夢幻の扉~field of dream~【本編1】

 始業式のあとは教室に戻って、自己紹介の時間だ。その前に後ろの席の生徒と挨拶を、と思ったけれど、叶依が着席するのと田礼が戻ってくるのが同時だったので、またチャンスを失ってしまった。
(自己紹介なんか、面倒くさいなぁ。ほとんどみんな知ってるのに……)
 クラス発表でもらった用紙を見ながら出席番号順に進むことになった。出席番号一番は、海帆だ。
「天岸海帆です。趣味は音楽鑑賞で、コーラス部に入っています。よろしくお願いします」
 ごく簡単な、よくある自己紹介。
 一番なのと親友なのとで、一応聞いたけれど。
 二番目の人も、三番目の人も、叶依は知っていた。知らない人だけ聞くことにして、叶依は改めてクラスメイトたちの名前を見た。
(えーっと、私の後ろはーっと……)
 ──若崎(わかさき)伸尋(のぶひろ)
(この人は知らん? 話してみようかな? でも今……どうしよ……ま、いっか)
 自己紹介を無視して叶依は座ったまま回れ右し、一秒もせずに前に向き直った。そして気付いたときには、両手で口を押さえていた。
 伸尋は、始業式の前に見つけたイケメンだった。いくら自分が有名でも、どんなプロフィールを持っていても、イケメンを前には全てが無効になる。
(えーっ! うそー! なんで私こんな人の前なん? ちょっとちょっと……)
 ──と、叶依が一人で慌てているのを、伸尋は後ろからじっと観察していた。自分を見てキャーキャー言う女子生徒は何人も見ているけれど、目の前に座る初対面の叶依にも当てはまったらしい。
 伸尋は一度、自己紹介がどこまで進んでいるのか確認してから、少し前のめりになった。
「若咲さん……? 何してんの?」
 自分を見てドッキリしたらしいということは、もちろんわかっている。
「えっ、別に……。気にせんといて」
 叶依は振り返らずに、前を向いたまま返事をした。
(あーびっくりした。って、落ち着け落ち着け。こんなんやったら一年もてへん……)
「なぁ」
 再び背後から伸尋の声がした。
「だから気にせんといてって――」
「ちゃう……回ってきたで。自己紹介」
 顔を上げると、クラス全員に注目されていた。
 叶依は立ち上がり、一呼吸置いてから口を開いた。
「若咲叶依です。趣味はギターで、時々ステージで歌ってます。で……一応、コーラス部の部長です。ちなみに副部長も、このクラスにいますが……。誕生日は元日で、血液型はO型です。叶依って呼んでくださーい」
 有名になってしまったから、自己紹介も少し派手になってしまう。以前は別のあだ名があったけれど、今は名前で呼ばれるのが一番しっくりくる。
 叶依が座って息を整えている間に、伸尋が起立していた。
「若崎伸尋です。趣味はバスケで小さい頃からやってます。クラブはバスケ部で、キャプテンです。俺も――」
 叶依は前を向いていたので、伸尋に見つめられていることに気付くわけがなくて。
「俺も──正月生まれのO型やけど」
「えっ、そうなん?」
 まさかの発言に叶依は振り返り、思わす声を上げた。驚いたのは叶依だけではなく、クラス中からざわめきが起こる。二人がきょうだいだとか、双子だとか、勝手に決めていく。
「違うから、絶対、俺、一人っ子やし」
(確かに違うけど……ちょっと、この人なに?)
 伸尋の発言の意味を叶依が理解するのは、まだまだ先の話だ。

 放課後、叶依は廊下で友人を待っていた。帰っていくクラスメイトを見送りながら、隣には海帆もいる。やはり叶依は有名なようで、違うクラスの生徒たちからも帰りの挨拶をされる。
「叶依、さっき大変やったなぁ」
「うん……なぁんか起こりそう……」
 叶依が溜息をついた直後、それはやってきた。
「叶依ー」
 声がしたほうを見ると、育ちの良いサボテン──深沢(ふかざわ)(ふみ)が笑顔で立っていた。彼は髪型からの第一印象は『ハリネズミ』とか『剣山』とかチクチクした感じだったけれど、性格はとても良いので仲良くしていた。
 けれど今、叶依は笑顔になれない。
「何か用?」
「そんな顔すんなよ。あ、あれ? もしかしてさっきのことで怒ってんの?」
「別に何も怒ってないけど……なんで史が知ってんの?」
 その叶依の発言に史は驚いた。
 というより、悲しそうな顔をしていた。
「おいおいおい、俺も同じクラスなんやけどなー」
「えっ、あ──ごめん、知らんかった」
「知らんかったって、おまえ、自己紹介聞いてなかったん? プリントにも書いてたやろ?」
「だって、ほとんどの人知ってるし、途中から、若崎君と話してたし……」
 本当に、自己紹介はほとんど聞いていない。
 後ろの人が気になって、生年月日が同じと知ってから、他の人はどうでも良くなった。もちろん、自己紹介は彼が最後だったのでそこで終わったけれど──。
「史ー、帰ろー」
 遠くから叫んでやってきたのは思い浮かべていた伸尋だった。
「あれ、もしかして、史と友達?」
「そうそう、俺ら小学校から一緒やねん。あ、そうか、叶依と海帆、こいつ知らんかったんか」
 思い出したように史は伸尋を二人に紹介した。史と伸尋はクラブも性格も全く違うけれど、小学校で一緒になってから、ずっと仲良く育ってきたらしい。
「こいつのことやったら、何でも知ってるで」
「いや史、それ怖いやろ? 全部は知らんと思うけど」
 それはそうだ、と笑いながら、史と伸尋は少しだけ昔話をした。どちらかと言えば成績は伸尋のほうが良くて、運動神経も彼が上らしい。
「え、待って、俺、良いとこないやん」
「──あるやん。誰とでもすぐ仲良くなるとこ」
「おお、そうやな。勉強できても、友達おらんかったら寂しいからなぁ……」
 ああだこうだと言っているうちに挨拶は終わったらしく、男二人は歩き出していた。
 叶依が改めて友人たちが来る方向を向いたとき、
「なぁ、叶依ー、さっきはごめんな」
 謝ったのは、伸尋だった。それよりも、突然名前を呼ばれたことに混乱してしまう。
「えっ? さっき? あ──ううん」
 戸惑う叶依を見て、伸尋は笑った。
「びっくりして、ついな……」
「それは、確かに」
 そして今度こそ帰っていく男二人を見送ってから、叶依は盛大に溜息をついた。彼らはちゃんと階段を下りて行ったようで、やがて姿は見えなくなった。
「なぁ海帆……若崎君ってどういう人?」
「さぁ……。でも、史と仲良いってことは、悪い人ではないんちゃう?」
「そうやったら良いけど……なんか……嫌な予感」
 叶依が再び溜息をついたとき、ようやく三人の友人が現れた。夜宵と時織は普通だったけれど、珠里亜はなぜか、叶依に鞄をぶつける真似をした。
 そんな珠里亜を無視して、叶依に話しかけたのは時織だ。
「さっき話してたの、若崎君?」
「うん。時織、知ってんの?」
「顔だけ知っててんけど……イケメンやからさぁ。朝、海帆にライオンの話したやん? あの人やねん」
「え……あの人なん?」
 海帆は廊下の窓から校庭を見下ろした。
 帰宅する生徒たちの中に、史と伸尋の姿があった。
「あの人あの人。いま誰かに飛びかかってった人。なんかすごくない?」
「すごいけど……なんか引っかかる」
「何が?」
「何となく。だって、自己紹介で『叶依って呼んで』って言ったら、マジで叶依って呼んでんで? 初対面やのに」
「それは、引っかかるか……でも、良い人らしいで。あくまで噂やけど」