夢幻の扉~field of dream~【本編1】

 二学期始業式の日の教室は、いつもとは空気が違っていた。
 いつもなら誰かと楽しそうにしている叶依が、朝から誰とも話さなかった。友人たちは心配して近くにいるけれど、それでも叶依は関わろうとしない。自分の席で机に伏せて、田礼以外の誰の話も聞かなかった。
「どうする? 叶依、放って帰って良いんかなぁ?」
 友人たちは叶依に声をかけられないまま、下校時刻を迎えていた。クラスメイトたちは叶依を心配しながらも、ほとんどが帰ってしまった。
「おまえらなぁ、先に帰れ」
 史は少し離れて叶依を見ながら、机に(・・)座っていた。
「でも……」
「俺、なんとなく状況わかったから話聞くわ」
「えっ、どんな……?」
「それはまだ言われへんけど──伸尋、おまえも先帰れ。今日はあいつと話するな」
 史はそう言って友人たちから離れ、叶依の前にしゃがんだ。それから声をかけると、ようやく叶依は顔を上げた。無表情に近かった。
「どうしたん? 元気ないやん」
 叶依は何も言わなかった。
「帰ろ。送っ(てあげ)る」
 史が叶依の鞄を持ち上げると、
「史──史ん()、行っていい?」

「俺で良かったら話聞くけど?」
 部屋の中は、きちんと、ではないけれど、ある程度は整頓されていた。
 あれから叶依は史と一緒に学校を出て、寮には帰らずに史の家に寄った。来たかったからではなく、ひとりになるのが怖かった。朝からずっとひとりでいたのは別の理由で、それが長く続いた結果、ひとりでいるのが怖くなってしまった。
 だから、史が──他の誰でもなく、彼が来てくれたときは、本当に嬉しかった。彼は〝俺で良かったら〟と言っていたけれど、他に話せる相手がいないと分かっていたのかもしれない。
「何あったん? 言ってみろよ」
 叶依はゆっくり話しだした。



 夢に出てきた母親の言う通り、叶依は飛行機で北の国へ向かった。
 それは、新千歳空港への直行便だった。空港を出てとりあえず札幌まで電車で向かい、あてもなく歩き続けた。
 しばらくして、大通りにたどり着いた。街を行く人々は、笑顔で叶依の横を通り過ぎていく。デビューして間もないからか、気付く人はいない。学校が夏休みに入っているせいか、子供の姿が多い。
 叶依はしばらく西へと進み、公園が途切れたところで公園の南側を東へ引き返した。テレビ塔を目指して歩き続け、あるときふと、北へ向きを変えた。
 何かが聞こえた。
 音のする方へ誘われるように歩いていくと、それが音楽だとわかった。録音ではなく、生演奏だとわかる。それがギターの音だとは、もちろんすぐに気付いた。
(これってもしかして──)
 二つ目の角を曲がったところで、叶依はそれを発見した。
 ビル街の真ん中に小ぢんまりと建つ時計台。その向かいのオープンカフェに群がる大勢の人。その中央に座って、ギターを奏でる青年二人──。
(うそぉっ?)
 叶依はただ、驚くしかなかった。
 目の前でギターを演奏しているのは、紛れもなくOCEAN TREEだった。二人で息を合わせながら、和やかな雰囲気を作り出していた。二人はまだ、叶依の存在には気付いていないらしい。
 大川に彼らのCDをもらってから、叶依は毎日それを聴いていた。どの曲を聴いても、自然界の、日常生活の、何かを想像できた。叶依のギターには歌があるけれど、彼らの曲にはない。もちろんタイトルはあるけれど、曲のイメージをそのままつけたものは一つもない。
 OCEAN TREEは二人とも、叶依より五歳上だ。それだけしか違わないのに、技術はすごくて感心してしまう。
「どうしたの?」
 頭の上から声がした。
「え?」
「君、さっきからずっとそこに座ってるから、気になって」
 驚いて顔を上げると、叶依の前に立っていたのは二十代前半くらいの爽やかな青年だった。見上げた叶依はぽかんと口を開け、信じられずに相手を見つめた。
「そんな、初対面でそんな顔されたの初めてだなー。それより、そんなところに座ってたら、せっかくのギ──」
(ギター? ああ……ギターの上に座ってる……)
 叶依は慌てて立ち上がった。叶依は泊まりの荷物の他に、アコースティックギターも持ってきていた。無意識にギターケースに座ってしまっていた。
 いつもの顔に戻してから改めて青年を見ると、今度は彼がさっきの叶依よりも驚いた顔をしていた。
「もしかして──若咲叶依ちゃん……?」
「うん」
 叶依は頷いた。
「本当に? マジで?」
 話しかけた相手が叶依だと知って、青年は本当に驚いていた。信じられない、という顔で叶依を見て、辺りを見回してから改めて叶依を見た。もちろん、彼を見たときは叶依も驚いた。青年は、OCEAN TREEのリーダー、葉緒(はお)海輝(かいき)だった。
「なんか、予定してたより、ずいぶん早く出会っちゃったな」
「何やってんの、海輝?」
 海輝の後ろから現れたのは、彼の相棒、恒海(こうみ)冬樹(ふゆき)だ。
「あ、冬樹! も、びっくりしてさ! この子、誰だと思う? あの子だよ、例の!」
 海輝は本当に興奮しているようで、通行人が振り返るくらいに挙動不審だった。
「あの子って――叶依ちゃん?」
 冬樹も目をまん丸にしていた。
「それはそれは。お会いできて光栄でございます」
「ねぇ!」
「そんな、私なんか全然……、二人に比べたら、技術もないし」
「いやいや、そんなことないって。まだ若いのに」
 叶依は〝自分はまだまだだ〟と言い、海輝が否定する。それを見ていた冬樹は笑いだして、叶依は伸び代があるからこれから楽しみだ、と二人を落ち着かせた。
「……えっ、それ、俺はもう終わりってこと?」
「いや、そこまで言ってない。僕らはデビューしたの春でいろんなこと経験したけど、叶依ちゃんはこれからだろうし」
「あ──そういう……」
 初めて会ったはずなのに、そんな気が全くしなかった。彼らの雰囲気が優しいからか、叶依は緊張せずに話せてしまった。──あまり人見知りをしない性格ではあるけれど。
 それでも叶依はOCEAN TREEのファンだったせいか、いざ本人を目の前にすると聞きたいことも聞けなくなってしまった。個人的なことを聞きたいのに、思い浮かぶのはギターの話ばかりだ。
「えっと、あの、その……」
 叶依が困っていると、海輝も話題に困って冬樹のほうを見た。
「とりあえず、あそこ入ろうよ。立ち話もなんだし」
 冬樹はオープンカフェを指差した。