迷い込んだ森の中、消えゆくあなたに恋をした

駅には人一人いなかった。
改札にも駅員はおらず、都会で見るような改札はない。

どうやら完全に無人駅のようだ。

仕組みが分からないながら、彩音は手にしていた切符を設置されている切符回収箱へ放り込むと、そのまま駅の外に出た。

駅前にも人は居ない。
ただ、蝉の鳴き声だけが響き渡っていた。

「おかしいなぁ。送迎バスが迎えに来るって聞いていたんだけど……」

もちろん迎えに来るのは両親ではなく、今晩泊まる旅館の送迎バスだ。
駅から宿までがだいぶ離れているので、駅まで宿の人が迎えに来てくれるというサービスらしい。

だが、彩音が左右を見回しても人一人、猫一匹存在を確認できなかった。

「電話してみようっと。……って、あれ? な、ない!? ウソ! スマホがない! どうして!?」

慌ててバッグを探しても見当たらない。
もちろんポケットに入っているわけもなく、最終的にバッグをひっくり返してもなかった。

最後にスマホを見たのはいつだろうか?

(確か、電車でLINEを確認して……あれ?)

手に持っていたスマホを鞄に入れた記憶がない。

しかも彩音は車内アナウンスを聞いて、慌てて電車から飛び降りた。
その時に手にスマホを持っていた記憶もなかった。

「あっ! もしかして、スマホ、電車に忘れてきちゃったかも……」

スマホには個人情報が詰まっているし、なんならクレカ情報だって入っているわけである。

あれを失くし、違法に使われたら一大事だ。
青くなる彩音だったが、スマホを取り戻す方法が思いつかない。

普通なら駅員に頼んで、電車内に忘れてないかを確認してもらえるだろうが、生憎この駅には駅員もおらず、鉄道会社に電話したくても、スマホも無い状態では電話もできない。

「困ったなぁ……」

だが、もう少しすれば送迎バスが来るはずだ。
そうすれば宿の人に頼んで連絡を取ってもらえるだろう。

しかし、彩音の考えは甘かったようで、待てど暮らせど送迎バスは現れなかった。

(今何時だろう? どのくらい待った?)

いつもスマホの時計を使っているため時間が分からず、自分があとどのくらい待てばいいのかも分からない。

掛け時計くらいあるのではと考えて念のため駅を確認してみたが、その存在はなかった。

自分がいかにスマホに頼った生活をしているのかが、身に染みて分かった。

「それにしても暑っつい……。このまま立ってたら、熱中症になっちゃうよぉ」

いくら緑の多い田舎だと言っても、昨今の災害級の気温上昇の前では、気温は都内とさほど変わらない。
日差しはジリジリと彩音の肌を焼き、息苦しさを覚える。

「うーん、もうちょっと歩けば民家とかあって、電話を借りられるかもしれないし」

彩音はそう気軽に考えて駅を離れることにしたのだが、それがいかに短絡的な考えであったのかをすぐ思い知ることになった。

※ ※

「はぁ……はぁ……。なんで……人が……いないのよ……」

なるべく木陰を歩こうとしていた彩音は、気づけば森の中を歩いていた。

肩で息をしつつ、一歩一歩道を進む。

初めは平らな一本道であったが、現在は若干の上り坂になっている。

喉が渇いて引きつるため、上手く声が出ないものの、このまま無言で歩くことに心が折れそうだ。彩音は声を絞り出し、誰に言うとも無く文句を言った。

もう、結構な時間を歩いた気がする。
それが運動不足の体がそう思わせているだけなのか、本当にそうなのか。
時計を持っていない彩音には判別がつかなかった。

歩き始めは若木が目についたが、気づけばいつの間にか巨木だけが目につく。
先ほどまで燦燦と降り注いでいた日差しは巨木の葉に隠され、鬱蒼とした森の中で、聞こえるのは蝉の声だけ。

(もしかしなくても、私、迷った?)

その可能性に気づいた彩音は、ようやく足を止めた。同時に、柚月の言葉が思い出された。

『神域に足を踏み入れた人間は神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね』
『神域の森に入らなければ大丈夫ですよ』

(いやいや、そんな神域なんて……そんな……)

一瞬、不安に駆られた。
だが、彩音は柚月の言葉を脳内から追い出すことにして、とりあえず駅に戻ろうと踵を返したときだった。

ぽつ、ぽつ……。

不意に彩音の頬に水滴が当たった。
雨だ。

さっきから薄暗くなったと思っていたのだが、それは単に木陰に居るからだと考えていた。だが、どうやら本当に曇りだったらしい。
すると、雨が一気に降ってきた。

「そんなぁ! 私、傘なんて持ってないよ!」

無駄だと思いながらも右手で顔を庇って、彩音は走り始めた。
熱を持ち、汗ばんでいた体はこの雨で一気に冷やされている。

初めは心地よく感じる雨だったが、次第に服がまとわりつくほど濡れてしまった。

ドーン

突然曇天を揺るがすほどの轟音が鳴り響いた。

「か、雷!?」

彩音は反射的にその場で立ちすくんだ。

その雷の音は今まで聞いたことのない程大きな音で、まるで祭りの太鼓のように、腹に響くような、そんな音だった。

何より怖かったのは、雷の光と音がほぼ同時だったということだ。
これは近くに雷が落ちる可能性が高いということを意味する。

「ど、どうしよう……」

彩音は、雨に打たれたままなす術もなく、ただ耳を塞ぎ、体を縮こませていた。
泣き声交じりに呟いた彩音の体に、雨が容赦なく叩きつけてくる。

「どうして……こんな目に遭うのよ!」

人間はどうしようもなくなると、怒りが湧いてくるらしい。
誰に向けられるでもない怒りで、半分やけになって叫んだ。

どうせ、誰も聞いていない。
このくらいしていないと、怖くて本当に泣いてしまう。

そもそも楽しい(であろう)旅行の予定だったのに、どうしてこんなところでずぶ濡れになっているのだろう。
今頃は両親と合流して、高原のアイスクリーム(バニラ)に舌鼓を打っているころだったのに……。

「お前、迷子か?」

その時、周囲の音などかき消すような雨音の中で、少年の声がした。

(こんな天候で、こんな場所で、声がするってどういうこと? 幻聴?)

「おい、お前! 聞こえているか?」

業を煮やしたような怒鳴り声に、彩音が見上げると一人の少年がじっとこちらを見つめていた。

驚いているような、戸惑っているような、そんなちょっと複雑な表情。

「え……?」
「『え……?』じゃない! こんなところにいたら、風邪引くぞ! 下手したら雷に打たれちまう! 早く行くぞ!」
「行くって!?」
「いいからついて来い! ウチはすぐそこだ!」
「えぇっ!?」

そう言って少年は彩音の手をぐいと掴むと、そのまま走り出した。

あまりの速さと雨の激しさに、彩音は目を開けていることができず、ほとんど少年に引っ張られるように走り続けた。