幽霊貴族の政略結婚



今日も幽霊貴族の娘は一人で踊る。
闇色の髪を靡かせて、意匠の凝ったドレスを翻し、雨のしずくのようなシャンデリアの下で、姿の見えない〝誰か〟とワルツを踊る――。

芸術と太陽の国「アミュートズ」に、幽霊貴族と揶揄される一族がある。
彼らは人々には見えない者を見ることができ、交信し、謎の言動が目立つ変わり者貴族を排出する一族である。
先代もそのまた先々代も、何故かまともな人間、変わり者、まともな人間、変わり者、と代替えする度に「変わり者」は現れる。
彼らは他の貴族たちからも目に見えて避けられ、「幽霊貴族」と裏で揶揄されていた。
社交界では、幽霊貴族とは関わるなと皆が口々に言う。
そして幽霊貴族たちはそんな人間たちの所業など全く気にしないというように、涼しい顔で夜会の食事を楽しみ、音楽を愛で、颯爽と一人で踊る。時に独り言を漏らし、笑い、まるで気でも狂った人間のように独りで笑みを浮かべながら、会場を後にする。
幽霊貴族たちは皆、口をそろえて言う。
「すべては精霊たちの為すままに――」


幽霊貴族の最年少、モナ・アイは国内の下級貴族に嫁いだばかりである。
幽霊貴族の変人で貰い手のなかったモナを、下級貴族であるセビレ男爵がこのままでは一生独り身だろうと慈悲深い御心で妻に迎えてくれたのだ――表向きは。
実際はモナ娶ることで手に入る多額の持参金が目的だった。
持参金目的の結婚で、かつ変人モナに興味を見せない夫は、外に作った愛人に夢中である。
「今日もいい天気だなあ」
窓の向こうに見える青空を眺めながら、のんびりとモナが言う。
それを聞いて、窓際に控えていた異様に容姿が美しい執事がシャッと音を立ててカーテンを閉めた。
美しい執事は、腰まで伸ばされた美しい銀髪を黒いベルベット生地のリボンでひとつに結んでいる。たった一つの結び目が、彼の周囲を漂う静謐を守る結界のようである。白銀の睫毛に囲まれた瞳は冷たい氷の湖のように澄んだ水色で、あまりに宝石のようで感情は一切読み取れない。肌はゾッとするほど白く滑らかで、まるで芸術家が造形した蝋人形のようである。執事然とした格好をしていてもそのスタイルの良さが際立つ骨格は、稀代の彫刻家が魂を込めた作品のようである。
人間離れした美しさのあまり不気味である――モナを迎え入れたセビレ男爵家の人々は、モナ付きの執事としてやってきたレスプリを見て、口々にそう囁いた。
そんな美しい執事をじとっと睨みつけ、モナは抗議した。
「どうしてそんな意地悪をする」
先程まで柔らかな陽が差し込んでいた明るい室内は、レスプリが引いた重く分厚いカーテンのせいで薄暗くなってしまった。
モナの抗議をふんと鼻で笑い、執事――レスプリはまるで薄桃の花びらのような口を開く。
「なぜこの現状に文句を言わない」
「またその話?」
レスプリが最後まで言い切る前に、モナは呆れたように言葉を被せた。
黒くチリチリとした強めの天然パーマを宝石で着飾ることもせず、伸ばすだけ伸ばした風貌のモナは、細い枝のような手足に黒いシンプルなワンピースドレスを着ている。白い襟にはささやかなレースが縁どられ見る者が見れば質がいいものだとわかるが、パッと見はメイドのお仕着せのようにしか見えない。
主人と執事が逆では?とは、セビレ男爵家の人々の陰口である。
「こんな窓ひとつだけの小さな部屋に押し込まれ、食事はまともに運ばれず、風呂すらまともに用意もされず、そんなお前を放ってどこぞの女にうつつを抜かしているような男の妻でいるつもりか」
レスプリはずっと怒っている。
モナが嫁いでからずっとだ。幼いころからモナを大事にしてきたレスプリにとって、今のモナの状況は許せぬものだった。
「仕方ない、貰い手がいないのだから」
対するモナはこの処遇を心から受け入れていた。
「幽霊貴族と呼ばれる家の出身であるお前が、そこいらの令嬢と同じ道を歩む必要などない」
レスプリは執事とは思えないほど強い口調で、モナに詰め寄った。
レスプリはモナの自由を尊重してくれるが、世間の風当たりは強いものである。
独り言の多いモナと、見目は妙に美しいが主人のために紅茶すら淹れようとしないおかしな執事を気味悪がって、屋敷の人間は誰も近づかなくなった。
はじめのうちは「奥様」と呼んで体裁は保とうとしてくれたが、しばらくするとまともな食事すらも運ばれなくなり、今では小さなパンが運ばれる程度になってしまったのだ。
それでもたまに美味しいスープがついてくるし、モナは満足していた。
あまりにお腹が空きすぎると、それを目敏く察知したレスプリがなんだかんだと厨房からくすねてきたクッキーやパンをテーブルに用意してくれる。
アミュートズの貴族令嬢達が通う学校で、卒業するまで「奇人」と陰口を叩かれ続け、存在しない者として扱われてきたモナにとって、今の生活は充分すぎるものだった。
「わたしは家業を継がないから。おばあさまのように商才があるわけでもない。それならもう、誰かに貰っていただいて面倒を見てもらったほうがいいとおもう」
モナは大真面目に答えた。
モナの祖母はやはりモナと同様変わり者とされていたが、類まれな商才があった。その商才で、貴族女性には珍しく結婚もせず長く自立した女性として生きた。三十を迎えるころ、他国の商家の息子であった祖父と出会って恋愛結婚したのである。
その二人から生まれた父は平々凡々だが、堅実に祖母と祖父の残した商売を大きくしていった。
そのため、幽霊貴族は金だけはあるのである。
「お前だって祖母エイジアの血は受け継いでいる筈だ」
「それって精霊たちのこと?……それは、そうだけどさ」
モナが話を続ける前に、閉じられたカーテンが大きく翻った。
鍵を閉められていたはずの窓がキイと音を立てて開く。
風で翻ったカーテンの向こうから、緑色の姿をした〝小さきもの〟が顔を出していた。
大きくこぼれんばかりの瞳を爛々と輝かせ、モナを見つけると顔いっぱいで笑っている。
「いらっしゃい、よくきたね」
いつものごとく前触れのない精霊たちの訪れに、モナもにこやかに彼らを迎え入れた。
セビレ男爵のもとへ嫁いでから度々勃発するレスプリとモナの言い合いは、いつも彼らによって中断されるのである。