幽霊貴族の政略結婚


幽霊貴族にだけに伝わるおとぎ話がある。
はるか昔、精霊たちの声を聴く一人の青年がいた。
彼は世界を司る彼らの声を頼りに一代で国を築き上げ、やがてその地位を友人に譲り、治世を任せた。
その後、彼は放浪の旅に出ると、家族を連れて国へと戻った。王となった友人は彼の帰還を喜び、彼が作り上げた国で穏やかで暮らせるよう貴族の地位を与えた。
彼の子孫たちには〝見えるもの〟〝見えないもの〟がいた。
時々〝聞こえる〟だけの者も。
精霊たちは常に彼らとともにあり、彼らと大きくなり、彼らとともに世界を巡るのだ――。

そうして連綿と受け継がれてきた精霊の声を聴く青年の一族達は、まるで精霊のように己に正直にその人生を謳歌し、世界中に散らばりながら、その血を広げてきた。
とはいえ、この国にはもう真実を知る者は国王しかいない。
先王が退く際に、王位を継ぐ者だけが事実を告げられ、幽霊貴族と呼ばれる彼らの真実を知るのである。
そうして国王に庇護されながら一族を守ってきた幽霊貴族だが、国内ではすでに知らぬ人がいないほどの変人達を輩出してきた故に、子孫を残すことが年々困難になってきていた。
誰も変人との子供など欲しがらないからだ。
モナが嫁いだセビレ男爵も、その一人だった。

(せめて子作りでもしてくれたらいいんだけど)
〝小さきもの〟たちがモナの髪を風で舞い上がらせ、ぐしゃぐしゃにして遊んでいるのを好きにさせながら、モナはどうしようもないことを考えた。
(せめて血が残せるなら、それで一族の使命を果たせるのに)
好き勝手に生きてきた先人たちはそれでも、なんやかんやと精霊への理解者と出会い、子供を作って精霊を見る者をこの世界に増やしてきた。時折、アイ家の者ではなくとも精霊を見ることができる人間が産まれるのである。そういった人間と運命的に出会い、婚姻を結んだ祖先もいる。
モナの両親もそうである。
父は精霊をみることはできないが、違う国出身の母は幼いころから人ならざる者を見ることができたタイプの人間だ。
二十以上離れた髭面の男と契りを交わすなどモナにとって想像もできないが、子ができるのであれば問題ない。父と母の反対を押し切って、きっとこれが人生でたった一度のチャンスだと、セビレ男爵からの申し出を受けたのだった。
考え事に耽るモナの髪を〝小さきもの〟がくいっと引っ張った。
見れば、物静かなモナを大きな緑の瞳が心配そうに見つめている。
「ごめんごめん」
モナは笑って、彼らの頭を撫でた。
彼らは風を司る精霊たちである。
彼らの〝大人〟の概念は様々で、老齢な精霊たちもいればった今モナの部屋に訪れた〝小さきもの〟のように、その姿のとおり幼い子供のような精霊もいる。とはいえ人間のように姿かたちで年齢が予想できるわけではない。
彼らは幼く見えるが、きっとモナよりずっと長く生きているのである。
「この生活に不満はないけど、君たちをもてなすお茶がないのが悔やまれるね」
実家にいた頃は、顔なじみの精霊たちと常にお茶やお菓子を楽しみ、馬に乗って風の精霊と共に草原を駆け抜け、水の精霊に誘われて森の池で水浴びをして過ごしていた。春になれば木々の精霊たちと共に芽吹いた花を見て回った。木の実の恩恵を受けた。
そんな日々が愛しくも懐かしい。
「それならば即刻この家から出ればいい」
モナの独り言を、レスプリはすかさず拾った。
モナはジト目でレスプリを睨みつける。
ふたりを心配そうに交互に見ていた風の精霊たちが、何を考えているかも知らず――。


「これはどういうことだ」
開口一番、セビレ男爵は怒りをあらわにした。
小柄で、ともすればモナと同じくらいの背丈の彼は、今年五十六歳になる。髭面でニキビが目立つ男で、よく言えば恰幅がいい。身を包んでいる服は煌びやかだが装飾過多で、本人の顔つきのように少しくどい。
そんな彼がなぜ怒りをあらわにしているかというと、愛人にプレゼントしたはずのダイヤのネックレスが、何故かモナ・アイの部屋から見つかったからだ。
二日前から、若く美しい愛人が「なくなってしまった、誰かに盗まれた」と嘆いていた。男爵としてもかわいいかわいい愛人のために奮発したネックレスだったため、なくなったことをかなり惜しんでいたところ、。屋敷にいるお飾りの妻の部屋で見つかったというではないか――。
「わたくしも驚きました、まさか奥様の部屋でネックレスが見つかるとは」
セビレ男爵家の執事頭が青ざめた顔で言う。
その横で、モナは無表情で彼らのやりとりを聞いていた。
「いつものように週に一度のお部屋の清掃にメイドが立ち入ったところ、こちらが無造作にテーブルの上に置かれていたようです」
そのテーブルの上には、美しく光を反射するダイヤのネックレスがそのままの状態で置かれている。
幽霊貴族の変人令嬢がこんなもの持っているはずがないと訝しんだメイド長が、執事長に報告をしたことで、事が発覚した。
「温情でお前のような変人を娶ってやったにもかかわらず、恩をあだで返したというか」
セビレ男爵は怒りでわなわなと震えていた。
(この場合、愛人がいたことに怒るべきなのかな)
彼がモナのところに寄り付かず、毎夜きれいな女性のもとへ足しげく通っていることは精霊たちから聞いていた。
まあモナとは望まぬ結婚だったわけだし、女性のもとへ通っているなら男性としての機能もまだ果てていないのだろう。いつか子作りしてもらえるならそれでいいやとのんきにモナは考えていたのだ。
「これは……、間違いなく私があれにプレゼントしたものだ」
男爵の手が震えながらネックレスを手に取った。
モナは、これからどうなるんだろうと、どこか他人事のように夫であるセビレ男爵と執事長のやり取りを眺めていた。
「信じられませんわ、我がセビレ家の奥様が嫉妬から盗みを働くなんて」
そこにメイド長も加わり、モナの気持ちをなかなかに脚色して語ってくれている。
そんな彼らをよそに、レスプリは黙ってモナの後ろに控えているのみだ。
口出しも助けもしないと、その閉じられた美しい瞼が語っている。
(私は愛人さんが暮らしている場所すら知らない、どうやって盗みを働くというのか……)
とりあえず言い訳くらいはしてみるか、とモナが口を開きかけたとき。
モナの視線の先で、緑色の〝小さきもの〟たちが心配そうにこちらを見ていた。
他の人間には見えないというのに、普段の大胆さはどこへやら、まるで隠れるように半開きのドアから顔を覗かせている。
――犯人は彼らだ。
他意はなく、この家で冷遇されているモナのために何かしてあげようと考えたのだろう。
まさか、愛人のところからネックレスを持ってきてしまうとは思ってもみなかったが。
(セビレ男爵たちの会話を聞いていたのだろうな……、金目のものがあれば、私が食うに困らないと思ったんだろう)
精霊の思考回路など人間が及ぶところではないが、彼ら〝小さきもの〟の思考は単純で大胆である。恐らくモナが予想したとおりのことだろう。
(大丈夫だよ)
その気持ちを込め、モナは彼らににっこりと微笑んだ。
そして目敏くその瞬間を見逃さなかったセビレ男爵は、こう叫んだのである。
「離縁だ!!」

盗みを働いた挙句、悪びれもなく笑顔を浮かべたモナを、セビレ男爵は容赦なく邸から追い出した。
元々厄介払いをしたい持参金だけを目当てに結婚した変人妻だ。
追い出すための都合のいい理由ができたとばかりに、とんとん拍子で離縁の話を進めた。
さらには、不遇のモナをかばいもしなかったレスプリが、セビレ男爵の「離縁」という言葉を聞いた途端、美しい晴れた日の湖面のように瞳を輝かせたのである。
「であればすぐさま出ていきましょう。あなた方もこのような泥棒猫を置いておく義理はない。よかったではないか、幽霊貴族と縁を切るよき理由ができた」
まるで詩でも諳んじるように言い切り、茫然としているモナを連れて颯爽とセビレ男爵の屋敷を後にしたのだ。
見栄っ張りのセビレ男爵は街中に居を構えていたたため、馬車を掴まえるのも用意だった。
馬車に乗り込んだモナたちのあとを慌てて追いかけてきた風の精霊たちが、泣きそうな顔でモナを覗き込んでいる。
モナは茫然としながらも、彼らの不安げな顔にはっと我に返った。
「……大丈夫。私を思ってネックレスを持ってきてくれたんだろう?パンやお茶の代わりになると思ったんだね」
モナが優しく言うと、精霊たちはこくんと頷いてころっと機嫌を直した。
馬車の周りを上機嫌にくるくる回りながら、小さなつむじ風を起こしている。
「今日はやけに風がつよいなあ」
馬の手綱を引く御者が、風で舞い上がりそうな帽子を押さえながらぽつりと呟いた。
モナは馬車のなかでこうれからのことを考えた。
セビレ男爵の様子を見れば、この先の未来などないに等しいものだったかもしれないが、万が一があるかもしれないと抱いていた希望すら打ち砕かれてしまった。
結婚して子作りする――こればかりは、一人の努力でどうにかなるものでもない。
相手ありきのことだからこそ、セビレ男爵から婚姻の申し出があった時は嬉しかった。
(私でも、家のためにできることがあると思えたのに)
心はしくしく泣いているのに、目はからからに乾いている。
モナは泣いたことがない。
精霊たちと過ごすうちにそういった感情が麻痺してきて、どんなに悲しいと思っても涙が出なくなってしまったのだ。
心だけで涙するモナを乗せて、馬車は郊外にあるアイ家へと進み続けた。