く言われたんじゃ、ギルドとしては断れねぇ」
「ねえ、その、営業停止にしろって言ってた人って、もしかして灰銀の髪で、眼帯の……?」
「知ってたか……というか会っているんだったな。 そうだ。 冷酷でおっかねえで有名な……鬼の副局長ヴァルグレイ・ゼオファルド」

 やっぱり……

 どうして? オジさま……

「詳しい理由は教えちゃくれなかった。 「違法薬物取り扱いの疑い」とだけ。 もちろん違法の代物なんかを扱ったりなんてのは……?」
「あるわけないじゃん!」
「……だよな。 そこは信用してる。 アイリスの監視もあるしな」

 違法薬物?
 昨日言ってたノクセラ草?のこと?

 でも何も問題ないって……そういえばなんて言ってたっけ……

「『ノクセリウム』……」
「あん? なんだって?」
「ギルド長! ギルド長は『ノクセリウム』って何か知ってる?」
「『ノクセリウム』? なんだそりゃ……?」

 感情色をじっと見る。
 どうやら何も心当たりが無いみたい……と思ったが、
 ギルド長の感情色に、一瞬だけ……

――楽しさの橙色が差した。

 楽しさ? なんでこのタイミングで?

「ギルド長、何か楽しい……面白い事でもあったの?」
「楽しい? 何を言い出すんだサフラン嬢、こんな時に……と、ちょっと待て、思い出したぞ」

 そう言うとギルド長はぽんっと手を打つ。
 古典的なリアクションだなぁ……

「西街で貴族の婚約破棄騒動があったの知ってるか? 昨日も商店のヤツらと話しててよ。 振られた貴族の様子があんまりにも情けなかったみたいでよ。 そいつの話しぶりも面白くて聞いてるウチに笑けてきちまって……」

 その会話を思い出しているのか、笑顔のギルド長。

 ギルド長は笑顔になると、意外と人懐っこい顔になるのよね……
 そんな事は今はどうでもいいケド。

「振られてグダグダになっちまったそのお貴族様が、その場で酒飲んでグデングデンになっちまったらしくてよ、飲んでた酒の名前が確かノクセなんとかだった」
「やっぱりそうだ。 『ノクセリウム』……」

 どう考えてもノクセラ草に関係してる。

 安眠安静安心のノクセラ草に何が……?

「……事情は分かったわ。 ギルド長ではサフラン香房の営業停止を解くのは難しいって事ね?」
「……ああ、情けない話だがな。 だが調査は数日で終わるとも言ってたぞ?」
「だからって、こんな勝手な事、許されるハズないでしょ!」
「あっ、ハイ……」

 どうやら直接話を付けてくるしか無いようね。

「もういいわ。 あたしが直接調査局に話を付けに行く。 疚しい事なんか何も無いし!」
「おいおい……って止めても無駄か」
「分かってるじゃん」

 昨日は問題ないって言ってたのに……

 何より勝手に営業停止の命令だなんて許せない!
 せっかく店主としてやる気になってたってのに!

 ……あ、そうだ、思い出した。

 そう言って、もう一つの用事を思い出し、スカートのポケットから2通の手紙を取り出す。
 昨夜の母からの手紙だ。

「ギルド長、今思い出したけどコレ」
「お、おう。 なんだこれは? アイリスの手紙?」

 ギルド長は2通の手紙を受け取り、目を通す。
 合計で5行しか無いから一瞬で読み終わる。

「アイツ、また勝手な……まあ、言い方を変えれば娘を信用しきってるとでも言うか……そうか、サフラン嬢、ついに店主か」

 生温かい目を向けてくるギルド長。
 ちょっとキモいと思うのは失礼かしら。

「おめでとう、サフラン嬢。 正式な委譲書状として受け取った。 ギルドの登録も変更しておこう」
「ありがとうギルド長。 これからもよろしくね」

 まっすぐな祝いの言葉は、激励も含んでいるのか、語調が少し強かった。

 温かな感情温度が気恥ずかしくもあり、やっぱり嬉しい。

「ま、遅かれ早かれとは思っていた。 優秀だものな、お前さんは」
「ありがとう。 今まで代理だから遠慮してたけど、これからは一店舗の責任者として、ギルドでもガンガン言わせてもらうかんね!」
「……アレで遠慮していたのか」

 失礼な。
 今までのはちょっとした改善要求よ?
 そしてこれからは遠慮無しにどんどん提案も出せる、と。

 ギルド長はすっかり落ち着き、あたしを見る目はまるで父親だ。

「お前さんが来るとは予想していたが……アイリスが来るかもとも思っていた。 なんだかんだとアイツは店も娘も大切に思っているからな」
「家ではあんまりそう感じないけれど……」

 2日と空けずに飲み歩いていましたよ?


―――――――


 ギルドを後にするハルネを、窓から見送るギルド長。

 サフラン一家のことは、彼女たちが幼い頃より知っている。
 ハルネはコロコロと可愛らしかったが、妙に大人びていて頭も良かった。
 それが今では……

「店主か、早いものだ。 自分も年を取るワケだな。 しかし……」

 そう呟き、机に手を置きながら飲みかけのお茶を飲み干す。

「鬼のヴァルグレイ、か……えらいヤツに目を付けられたもんだ」

 昨晩初めて対峙したが、噂に違わない、噂以上の威圧感、冷たさ、鋭さ。
 剥き身のサーベルを突き付けられているような……例えるなら、無情の執行者……

 いくらか修羅場をくぐった自分でさえ、妙な冷や汗が止まらなかった。

「気を付けろよ。 ……新店主殿」

 口から出た言葉は、身内を心配する親心に満ちていた。