魔石ランプが煌々と店内を照らす。
香房の床は一部が抉れ、焼け焦げた匂いが棚のあたりから漂っていた。
あちこち壊れた店内に、異様な静けさが張り詰めていた。
その中心に立つのは――異形の筋肉の塊。
顔だけが、かろうじて元の青年の面影を残している。
片手に調合棒を持ち、口元は余裕の笑みさえ浮かべていた。
その正面で、ぽっちゃりとした少女がステッキを構えていた。
少女というには大人びていて、妙齢というには幼い……
サフラン香房の店主代理――ハルネ・サフラン。
負けん気の強い表情が、葉っぱ型の小盾越しに、妙に頼もしく見えていた。
カウンターの裏には、もう一人。
シャリエナ・サフランは、姉の背中に信頼の視線を込めながら、静かに機を窺っていた。
ハルネは、決着はそう遠くないと、肌で感じ取っていた。
―――――――
「シャリエナ! 『フォーメーションD』よっ!」
ハルネの合図で、即座に壁際へ移動するシャリエナ。
「無駄だ、無駄! シャリエナちゃんも見惚れるほどの、この最強筋肉を身につけた俺に敵うはずが無い」
「ぜんっぜん、見惚れてないですケド! 不自然過ぎてむしろ気持ち悪いよ! わたしはもっと均等な筋肉が……」
「シャリエナっ!」
「っ! あいさ!」
ヒョロキモ改め、マチョキモの戯言に応答を返していたシャリエナも、即座にハルネの合図に反応する。
フォーメーションD――初動として、まずシャリエナが行ったのは……
カウンター横の壁に設置された、魔石ランプのスイッチを切る事。
――シュウウゥゥゥ……
天井や壁に備え付けられた魔石ランプの照明が消され、店内はものの一秒で暗闇に包まれる。
「なっ!」
真っ暗闇の店内は、互いの姿を見る事すら叶わなくなった。
――ハルネを除いて。
(見えてるわよぉ! その憎しみと余裕を表している、――濁った赤黒色と余裕の薄青!)
エモパレがもたらす感情色が、暗闇の中、大きくなったマチョキモの輪郭をハッキリと捉えていた。
死角に位置取り、ステッキを振るう。
「せいっ!」
「グっ! ドコだぁっ!」
しかし、発達した筋肉の脚には、さして効いてはいなかった。
再び位置を変え、姿勢を低くし、打撃を加える。
「せやっ!」
「グっ!」
膝裏に上手くヒットし、マチョキモはバランスを崩す。
大きく筋肉を肥大させても、ダメージは残っていたようだった。
一方的な攻めとは裏腹に、ハルネの表情には焦りが伺えた。
(あんまり効いてない!? でももう少し削らないと!)
効いてはいるものの、想定よりマチョキモへはダメージが通っていない。
再び死角からステッキを振るうが…………ここでついに、ハルネの戦略に綻びが出た。
――ガッ!
「あっ……」
振るわれたステッキは、マチョキモの脚に到達する事無く、彼の持つ調合棒によって弾かれた。
「あめえぜ! 何度も同じとこ狙われりゃ、バカでも分かるっつーの!」
そのまま、ハルネのいる場所に当たりを付け、渾身の突きを繰り出す。
「うらあぁっ!!」
暗闇の中で放たれた突きは、ハルネの肩口へと直撃した。
「んぎゃっ!!!!」
身体は大きく吹っ飛ばされ、カウンターへ背中から激突し、大きな音を立てる。
「かはっ……!!」
「お姉ちゃんっ!!!!」
姉の悲鳴にたまらず、シャリエナは魔石ランプのスイッチを入れる。
パッと明るくなる店内。
「おっとぉ、初のクリーンヒット。 嬉しいねぇ……さんざんボコされたお礼は、ちゃあんと返させてもらうからな、豚ァ! ……シャリエナちゃんは待っててね!」
「ダメよ!! シャリエナ! もう一度消して! そして構え、Bタイプ!!」
「……っうん!」
泣きそうになりながら、姉ハルネの言う事を忠実に守るシャリエナ。
店内は再び暗闇に包まれる。
(痛い! 痛い! 痛い! ……でも、やらなきゃ! あたしが、お店を、シャリエナも、守るんだ!)
暗闇に紛れ、機を伺う。
ハルネは必死に頭を回し、勝つ為の戦略を整えていた。
本来、普通の迷惑客や、粗暴な客を相手取るモノ。
ほんの少しの火力と制圧力でお帰り頂くはずの――『お客様、お帰りはあちらですフォーメーション戦略』。
こんな化け物を相手にするためのものじゃない。
脚への打撃だってもっと有効であるはずだし、そもそもトリモチトラップで終わっていたはずだった。
しかし現実はそれを許さなかった。
ハルネは、絶対にお店と妹を守るんだ!という決意のもと……
殺傷力の高いBタイプを選択し、シャリエナに指示した。
痛む肩を押さえ、破れてしまったケープを指で捏ね回しながら、
――相手を壊すかもしれない恐怖に、迷いと逡巡を繰り返す。
「どこに行きやがった? だがもう目が慣れてきたぜ?」
(目が慣れるのが早すぎる! 何!? 感覚も鋭くなってんの!? あいつ!?)
暗闇の中で時間を稼ぐ余裕も無かった。
(もう、やるしか無い……!)
暗闇に包まれた店内だが、勝手知ったる自分の店。
どこに何があるかは、目を瞑っていても分かっていた。
姿勢を低くし、店の入り口に向かう。
カウンターにいるシャリエナと向かい合い、マチョキモを挟む形を狙う。
――赤黒く濁った感情色。
仄かに光を宿すハルネの蜂蜜色の瞳は、たとえ暗闇でもマチョキモの姿は見失わない。
あちこちぶつけながらも、マチョキモを挟む位置まで辿り着く。
小麦ボールを片手に、もう片方でステッキの魔石に力を込め、暗闇の中、小火が灯る。
――合図だ。
「今よっ! シャリエナぁっ!!」
「うんっ!!」
「おっ?」
ハルネの合図で、魔石ランプのスイッチが入る。
煌々と照らされる店内。
一瞬の照明に注意をとられるマチョキモ。
その隙を逃さず、小麦ボールを放るハルネ。
命中し、破裂。
そして、派手に舞う粉塵。
「また粉かよっ! もう飽きたぜ!」
「えーいっ!! ピカパフBっ!!」
シャリエナがカウンターから投げたピカパフが、マチョキモに命中し、閃光を纏う。
――カッ!
本来であれば光と共に、破裂茸の破裂音で脅かす効果のあるピカパフ。
しかし、この時シャリエナが投擲したのはBタイプ。
破裂茸の代わりに調合されているのは……爆薬粉。
「くらえっ! 点火っ!! ピカパフ……バーストぉッ!!!!」
――ズバアァァンッ!!
「ぐああああぁぁぁぁっっっ……」
シールドステッキのチョロ火に触れ、着火したピカパフは大きな爆発音を伴って破裂した。
小麦の粉塵と重なり、大きな火力となってマチョキモを襲い……そして、倒れた。
「やったか!?」
「やったね!!」
あたしは、口に出してから気付いた。
「やったか!?」じゃないのよ!
命中した事に安堵して、意識せず、つい口をついて出てしまった。
――ああ、これはフラグだ。 ……絶対終わらない。
「クソ……豚……がっ!!」
「うそ! まだ立つの!?」
生存フラグが正しく働いたようだった。
火の粉を纏い、大きなダメージを負いながらも、立ち上がってくる。
ピカパフを見せたのはさっきのが二度目。
もしかしたら警戒が間に合って、直撃を避けられたのかもしれない。
でも……
相手を大きく傷つける覚悟で選択したピカパフバースト。
それでも、倒す事が出来なかった。
その化け物じみた姿に、あたしの心には、ついに恐怖が湧きだしてしまった。
「…………っ」
「お姉ちゃん……」
シャリエナも同じ気持ちを感じている。
感情色だけでなく、顔色も蒼褪めている。
「愛を……シャリエナちゃんの愛を、モノにするんだ…………そして、許さねぇ、豚ァ……絶対殺してやる!」
確実に、効いてはいる。
効いてはいる、けど……
あたしは喉から漏れようとする悲鳴を噛み殺すのがやっとだった。
負傷した背中と肩がズキズキと痛む。
鎖骨はもしかしたら折れているかもしれない。
意識すると、どんどん痛み始めた肩が、ますます弱気を誘い込む。
――そもそも、なんでこんな痛い思いしてるんだっけ?
さっきまでシャリエナと楽しくしゃべっててさ、いっぱい甘えて、お茶でも入れようって……
昼間も怖い目にあった。
でも、前向きになれたと思ったのに……
なんで今、こんな目にあってるの?
痛いよ……怖いよ……
――痛みと恐怖と理不尽さに、思わず涙が滲む。
また涙が……今日二度目だよ……
今日は散々だ。
どこからケチがついたんだっけ?
昼間はリゼラちゃんと楽しくしゃべってて……
そうだ、リゼラちゃんが変な人見たっていうから!
で、その後、キモチワルイ視線感じて……実はこのマチョキモなんじゃないの?
そうだよ、きっとそうに決まってる!
――目に涙が浮かびながらも、ぐるぐるぐるぐる思考は回る。
今日も仕事がんばろって、やる気になって、シャリエナも待たせちゃったから……
なんかやろうって考えて……なんだっけ?
リゼラちゃんの……そうだ、ハバネロピザ!
お母さんとシャリエナと一緒に、ピザでも作って、辛いのが好きなシャリエナにさ、びっくりのピザを、作ってやろうって思って……
……ぐすっ…………お腹空いたよ……
…………
………………
……………………そうだよ。
お腹、空いたんだよっ!!
本当なら!
今頃ご飯作って、食べてる頃じゃん!!
なのに、なんなのさっ!!
この、クソヒョロキモアホ迷惑客ヤロウのせいで!!
まだ!
ご飯!!
食べれてないっ!!!!
神父様に貰ったクッキーしか食べてないよ!?
なんだかめちゃめちゃに腹が立ってきた!!
……シャリエナもこんなに怯えさせて!
……あたし達のお店をめちゃくちゃにしちゃってえ!!
あたしの幸せな時間をっ……ご飯の時間を邪魔しやがってぇっ!!!!
「何が許さないのさ…………ねえ、アンタ」
「あ?」
あたしはゆっくりと、破れたケープを肩から滑らせる。
露わになるデコルテライン。
――真っ白い肌が、鎖骨に出来た痣をより痛々しく見せていた。
「勝手な感情押し付けて、誰かを壊して、暴れまくって! そんなんで誰かを好きだの愛してもらおうだの、ちゃんちゃらおかしいのよっ! 自分は客だってぇ? ショボいカップ一つ買っただけでいっぱしの客きどってんじゃないわよっ! そんなん適当な口実でしょう!? せめて男ならもっと気概を、余裕を、紳士っぷりを見せなさいよ! キモいだけじゃなくてケチなの!? そんなの嫌われて当然よ!! せっかくシャリエナと楽しいお茶の時間かと思ったのに、アンタのせいで台無しよっ!! プリンだって残ってるんだからぁぁ!!!!」
怒りのままの感情を、そのまま文句と罵倒に変換する。
喋ってたら、ますますムカついた!
外したケープを掴んだ手で、力強くマチョキモに指を差す。
「絶対、許さないっ!」
「ほざけ! クソ豚ァァ!!」
「そうだよ! 絶対許さないんだからぁ! このマチョキモやろうっ! 嫌いっ!」
あたしの怒りに感化され、怖れを感じ始めていたシャリエナも元気を取り戻す。
「そんな……シャリエナちゃん……」
怯んだ隙は逃さない。
「シャリエナっ! もう一度フォーメーションDよ!!」
「っ! うん!」
合図が伝わった事を確信し、姿勢を低くし、シールドステッキの盾を構え、相手を見据える。
「今よっ!」
再び店内は暗闇へ。
直後、あたしは本気のタックルで、マチョキモに襲い掛かる。
「てりゃあっっ!! ハルネタックルっ!!」
「ぐおおおぉぉぉ!」
――ドシンっという鈍い音が響いた。
暗闇での本気タックルが決まり、マチョキモは大きく跳ね飛ばされ尻もちを付く。
位置を確認したあたしは、手に持ったリボンケープをヤツの足元へ叩きつける。
そしてすかさずステッキで……
「着火っっ! くらえ奥の手! ウルルンケープ!!」
ケープは即座に勢いよく燃えあがり、多量の白煙を生み出す。
煙は螺旋を描き、マチョキモの周りに立ち昇る。
「ゲッホっ!! なんだコリャ、ゲホゲホ、ゲホっ!! くっ、目、目がっ!! うああああっっ!!!」
燃やすと多量の催涙ガスが発生し、付与された風の加護が、対象にしつこく纏わりつく。
これが、奥の手――ウルルンケープよ!
……昼間は火種が無くて忘れてたけどっ!
「ゲホゲホゲホっ!! く……ち、ちきしょう! ゲホっ! 煙がっ纏わりつく!!」
「シャリエナ! ランプ付けて! 追撃ぃ!!」
あたしの合図で明かりが灯り、シャリエナはポシェットから濃緑色の玉を取り出す。
「あいさっ! いっけー! クサクサハーブグレネードっ!!」
命中!
濃緑の玉は、小さく破裂し、緑の粉塵をまき散らす。
「ゲッホ! ゲホ! ………く、くっせぇ! なんだこの匂いは、たまらん!!! ゲッホ!!」
「まだまだよっ! ポンポンビーンズ!」
「はいさっ!」
あたしはカウンターに駆け寄り、シャリエナからポンポンビーンズを受け取り、そのままマチョキモに投げ、次の準備をする。
――パパパパパァンっ!!
ポンポンビーンズの鋭く連続した破裂音が、マチョキモを襲う。
「ぐ、う、うあああぁぁ………」
視覚、嗅覚、聴覚の三つの感覚を同時に痛めつけられたマチョキモは、これはたまらないと、入り口の方へ向かって走り出す。
「ぐえっ!」
入り口のドアまでたどり着くも、走り出した勢いそのままでドアに激突。
目も鼻も耳も効かないのだから、当然の結果だ。
そう、これがサフラン香房の真骨頂。
元々は、非力なあたし達だからと考えた戦略。
だから、こうやって直接的な暴力を伴わない搦め手こそが、あたし達らしさ!
……とはいえ、物理だって必要。
あたしはカウンターにある最後の仕掛けを取り出した。
それは天井につながる一本のロープ。
香房最大の物理火力を叩きつける!
シャリエナと顔を見合わせ、共にロープを握り、今抱える想いは同じと頷いた。
「よぅし、決めるわよっ! シャリエナ!」
「うん!」
これでフィニッシュよ!
ロープを握る手に力を込め、あたしは大仰に、もう片方の腕を突き出し……
高らかに口上を謳った!
「無茶な要望もなんのその!」
「え!? え、えーと、サフラン香房は今日も一番!」
「迷惑振りまくお客には!」
「えーと、くっさいハーブでおしおきよ!」
「黙って聞いてりゃ図に乗って!」
「「許せぬ乙女の一撃を!!」」
「「 お客様っ!! お帰りは、あちらです!!!! 」」
あたし達は、勢いよくロープを引き下ろした。
「ゲホッ! な、なんだ!?」
すでに立ち上がり、まごまごしていたマチョキモ。
位置もバッチリ!
サフラン香房の入り口の上部、ディスプレイのように備え付けられている巨大な樽。
よく観察すれば、樽には軸棒が挿してある。
軸棒はガッツリ固定され、歯車のようなものが取り付けてある。
つまり、そこを支点に、回転するのだ。
引いたロープは支えに繋がり……支えを失った大きな樽は……支点を軸に回転を始める。
徐々に加速し、巨大な運動エネルギーを伴った樽のハンマーが入り口にいたマチョキモを襲う。
くらえ!
お水満載で頑丈な樽(合計推定300キロ)の、さらに蓋に金属鋲を打ち込んだ……
必殺のぉ……!
――樽木槌っ!!
「う、うおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
その巨大な迫力と圧力を躱せるはずもなく……
――メコリッ、という音が聞こえてきそうなほどの、クリティカルヒットッ!
マチョキモの身体にめり込んだ樽木槌は、そのままその巨大な力をまっすぐとマチョキモに伝え……
――ゴッ、ガッシャーーーンッ!!
入り口の扉をぶち抜き、遥か遠くまで吹っ飛ばした。
「…………」
「…………」
「「イ……」」
「「イエーーーーーイッ!!」」
シャリエナと二人で勝利のハイタッチっ!!
タイミングもバッチリ! さっすが姉妹だね!
―――――――
派手に壊れたサフラン香房の入り口の外には、遠巻きに野次馬の姿が幾人か見えた。
街灯ランプの明かりの中、二人は仰向けにぶっ倒れているマチョキモに一瞥した。
いつの間にか筋肉が萎んでヒョロキモに戻っていた。
「さて……」
「あ~~、随分散らかっちゃったねー」
店に戻った二人は店内を見渡し、荒れ果てた有様に溜息をつく。
「ま、でもシャリエナが無事でよかったわよ」
「そうだよお姉ちゃん! ケガは!? 肩のらへん!」
シャリエナの言葉で思い出したように、肩を押さえるハルネ。
意識した途端、痛みがぶり返してきたようだった。
「あたたた……思い出したら痛みが……」
「どうしよう……治療薬は特注依頼でしか作らないから在庫も無いし……お母さんに頼む?」
「そうね。 帰ってきたら、お母さんに頼みましょ」
香房内に響く姉妹の会話。
それほど大きな声ではないが、外にも多少響いていた。
ふと、風が吹く。
焼け焦げたリボンケープが風に吹かれ、ヒラヒラと舞った。
月明かりに照らされる、仰向けに倒れている男。
その指先が、風でピクリと動いたようにも見えた。
「そういえばお姉ちゃん、ごめんね。 お気に入りのリボンケープだったのに」
「ああ、いいのよ。 めちゃめちゃムカついてたからね。 いい気味よ! それに、ウルルンケープはあれ一つだけど、同じデザインのケープはもう一つあるし」
「かっこよかったよ、お姉ちゃん!」
「シャリエナもね! よく頑張ったわ!」
月明かりに照らされた仰向けの男。
虫の息をしていた男の腕がハッキリと動いた。
その手は懐へ、ゆっくりと確実な動作で何かを探っている。
「このありさま、どうしようか……」
「とりあえず、床の危ないモノだけ片付けましょ。 本格的な片づけは明日。 午前中だけちょっとお休みってお知らせして。 ギルド長にも伝えないと」
月明かりに照らされた仰向けの男。
……その姿はもう、見当たらない。
「お腹空いた~~、ご飯の前にプリンね! 半分あげるって言ったけどアレは無し! やっぱりあたしが全部食べる!」
「元々お姉ちゃんのだからいいけどぉ。 ご飯の前にスイーツとか、また……」
「また……何?」
「また……え、えーと、お、お腹いっぱいで寝られなくなっちゃうよ!」
「大丈夫よ。 むしろお腹いっぱいじゃないと寝られないもの」
「ふふふ、お姉ちゃんらしいなー」
安穏な会話。
姉妹の普段の会話。
日常の会話。
彼女たちは、すでにさきほどの攻防に決着がついたと、安心しきっていた。
戦いを生業としない、商店の娘たちの限界。
その油断が――――牙をむいた。
「クソ豚アァァァァァァ!! 死ねええぇぇぇぇ!!!!」
「えっ……?」
いつの間に起き上がったのか。
懐に隠し持っていたナイフを構えたヒョロキモは、裂帛の気合の声と共に、ハルネの背中へと襲い掛かった。
「……あっ! お、お姉ちゃんっ!!」
「くっ!! シャリエナ!!」
気付いて振り向き、反射的にシャリエナを突き飛ばした。
――その行動で、あたしの行動は終わった。
そこから何かを起こせる時間さえ、もう何もかも、あたしには残っていなかった。
ヒョロキモの突進してくるナイフが、自分の身体にまっすぐ突き刺さる未来が見える。
――あ~、これはダメだ。 しくじった。
どうしてあたしはこうなんだろう。
どうしていつもツメをしくじっちゃうんだろう。
お店を守りたかっただけなのに。
妹を守りたかっただけなのに。
なんでなのかなぁ……悔しいよ。
思考がどんどん加速する。
逆に現実の時間が遅くなる。
ほら、ヒョロキモのナイフはまだあそこ。
この現象は知っている。
……走馬灯って、いうんでしょ?
あ~あ、またダメだったのか、二度目の人生。
ぽっちゃりの呪いにかかっても、一生懸命頑張ったのにな。
……したかったな、恋。
二度目の人生ならワンチャンって何度も考えたけどさ。
こんなあたしを選んで、愛してくれる人なんて……
……でもさ、
今日のあたしは、ちょっとカッコよくなかった?
お店はちょっと壊れちゃったけど、シャリエナを守れてよかったよ。
そういえばいつかの夜、いっぱい妄想し合ったな~、理想のオジさま。
シャリエナは、筋肉が有っても、年があんまり離れてるのはイヤみたい。
あたしはそれがいいのにな、と思ってるのに。
年が離れてればさ、あたしをいっぱい甘やかしてくれて、あたしがポカしても優しく受け入れてくれて、あたしの方が沢山年下なら、それだけで可愛いって思ってくれるに違いない。
人生に深みも無いとね、渋くて、イケボで、カッコよくて、でも人間的に弱いとこもあって、それをあたしが甘やかしてあげるの。
いっぱい。 いっぱい。
感情色の魔眼(エモパレ)の事も話してさ、こんな変な悩みもあるんだよって共有して、お話して……それから……
――ああ、刃が、迫る。
もう、ダメなんだ……ホントに……
そう、悟った途端、
世界から音が遠のいて……
――代わりに、ドンっ!という鈍い衝突音が、あたしのすぐ傍で弾けた。
「……え?」
次の瞬間、あたしの世界は一変していた。
知らない誰かの腕の中にあった。
温かさと濃密なヒトの匂いが、誰かに抱き寄せられているという事実を物語っていた。
え? 助かった、の……?
混乱の中、視線をゆっくりと上げると、そこには……
淡い灰銀の髪。
琥珀色の瞳。
頬に刻まれた、老練な経験を思わせる皺。
ブルーの制服。
そして、紋様の刻まれた黒い眼帯が特徴的な……
そう、まさに、あたしの理想を、組み上げたような……
「……間に合って、よかった」
安堵を与えてくれる、落ち着いた低音の声色。
その声を聞いた瞬間、
あたしの、うんと胸の奥の、小さな蕾がほどけたような音がした。
