幽霊貴族の政略結婚



レスプリはご機嫌である。
予想だにしなかった精霊たちの悪戯で、まんまとモナをセビレ男爵のもとから引きずり出せたのだからご機嫌もご機嫌だ。
幽霊貴族の邸に戻ってきたモナは、顔見知りの使用人たちに迎えられ、父母に両手を広げて出迎えられた。
「やっと帰ってきたね、僕の精霊ちゃん」
デレデレの顔でモナの頬にキスの雨を降らせているのは父ロバートである。
精霊の姿は見えないが、モナのことを幼いころから〝精霊ちゃん〟と呼んで可愛がってきた。
「聞いたわよ、精霊たちを使って愛人のネックレスを奪ってきたんですって?やるじゃない!」
これは母のサラ。
夫から離縁を言い渡されて出戻ってきた娘に対して第一声がこれである。
幽霊貴族の遠縁にあたる娘で、精霊を見る力が強い。二人はたまたま留学先の外国で出会い、そのまま学生結婚した熱烈な夫婦である。
「精霊たちを使ってそんなわるいことしないよ」
モナはつーんとしながらも、久しぶりの我が家の空気に深呼吸した。
森に飲み込まれるようにひっそりと建つモナの実家は、何百年も前から変わらない緑豊かな場所である。青臭い木々の空気を胸いっぱいに吸いこんで、モナは懐かしい心地よさを思い出す。国の再開発の手からも逃れることができる、幽霊貴族が受け継いできた大事な土地なのだ。
「いいものだろう、実家は」
そんなモナの心情を見透かすように、レスプリが口を出してくる。
「……悪いわけない」
モナが不貞腐れて返事をすると、ハハハっとに笑い声を上げ早々に執事の給仕服を脱いだ。彼は本当はしめつけのないゆるい服装を好むのである。
そんな彼が、モナのために文句ひとつ言わず窮屈執事服を着てくれていたことに気付いて、モナはいたたまれなくなるのだった。


「なんてこと、体重が嫁ぐ前と比べて五キロも減ってるじゃない」
そう口にしたのは母である。
久々の実家での夕食時、美味しい魚のソテーに舌鼓を打っているときだった。
「……精霊を使って体重の増減を当てるの、やめてくれといっているのに」
母に告げ口したであろう風の精霊たちが、テーブルの下できゃっきゃうふふとはしゃいでいる。
「僕の妖精ちゃん、今重要なことはそれじゃないよ」
母サラの隣で話を聞いていた父ロバートが、青ざめながらも優しく嗜む。
「あの家でははじめこそ普通に食事が出されていたが、やがてパン一個だけを寄越すようになった」
「たまに美味しいスープもついてきたよ」
晩餐に同席していたレスプリの言葉に慌ててフォローをいれる。
確かに嫁ぐ前と比べて痩せたが、中肉中背の体型から少し痩せ形に近づいた程度だろう。パンはパンで美味しかったし、たまのスープはスペシャル感があって嬉しかった。そのためあまり重要視ししてなかったが、自分を愛する両親にとっては確かにゆるせないことかもしれない。
嫁いだ娘が嫁ぎ先でろくな食事をとらせてもらっていなかった――文章にすると確かにひどい。
「非人道的だ。仮にも婚姻を結んだ相手を餓えさせるような真似をするとは、どういうことだ?」
案の定である。父は努めて冷静さを保とうとしているが、腸が煮えくり返っているような顔をしていた。
「精霊たちに手を貸してもらって破滅させましょう」
サラがこともなげに言う。
「母様」
モナは窘めるように、低い声で彼女を呼んだ。
母の鉄板ジョークも、今は冗談に聞こえない。
彼女が娘のモナを心から愛していることを知っているからこそ、本当にやりかねないと思ってしまったのだ。
そして精霊たちにはその力があるし、母の言うことならばと協力を惜しまない精霊もいるだろう。
「冗談よ」
モナの制止に、サラは魅力的な笑みを浮かべて答えた。
その仕草が、ますますジョークらしからぬ空気を醸し出している。
「今はゆっくり過ごそう、モナ、君の家はここなのだから」
ロバートが取りなすように、穏やかに微笑んだ。

暫くはゆっくり過ごすことにしよう、とのんびりしていたのも束の間、隣国ドーンの賓客がレスプリを訪れているという。芸術の国アミュートズとは正反対の、お堅いお国柄だという。ドーンとは長らく国交がなかったが、この度、和平を結ぶために第三王子が数日前から来訪しているというのだ。
三日後の夜、お別れの舞踏会が城で開かれるらしい。
「セビレ男爵は欠席するそうよ、気晴らしに出席したら?」
このタイミングで社交会なんぞに顔を出そうものなら、針の筵だろう。
なにせ愛人から金のネックレスを盗んだ貴族令嬢である。ただでさえ幽霊貴族が顔を出せば翌日には噂になる野だから、今回も噂好きの貴族たちの格好の餌食だろう。
そういったことにいまいち鈍い破天荒な母の言葉に、父ロバートがさりげなく口をはさんだ。
「まだモナには早いのではないかな」
気遣うようにモナに微笑みかけてくれる。
それに微笑み返しながら、モナは熟考した。
「……城の筆頭シェフ、アルカタタン様はまだご健在?」
アルカタタンは最年少で宮廷料理人に選ばれたまさに神の腕前を持つ料理人である。モナは彼の作る素晴らしい料理の大ファンだった。彼の食事は、王が開催する宴でしか振る舞われることがない。
舞踏会の食事に見事に釣られ、モナは舞踏会に出席することとなった。