ではまた次の機会に!


今日は実にいい日である。
自分が外出しようものなら牙を剥いてゲリラ豪雨にしてくる空も今日はお天道様がニコニコと笑っているし、コラボカフェで子虎ちゃんの萌え萌えパンケーキなる世界最高峰の美術品も頂けたし、特典グッズも無事にゲットできた。

晴れやか気分のせいだろうか、いつもと見える景色が違う気がする。
道沿いに律儀に整列している街路樹の桜が見事に咲き乱れ、春らんまんな花吹雪を舞い起こしていた。
視界に入る桜色に思わず目を奪われてしまう。美しい景色に暖かい春の陽気。
そして何処からか漂ってくる懐かしくてふわりとした甘い匂い。
思わず心が躍ってしまう。
ここ五年は無かった実にいい日である。

小鳥の声でも聞こえないかな、なんて耳を澄ませながら歩いていると。

「……あれ?」

自分が拾ったのは小鳥の声ではなく、路地裏から聞こえる、複数人の話し声。
穏やかではないその声音に、大きな溜め息を吐きながら降り積もった桜を踏み締め駆け寄る。
恐る恐る覗き込んだ先では、複数人の男達が何かを囲むように立っていた。

「テメエこの間はよくも!!」
「クソが調子乗りやがって!」
「………」

 男達が囲んでいたのは、自分より身長の低い男子高校生だった。

しかもパーカーやらネクタイやらカスタムされすぎていて分かり辛かったがアレは自分と同じ高校の制服だ。
校章からして多分三年生。
恨みを買ったのか、カツアゲされているのか。セリフからしておそらく前者だが一対多数というのはどうにも気分が悪い。典型的な光景に頭痛を覚えながら、カバンに手を伸ばしケータイを取り出す。
冷たく思われるかもしれないが触らぬ神に祟りなし。こういう時は国家権力をフル活用するものだ。
慣れた手付きで指を動かし、お巡りさんを呼ぼうとしたその時。

「ふざけんなよ!!」

 叫ぶ男の声と、ブオンと空気を切り裂いて振りかざした筋肉質な腕に。

ドガッ!
「っ!」

 気付いたら、身体が勝手に反応していた。

今日がいい日だなんて前言撤回だ。
年中365日無休で厄日の自分にいい日だなんて期待した自分が大馬鹿者だった。

「っあぁ!?誰だテメェ!?」
「一対多数だなんて卑怯じゃないですか!」
「はぁ!?関係ねぇ奴はスッこんでろ!」
「もう既にお巡りさんも呼んであります!観念してください!」
「!」

男子高校生を背に庇い立つ。
犯罪に何度も巻き込まれ、銃なんかも向けられたこともある自分にとっては今更、不良なんざ怖くない。
なんていう事は微塵もなく。
殴られた頬は燃えてるみたいに痛いし、自分より身体の大きな男に敵意を向けられるのは
何度経験したってやっぱり慣れないし怖い。けれど。
ここで自分が逃げてしまえば、背後にいる自分よりも小さなこの男の子がどんな目に合うか。
したくもないその想像が、折れそうな心を叱責した。

「あんたらなんか外道の極みだ!」
「……っの野郎!!」

キッと目を吊り上げる。

本当は、お巡りさんなんて呼んでいない。
通報する間もなくコイツらが手をあげようとしていて思わず出てきてしまったから。

喧嘩だって対して強くなく、唯一の護身用の武器も取り出せそうにない。
大量に持ち歩いている防犯ブザーも鳴らしたってここら辺は人通りが少ない事で有名だし、今更だろう。

なんとかこのまま、こいつらのサンドバックとしてやり過ごして、隙を見てこの子を逃すしかない。
胸ぐらを掴まれて呼吸が詰まった。ごつい指輪がいっぱいついた手がこっちに伸びてくる。
何発耐えられるだろうかと思いながら、覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った瞬間。

目の前を突風が吹いた。

想定していた痛みは、いつまで経っても訪れなくて。
代わりに聞こえたのは、鈍い衝撃音と人の呻き声。誤解でなければ、血特有のサビ臭い生々しい匂いもして。

咄嗟に目を開ければ、視界に映ったのは先程までと同じ小汚い裏通り。

ただ先程と決定的に違ったのはゴミやら何やらが転がっている地面には、威勢の良かった巨漢達が転がっていて、ただ一人立っていたのは、さっきまで後ろに庇っていたはずの返り血のついた男の子という事だった。

男の子がこちら振り返る。
もっとも、男の子の顔は灰色のフードにより隠されており、表情が全く読めない。
ところがそんな自分の心情を読み取ったかのように男の子がフードを脱ぎ、こちらを見上げた。
爛々と鋭く光る、翡翠の目と視線が交わる。刹那、時が止まったような気がした。
なんとなく気まずく思い目を逸らそうとすると、
それを許さないとばかりに男の子が自分の頬を両手でバチンと挟み込み、顔を再度覗きこんできた。
翡翠の目が自分に穴を開けるかのように、内側を暴こうとしているみたいに逃してくれない。

なんでこんなに見てくるんだろうと考えるとふと、一つの可能性に思い至る。
彼は怒っているのではないかという事だ。それもめちゃくちゃに。
考えてみれば、彼は本当はこんな人達、赤子の手を捻るよりも簡単に返り討ちにできたという事である。
しかしそこに突然喧嘩が大して強くもない奴がしゃしゃり出てきた。
つまり彼のプライドの一つや二つが傷つけられていてもおかしくはないという訳である。

途端、男の子が自分の顔をサンドイッチしている両手に力を込める。

「エッ、あのッ!ちょッ…!!」

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
このままペシャンコにされたっておかしくはない力の強さだった。
どうやら自分の悪い想定は残念な事に正解だったらしかった。
現に今もこうして、ギリギリと力が込め続けられている。

殺されるかもしれないという恐怖に、少し前まで春麗らかな気持ちだったていうのに、
背中から真夏日に我慢大会でもやっているのかという勢いで、脂汗やら冷や汗やらが出てくる。
怒りで火照っていた頬が怯えと相手の体温によりみるみる冷めていくのが感じられる。
震える唇。鳴り響く警鐘。逃げろ、今すぐ逃げろ。なにか、良くないことが起きる。
さっきまで小さな男の子にしか見えなかった存在が今はもう別の、怪物に近しい何かにしか思えなかった。

隙をついて自分の頬から男の子の手を片方だけ剥がし、逃げようとしたが一瞬早く手を掴まれる。

「へっ!?」

そのままぐるりと視界が反転する。背中と後頭部が壁に投げ出された。
その衝撃で目を白黒させているところに追い討ちをかけるように顔面の真横に『ダンッ!』と張り手され、
ちゅーしそうなほど間近で、相手が顔を覗き込んできた。
なるほど。これが俗に言う壁ドンというやつか。
確か友人に借りた漫画ではこれをされた女の子は心臓をドキドキと高ならせ、顔を真っ赤に紅潮させていた。
対して自分はどうだろうか。
確かに心臓はドキドキしている。でもきっと顔は真冬の中、プールに泳がさせられたみたいに真っ青だ。
澱の沈んだ暗い緑の瞳がこちらの意図を見透かすように凝視してきてヒュッと短く息を呑む。
背筋を駆け上がる悪寒。必死に逃げ道を探すが、逃げるどころか壁に追いやられているせいで
身動き一つ取れない。手首を掴む手に一段、力が込められる。

「ねェ、キミ」

孕んだ熱を抑え込むような声と共につぅと喉元を人差し指が這う。急激に酸素が薄くなったような窒息感に鳥肌がたつと共に呼吸が浅くなる。光の無い瞳がじぃと観察するように自分に向いて、なのに口元は緩く釣り上がったまま。
それから。
それから。
それから。


「カッコいい!ヒーローみたいだ!」

はえ?
先程の気味の悪い物騒な雰囲気は何処へすっ飛んだのやら。
存外子供のような天真爛漫な口調の彼に、驚きで口をあんぐりと開けることしかできない。

「って、ああ!?ごめんね!つい、キミが俺の昔の知り合いにあんまり似ていたモンだから!」
「え………アノ、え?」
「今更だけど大丈夫!?怪我はないかな!?」
「イヤ…だ、大丈夫デス。身体の丈夫さだけがトリエなので…」
「イヤイヤでも殴られて痛かったでしょう?ごめんね、俺がもっとはやくなんとかしてれば!」
「え……いやあの、えーと?」
「そうだお礼しなきゃ!改めて、助けてくれてありがとう!」
「いや、助けられたのはこっちですし、むしろ変に割り込んだみたいで、こちらこそすいません…」

きっと自分は急展開についていけず、間抜けな顔を晒していることだろう。
しかし男の子はそんな自分や未だに呻いている男達を無視して猛烈に話しかけてくる。

「そんなそんな本当にカッコよかったよ!!ねえキミ!名前はなんていうの!?」
「しゃくなげ……深月石楠花です…」
「そっかァ!しゃくちゃんっていうんだね!」

しゃくちゃんという名前に一瞬、疑念を抱いたがどいうやら自分のことを指しているらしい。

「しゃくちゃん、その制服、同じ高校だよね?校章は違うから学年は一年生?入学ほやほやかな?何組?てかLI○Eやってる?どこ住みなの?誕生日は?」
「ぐいぐい来ますね…」
「だって俺、しゃくちゃんと友達になりたい……ダメかな……?」
「わあ面がよろしい…」

フードや恐怖で混乱して、初め見た時は気づかなかったけれど。
冷静になっていざ顔を見てみると、彼はべらぼうに顔がいいのである。
二次元オタクの自分には三次元の人の顔の良し悪しなんて全く分別出来たモンじゃないと思っていたが、
この男の子のふわふわのひよこような茶色の髪の毛と洗練された瑕疵の見当たらない愛嬌のある顔のパーツ。
なのにどこかある浮世離れしたあやうさというか雰囲気を見ていると顔がいいと認めるしかなかった。
そしてそんな顔の圧に押されれば誰だって個人情報の一つや二つ、喋ってしまうのも致し方ない訳で。

「えっと……一年理数特進科の14組です。家は地区が八葉蓮……」
「理進かぁ!しゃくちゃんってあたまがすっごくイイんだね!!それに俺と地区いっしょだ!嬉しいなぁ!」
「それで…アノ、あなたは…?」
「ああごめん!名前を聞くときはまず自分から名乗れっていうの忘れてたよ、しつれいだったね。改めて、俺は三年文系II類、3組の緑鼬八太郎(ろくゆうはちたろう)っていうんだ!!あ、これ俺のLI◯EのIDね!」
「あ…読み取らせていただきます。……にしても緑鼬ってすごい珍しい名前してますね」

それにどこかで聞いたことあるような……。

「それはよく言われる!俺もテストで点数取れないの、名前のせいだと思うんだ!」
「それは文字が難しいからですか?それとも書くのに時間がかかるからですか?」
「両方だよー。おかげで毎回どこかしら文字を間違って、名前が書けてないからって0点」
「うわぁ。それはお気の毒に……」
「ま、ある種恒例の儀式みたいなものだから先生も本気にはしてないだろうけどね!」

人好きのする笑顔を浮かべ親しみやすい彼、もとい緑鼬さんに自分はすっかり絆されていた。
それに馴染みの無い呼び方に新鮮味を感じて頬が上がっているのも事実だ。
こんなに楽しいのは久々だったかもしれない。
それから、時間を忘れてしばらく話していた。



「ーーおっと、もうこんな時間か。つい楽しくて話し過ぎちゃった!俺この後用があるからもうちょっと話してたいけど、ここでお別れだ。いろいろと巻き込んじゃってごめんね。また、改めてお礼させてよ!」
「いえ、こちらこそ引き留めてしまって申し訳ありません。それにお礼だなんて気にしないでください!」
「まあ本当は俺がお礼だなんてかこつけてしゃくちゃんとデートしたいだけだからサ。よかったらまた、会ってくれないかな?」

その言葉に自分は感無量になってしまう。
だって不幸体質の自分に、こんなに優しい人が声をかけてくれること身内以外であった記憶がない。

「もちろんです!これからも末長くよろしくお願いします緑鼬さん!」
「こちらこそよろしく!しゃくちゃん!」

この時自分は高校に入ってできた、初めての友達に浮かれていた。今日もいつも通り、ついてないだけの一日のはずだったのに。揉め事に首を突っ込んだ結果、同じ高校の優しい方と友達になれるなんて。人生で一、二を争う程に幸運な出来事だ。高校生活、幸先の良いスタートをきれた予感に、自分は胸を高鳴らせた。

……だからこそ油断してしまったのかもしれない。



「……あ、しゃくちゃんの耳の中に花びらがある」

無邪気な声だった。
緑鼬さんが自分の耳を覗き込んでいる。
あの桜の渦の中を歩いて以来、確かに自分もうすうすそんな予感はしていた。
ずっとくすぐったい感触があったから。
ちょっと行儀が悪いが、小指を耳に突っ込みなんとか出そうと試みた。
しかし、自分の意思とは反対に花びらは更に奥へ奥へと入っていく。

「とれた?」
「いいえ。全く」
「そっかァ……」
そう云うと緑鼬さんは自分の耳元にずいっと顔を寄せた。

いくらなんでも、近過ぎやしないか?
石楠花が懸念を抱いたその瞬間、


「じゃあ、俺が取ってアゲル」


突如ぬらりと耳になにか熱いものが入り込んできた。
身体全身がカッと熱くなると同時に総毛立つ。嫌な汗が背を伝い落ちる。鼓動が跳ね上がる音がした。
脳を揺さぶるけたたましい警報。
初めての感覚に視界をチカチカさせながらもこの異怪なモノから距離をとらねばと考える。
しかし、その考えを見透かされたかのように両手の指を絡め取られ、指に力が込められる。
所詮恋人繋ぎという奴だった。ただの手のはずなのに、熱湯のように熱く、火傷するのではと思った。
そしてまるで逃げようとした罰だとでもいうように、わざとらしく音を立てて耳の中でぐるりとソレが蠢く。
掻き混ぜられて思考が奪われてゆく。
呼吸が浅くなり、危うくなるのが感じられる。
何をするんですかと抗議したいが、声が出ない。
でもせめて、睨みつけるだけでもと緑鼬さんの顔に視線をやる。

刹那、時が止まったように感じられた。

今まで気づかなかったが緑鼬さんが他にどこを見るでもなく自分の顔をみていたからである。
凝視されてた。瞬きもしないで。ぎらついた、獲物を捕らえた爬虫類じみた瞳で。

怖い。
自分は犯罪に結構な頻度で巻き込まれる。
そしてその度に銃や刃物を首や頭に向かって突きつけられたりと様々な恐怖体験をしてきた。
恐怖体験にあった数ならそこら辺の人よりも圧倒的に自信があるくらいだ。

けれど、こんな腹の奥からゾクゾクとなにかが迫り上がってくるような恐怖は初めてだ。
五臓六腑が痛みを訴えるような脅威は初めてだった。
足がガクガクと震え、とうとう骨が抜けたみたいに崩れ落ちる。
震え上がる体。動けない。目が回る。
でもそんな自分にお構いなしに緑鼬さんはまだやめてくれない。終わらない。

涙目で荒い呼吸をしている石楠花とは対極に、緑鼬は暗い瞳のまま、頰を上気させて場違いな笑みを浮かべており、その瞳の奥には、いつか見た執着に似た微かな炎が灯っていて。

『喰べられる』

石楠花は漠然とそう思った。















ーーそれから三十秒だろうか、一分だろうか、数時間だろうか。
永遠にも感じられた世にも不思議な時間は突如終わりを遂げた。
石楠花は耳から感じられていた奇妙な熱さから解放されたのだ。
石楠花は瞳を彷徨かせ、危うげな呼吸を浅く繰り返しながらも立って自分を見下ろしている緑鼬を見上げる。
彼は石楠花の顔を虎視眈々と覗き込んでいた。
そして目が合うと抱え込んだ熱を呑み込むような声でこう云った。

「ほら、しゃくちゃん。とれたよ」

そういって笑いながら彼は舌を見せた。その先っちょには濡れた桜の花弁が一枚、確かにあった。
さっきまで自分の耳に入っていたのは舌だったのかとか、なんでそんな事したのかとか石楠花の頭で納得や疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。

そんな鳩が豆鉄砲を喰らったような様子の石楠花がおかしかったのか緑鼬はニヒルに笑ってみせる。


「じゃあね、しゃくちゃん。これからも末永く、よろしくね」


そう云うなり、緑鼬はパーカーを被り直し、路地裏の奥の方へズカズカと進む。
奥の方では相も変わらず桜吹雪が渦を作っていた。
そして一瞬、緑鼬が振り返った。ザァッと春一番が花吹雪に緑鼬の姿を一瞬霞ませ、執着に濡れた目がこちらをみていた。しゃくちゃんと桜色の唇がかたどる。声は木々のざわめきにかき消えた。

なりゆき唖然とした石楠花はそれを声も発することなく見送ることしか出来なかった。
ため息をついて汚いが路地裏の壁に寄りかかりながら座り込み、
持て余した熱を冷ます事に集中するしかなかった。
深月石楠花、15歳。今日も今日とて不幸であった。不幸でしかなかった。