日付は約二週間さかのぼって、総合体育館でバスケの試合が行われた日の夜。
史は家族との用事を済ませると、部屋に戻って伸尋に電話をかけた。もちろん、『叶依がOCEAN TREEと会う日が決まり、叶依はそれをかなり楽しみにしている』と報告するためだ。
「ヤバいで」
『何が?』
「何がって、叶依があいつらと会ったらどうなると思う?」
『どうって……』
「叶依があいつらのファンって知ってるか? あいつらがすごいのは認めるけどさぁ……、叶依も同じくらいのレベルやと俺は思うけどなー。そんな二人、三人がCD交換って、ヤバいやろ」
『CD交換? ああ、挨拶か』
「おまえ、もっと頭働かせっつーの。俺が言いたいのはなぁ、叶依がどっちかと付き合うかも知れんっていう……」
『そんな、叶依に限って』
「わからんで? どこで会うんかは知らんけど、あいつらの前やったら、叶依も自分のこと忘れて、ただのファンになるんちゃうか? あいつらも叶依を気に入ったんやろ?」
『それは、ギターでやろ?』
「いやいや、……俺、前にさぁ、話したやろ? 叶依のこと好きやったって」
史はいま海帆と付き合っているけれど、高校一年のときは叶依のことも好きで、どちらかに決められなかった。叶依と海帆も史が好きだったので友達でいることにしていたけれど、海帆を選ぶことにしたのは伸尋が叶依を好きになったからだ。
『……叶依、可愛いし……モテてるやん』
「だから言ってんやろ。相手は年上やし、上手いこと落としにかかるんちゃうん? 一発でやられるぞ。おまえ、そっから奪い返せるか?」
伸尋は閉口した。
叶依が自分以外の誰かを好きになり、付き合い始め、終には――。
想像したくもない。
けれど、もしそれが現実になるのならどうすればいいのか。どうするべきか。他人と付き合われるよりも、それを無理に離そうとして逆に嫌われるほうが辛い。
「事前に手打つしかないで」
史のその一言が、いつまでも胸に響いていた。
☆
叶依は夢を見ていた。
それはとてもきれいで今までに見たことがない、けれど、なぜかとても懐かしい場所だった。
「叶依ー、こっち来いよー」
伸尋が大きく笑っていた。
叶依は伸尋のほうへ――果てしなく広がる草原の中の、一本の大きな木のほうへ走っていった。
伸尋は木に登っていた。
叶依は木に登ることはせず、下から笑って伸尋を見上げた。
いつの間にか伸尋が見えなくなり、叶依は木陰で眠り始めた。
「叶依ー。叶依ー。どこー? 返事しろー」
どこか遠くで伸尋の声が聞こえた。
「叶依ー、どこにいるのー?」
母親の声も響いていた。
けれど、叶依は返事をしなかった。
(私はここでーす……木の……下でーす……)
伸尋なら見つけてくれるだろう、と思った。
(私はここでーす……)
叶依は夢の中で夢を見ていた。
「叶依」
母親の声がした。
(起きてあげないもーん……)
「叶依、明日ね……」
寝ている叶依の耳元で母親は囁いた。
「明日ね、飛行機に乗って、北の国へ行くの」
(北の国……?)
「絶対行くのよ」
それだけ言うと、母親は叶依の手を握って虚空へと消えた。
(今の……今の、ほんまにお母さん……?)
叶依は操られるように目を覚まし、鞄に荷物を詰め始めた。信じられないけれど、叶依の手には母親の温もりが確かに残っていた。
そして午前八時を回った頃、叶依はひとりで寮を出て行った。
☆
夕暮れ、叶依は窓の外を眺めていた。沈もうとしている夕陽は空をオレンジや紫に染め、同時に湖も夕陽で染まり、空と湖はほぼ一体化していた。
ほぼ、というのは、その境目に薄紫に染められた山が低く連なっていたからだ。
八月に入ったばかりだというのに、空気は冷たかった。風も少し吹いていて、湖の上の湿った空気を運んでくる。
叶依は湖畔の一軒家に部屋を借りていた。
北の国――北海道に来ていた。いまだに信じられないけれど、叶依は確かに北海道にいる。
家の主は快く叶依を迎えてくれた。
「自分の家だと思ってくれて良いからね。――お部屋に案内してあげて」
頼まれた人物は、叶依を家の中へ案内した。そしてその後ろにはもう一人、家の中へ入る者がいた。
叶依は一人でここへ来たのではなかった。
それは、お昼前のことだった。
史は家族との用事を済ませると、部屋に戻って伸尋に電話をかけた。もちろん、『叶依がOCEAN TREEと会う日が決まり、叶依はそれをかなり楽しみにしている』と報告するためだ。
「ヤバいで」
『何が?』
「何がって、叶依があいつらと会ったらどうなると思う?」
『どうって……』
「叶依があいつらのファンって知ってるか? あいつらがすごいのは認めるけどさぁ……、叶依も同じくらいのレベルやと俺は思うけどなー。そんな二人、三人がCD交換って、ヤバいやろ」
『CD交換? ああ、挨拶か』
「おまえ、もっと頭働かせっつーの。俺が言いたいのはなぁ、叶依がどっちかと付き合うかも知れんっていう……」
『そんな、叶依に限って』
「わからんで? どこで会うんかは知らんけど、あいつらの前やったら、叶依も自分のこと忘れて、ただのファンになるんちゃうか? あいつらも叶依を気に入ったんやろ?」
『それは、ギターでやろ?』
「いやいや、……俺、前にさぁ、話したやろ? 叶依のこと好きやったって」
史はいま海帆と付き合っているけれど、高校一年のときは叶依のことも好きで、どちらかに決められなかった。叶依と海帆も史が好きだったので友達でいることにしていたけれど、海帆を選ぶことにしたのは伸尋が叶依を好きになったからだ。
『……叶依、可愛いし……モテてるやん』
「だから言ってんやろ。相手は年上やし、上手いこと落としにかかるんちゃうん? 一発でやられるぞ。おまえ、そっから奪い返せるか?」
伸尋は閉口した。
叶依が自分以外の誰かを好きになり、付き合い始め、終には――。
想像したくもない。
けれど、もしそれが現実になるのならどうすればいいのか。どうするべきか。他人と付き合われるよりも、それを無理に離そうとして逆に嫌われるほうが辛い。
「事前に手打つしかないで」
史のその一言が、いつまでも胸に響いていた。
☆
叶依は夢を見ていた。
それはとてもきれいで今までに見たことがない、けれど、なぜかとても懐かしい場所だった。
「叶依ー、こっち来いよー」
伸尋が大きく笑っていた。
叶依は伸尋のほうへ――果てしなく広がる草原の中の、一本の大きな木のほうへ走っていった。
伸尋は木に登っていた。
叶依は木に登ることはせず、下から笑って伸尋を見上げた。
いつの間にか伸尋が見えなくなり、叶依は木陰で眠り始めた。
「叶依ー。叶依ー。どこー? 返事しろー」
どこか遠くで伸尋の声が聞こえた。
「叶依ー、どこにいるのー?」
母親の声も響いていた。
けれど、叶依は返事をしなかった。
(私はここでーす……木の……下でーす……)
伸尋なら見つけてくれるだろう、と思った。
(私はここでーす……)
叶依は夢の中で夢を見ていた。
「叶依」
母親の声がした。
(起きてあげないもーん……)
「叶依、明日ね……」
寝ている叶依の耳元で母親は囁いた。
「明日ね、飛行機に乗って、北の国へ行くの」
(北の国……?)
「絶対行くのよ」
それだけ言うと、母親は叶依の手を握って虚空へと消えた。
(今の……今の、ほんまにお母さん……?)
叶依は操られるように目を覚まし、鞄に荷物を詰め始めた。信じられないけれど、叶依の手には母親の温もりが確かに残っていた。
そして午前八時を回った頃、叶依はひとりで寮を出て行った。
☆
夕暮れ、叶依は窓の外を眺めていた。沈もうとしている夕陽は空をオレンジや紫に染め、同時に湖も夕陽で染まり、空と湖はほぼ一体化していた。
ほぼ、というのは、その境目に薄紫に染められた山が低く連なっていたからだ。
八月に入ったばかりだというのに、空気は冷たかった。風も少し吹いていて、湖の上の湿った空気を運んでくる。
叶依は湖畔の一軒家に部屋を借りていた。
北の国――北海道に来ていた。いまだに信じられないけれど、叶依は確かに北海道にいる。
家の主は快く叶依を迎えてくれた。
「自分の家だと思ってくれて良いからね。――お部屋に案内してあげて」
頼まれた人物は、叶依を家の中へ案内した。そしてその後ろにはもう一人、家の中へ入る者がいた。
叶依は一人でここへ来たのではなかった。
それは、お昼前のことだった。



