夢幻の扉~field of dream~【本編1】

 春、桜が咲いて、新生活が始まる季節。
 学校の始業チャイムが鳴るよりも、チャイム五分前の音楽が流れ始めるよりも、もっと早い時間。通学路を歩いている生徒の間を走り抜けながら知っている生徒には挨拶をして、靴を履き替えてから自分のクラスがある二階へと階段を駆け上がる。クラス発表の用紙はとりあえず受け取ったけれど、前年度のうちに教えてもらっていたので特に見ずに教室の自分の席へ向かう。ちなみに出席番号は、最後から二番目だ。
(今までずっと最後やったけど、今年は違うんよなぁ)
 後ろの席には誰が来るのだろうと思いながら──用紙は鞄に仕舞い込んだので存在を忘れていた──若咲(わかさ)叶依(かなえ)は友人が登校してくるのを待っていた、高校二年生始業式の日の朝。
 既に登校していた生徒たちと雑談をしていると、友人の天岸(あまぎし)海帆(みほ)がやってきた。彼女とは入学してすぐ仲良くなり、今年も同じクラスと聞いて叶依は喜んでいた。友人はクラスにたくさんいるけれど、何でも話せる相手は今のところ彼女だけだ。
「海帆ー。おはよー」
 叶依は自分の席を離れ、海帆の席まで行った。遅れて叶依の存在に気付いたクラスメイトたちに挨拶をしながら、海帆の近くの空いていた席に座った。
「おはよう、叶依。来るの早かったん?」
「うん。なんかそわそわしてさぁ」
 それから話の流れは自然と、クラスメイトのこと。教室を見回しながら、誰がいる、誰がいない、担任は、新年度にはお馴染みの光景だ。
「やったぁ、叶依と同じクラス! よろしく!」
 去年は違うクラスだった生徒たちが、叶依と海帆の周りに集まり始めていた。違うクラスだった生徒たちとは、メンバーがわかる最初の日でもある。
「叶依、相変わらず人気やなぁ」
「そうかなぁ。確かに、よく話しかけられるけど……」
 二人を囲む生徒が多いのは、二人が──特に叶依のほうが有名だったからだ。学年はもちろん、学校全体で、学校の外でも、叶依は有名だった。だからどうしても声をかけられることが多くなってしまうので、海帆と二人で話せる時間はなかなか訪れない。
 一方、教室の反対側では、男子生徒たちが同様に群れを成しているわけで。
(なにあの人……すごい……)
「叶依? なに見てんの?」
「え? あ、べ、別に。何の話やったっけ?」
 海帆は不思議そうな顔をして叶依を見ていた。二人を囲っていた女子生徒たちは、いつの間にかいくつかのグループに分かれてしまっていた。叶依にはとりあえず挨拶をしたかっただけらしい。
「今度、珠里亜(じゅりあ)と三人で遊びに行こうって話。ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよー」
 叶依は笑ってそう言ったけれど、本当はほとんど聞いていなかった。なんとかごまかして会話に戻りながら、頭では違うことを考える。
 男子生徒たちの群れの中に一際目立つイケメンがいて、思わず見つめてしまっていた。
(あの人、去年いたっけ? 目立ってる同級生は把握してるつもりやったけど……転校生? にしては妙に周りと馴染んでるなぁ……)
 知っていれば確実に声を掛けているはずなのに、叶依の記憶に彼は存在しない。どうして今まで出会わなかったのか、それが不思議なほど彼には存在感があった。彼を観察する限り、結構、人気者らしい。
 ようやくチャイムが鳴って、担任の田礼(たれ)巻雄(まきお)が教室に入ってきた。生徒たちは慌てて自分の席に、他のクラスの生徒たちは自分の教室に戻る。
「今から始業式ありますので、えー、体育館に移動してください」
 ホームルームというほどのことはなく、その一言だけで生徒たちは一斉にガヤガヤと動き出す。
 席を立ってから、叶依は初めて後ろの席を振り返った。チャイムが鳴った時は慌てて戻ったので、後ろは見ていなかった。だから一言だけでも挨拶したかったけれど──。
(あれっ、早っ……、もうおれへん(いない)
 既に誰もいなかった、叶依の後ろの席。
(私のこと知ってるよなぁ。あとで話しよーっと)

 体育館シューズを持って廊下に出ると、
「叶依ー海帆ー、おっはよぅー!」
 廊下で待っていたのは、去年同じクラスだった友人の浜奈(はまな)時織(しおり)だった。隣には片瀬(かたせ)珠里亜と、木桜(きざくら)夜宵(やよい)もいる。海帆とあわせてこの五人が、叶依が一番仲良しのグループだ。
 友人たちと挨拶をしていると、誰かが叶依の背中を何かで叩いた。鈍い痛みがあって、叶依は思わず身を縮めた。
「痛っ……、ちょっと珠里亜ー!」
 姿を見なくても犯人がわかるのは、珠里亜がいつも叶依をいじめるからだ。使ったものはおそらく、体育館シューズ。一応袋に入れたままなので、制服が汚れる心配は今のところはない。
「新学年早々……!」
 叶依は怒っているけれど、珠里亜は「ははは」と笑い、叶依を叩き続けた。もちろん、珠里亜は本気なのではなく、ふざけているだけだ。『珠里亜の趣味は叶依をイジメること』、友人たちはそう理解している。
「ところでさぁ」
 暴れる珠里亜を無視して、時織が口を開いた。
「海帆たち、また担任、田礼なんやろ?」
 田礼はまだ若く、嫌われてはいないし悪いこともしない。けれど頼り無さそうなのに担任勢の中では威張っているように見えることもあって、担当が数学なのもあってそれほど好かれている先生ではない。
「そう……ショックやわ」
「ほんま、なんで二年間も田礼なんやろ。来年も田礼とか言っ、たっ、珠里亜!」
「ははは! 田、田礼巻雄、マキちゃん……わーっ!」
 再び叩きに来た珠里亜に叶依がついに怒り、珠里亜は逃げだした。叶依が追いかけ珠里亜は捕まり、それでもケンカは続く。
「あの二人、どうなんのやろ(どうなるんだろう)……」
「さぁ……」
 珠里亜の暴動を止められる人は、今のところ友人にはいない。
 叶依と珠里亜が走っていくのを目で追いながら、時織は話を続けた。
ほんで(それで)さぁ、海帆って十組やん? あのー……何て言ったっけ? あのー……あ、そうそう、ライオンや。同じクラスやろ?」
「ライオン? 誰それ?」
 海帆は首を傾げた。
「え、知らん? うちらも顔しか知らんねんけど、すごい人やで。なんでライオンなんかは知らんけど」