ガタンガタン
不規則に電車が揺れるたび、彩音の体も左右に揺れる。
彩音はそれに抗わずに、そのリズムに身を任せていた。
ガラス越しの日差しは、熱を増してじりじりと彩音の肌に照りつけるが、彩音はそれを気にすることもなく車窓を眺めていた。
窓の外には一面の緑が広がっている。
下草の明るい緑、遠くに見える木々の深い緑。
さらに遠くに見える山々には、針葉樹が多いのか深く黒にも近い緑をしている。
抜けるような青空は夏の本番を告げるかのようで、雲は太陽の強い日差しに照らされ、その白さをさらに際立たせていた。
(うーん。長閑だなぁ……)
夏を象徴するような流れゆく景色を見ながら、笹野彩音はそんなことをぼんやりと思った。
夏休み。
それは学生にとって、もっとも楽しいイベントの一つだ。
学校に行かなくてもいい、夜更かししても問題ない。
自由にのんびり過ごせる時間。
いつもは受験勉強に追われ、部活と勉強と塾にと忙しなく動いている毎日を考えると、都会の喧騒から離れたこの時間が夢のようにも感じられる。
世間一般学生は、世に言うこの夏休みの真っ只中にある。
彩音もまた例外ではない。
この山奥の電車に乗っているのも、その「夏休み」の恩恵によるものだ。
夏休みを利用して、家族旅行に出かけているのだが、電車に乗っているのは彩音一人だ。
両親は仲が良い……というより、異常な程ラブラブ。
新婚当時からそのラブラブっぷりは近所でも評判だったらしいが、それは娘である彩音が17歳になった今でも変わらない。
今回、せっかくの家族旅行となったはずなのに、両親は
『新婚時代を思い出して2人で過ごしたいから先に行っているわね☆』
と言って先に1週間も前に目的地へ行ってしまった。
残された彩音と弟は後発部隊として行く事になったのだが、弟は部活があるからという理由で旅行を拒否。
結果、彩音はこうして一人で山奥の旅館まで行く事となったのだ。
(あのラブラブ両親の中で、旅行を楽しめと!? 無理! 絶対無理! というか、むしろ別行動したい……。はぁ……)
内心ため息をついていると、バッグの中にあるスマホが震えた。
送信元は母親だ。何かあったのかと思い、彩音はメッセージアプリを開いた。
だが、メッセージ内容を見て思わず口元を引きつらせた。
『はろー! もうそろそろ着く頃かしら?
お父さんと二人で今はのんびりアイスを食べていまーす!
高原のアイスはとっても美味しいわよ☆
じゃあ、また宿で会いましょうね!』
やたらテンションの高いメール文面を見た彩音は思わず「スン」となった。
(もうやだ。やっぱり家でのんびりすればよかった……)
だが、既に電車は秘境の宿へと向かっており、目的の駅はすぐそこなのだ。
今更引き返すことなどできない。
その時、不意に彩音の耳に話し声が飛び込んできた。
「葵、そろそろですね」
「あぁ」
繁忙期にも拘わらず、メジャーな観光地ではないせいか車内はがらがらだったので、その声の主はすぐに判明した。
それは斜め向かいに座っていた、ニ人組の男性の会話だった。
(観光かな? でも男性ニ人組で観光っていうのも……どんな関係かな)
ちょっとした好奇心で、彩音はチラリと二人を盗み見た。
葵と呼ばれている男性は年の頃は二十代半ばだろう。
切れ長の目にサラサラの黒髪。スッと通った鼻で涼やかな顔立ちの青年だった。
少しでも笑えば爽やか好青年に見えるだろうが、憮然とした面持ちで窓に目を向けている様子は、少し近寄りがたさを感じる。
もう一人は長身の男性だ。
少し長めの髪は淡い栗色をしていて、光の加減では金色にも見える。同じく色素の薄い瞳を持ち、肌は白く、ともすれば女性にも見える中性的な顔立ちの男性だった。
中性的な顔立ちの青年が憮然とした顔の〝葵〟という方に、苦笑交じりに声を掛けた。
「そんな顔しなくてもいいではありませんか」
「は? どんな顔だ?」
「いかにもつまらなそうという顔ですよ」
「……まぁ、仕事で来ているわけだしな」
どうやら二人は仕事でこの田舎の電車に乗っているわけだ。
このような辺境の田舎に出張というのも不思議な気もするが、まぁ世の中には多くの職業がある。
(仕事かぁ。旅行会社の人とかかな?)
内心そう考えながら、二人の事が少々気になりつつも、彩音は素知らぬ顔でスマホをいじっていた。
だが、耳は確実に二人の会話に向いてしまう。
「そうですが……たまの息抜きだと思って、ちょっとは楽しんではどうですか? ほら、いい景色ですよ」
中性的な顔の青年は葵をたしなめるように言うが、葵にはその言葉は響いていないようでため息をついただけだった。
「楽しむ、ねぇ。確かにネットの情報と依頼者からの話とこの土地の逸話を考えると、宮西悠樹がいる可能性は高いが。だが、それはそれで厄介だけどな」
「確かに、怪異となれば観光どころではありませんが……あまり根を詰め過ぎても良くはありません。僕もついていますし、まずはこの景色でも楽しみましょう」
「柚月は楽観的でいいなぁ」
ニコニコと微笑む柚月と呼ばれた青年に対し、葵は面倒だとばかりにボヤいていたかと思うと、不意にこちらを見た。
思わず目が合う。
(やば! 目が合っちゃった)
慌てて目線を外したが、既に時遅し。
「葵、どうしたんですか?」
「いや、俺達以外にも、奇特な客が居るものだと思って……」
柚月も彩音に目を留めた。
かと思うと、こちらに微笑みながら声を掛けてきた。
「おや。本当ですね。お嬢さんは旅行ですか?」
突然話しかけられた彩音は、すっかり動揺してしまった。
「は、はい!」
「そうですか。気をつけてくださいね。この辺りには神隠しの伝説があるそうですから」
「神隠し、ですか?」
突然、普段耳にしない単語を言われ、彩音は鸚鵡返しに尋ねていた。
「ええ。この地域には、今はもう地図にはない村があったそうなんです。そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね」
「そんな怖い話が……」
これから旅行に行くというのに、ホラーな話は聞きたくなかった。
なんとなく先行き不安だ。
「神域の森に入らなければ大丈夫ですよ」
「まぁ、よっぽどのバカじゃない限り、あんな場所に入ろうとは思わないだろうがな」
青くなる彩音に柚月が宥めるように言い、葵が少し小馬鹿にしたように言った。
その時、がたんとひと際大きく車体が揺れると、駅の到着を告げるアナウンスが車内に響いた。
(この駅だ! 降りなくちゃ!)
彩音は慌てて荷物を抱えると葵と柚月に「それじゃあ失礼します!」という短い挨拶をして電車から飛び降りた。
同時に、プシューという音を立てて、電車のドアが閉まる。
窓越しにニコニコと微笑む柚月と、小さく手を上げる葵が見えた。
彩音はもう一度小さく頭を下げると、二人を乗せた電車を見送った。
不規則に電車が揺れるたび、彩音の体も左右に揺れる。
彩音はそれに抗わずに、そのリズムに身を任せていた。
ガラス越しの日差しは、熱を増してじりじりと彩音の肌に照りつけるが、彩音はそれを気にすることもなく車窓を眺めていた。
窓の外には一面の緑が広がっている。
下草の明るい緑、遠くに見える木々の深い緑。
さらに遠くに見える山々には、針葉樹が多いのか深く黒にも近い緑をしている。
抜けるような青空は夏の本番を告げるかのようで、雲は太陽の強い日差しに照らされ、その白さをさらに際立たせていた。
(うーん。長閑だなぁ……)
夏を象徴するような流れゆく景色を見ながら、笹野彩音はそんなことをぼんやりと思った。
夏休み。
それは学生にとって、もっとも楽しいイベントの一つだ。
学校に行かなくてもいい、夜更かししても問題ない。
自由にのんびり過ごせる時間。
いつもは受験勉強に追われ、部活と勉強と塾にと忙しなく動いている毎日を考えると、都会の喧騒から離れたこの時間が夢のようにも感じられる。
世間一般学生は、世に言うこの夏休みの真っ只中にある。
彩音もまた例外ではない。
この山奥の電車に乗っているのも、その「夏休み」の恩恵によるものだ。
夏休みを利用して、家族旅行に出かけているのだが、電車に乗っているのは彩音一人だ。
両親は仲が良い……というより、異常な程ラブラブ。
新婚当時からそのラブラブっぷりは近所でも評判だったらしいが、それは娘である彩音が17歳になった今でも変わらない。
今回、せっかくの家族旅行となったはずなのに、両親は
『新婚時代を思い出して2人で過ごしたいから先に行っているわね☆』
と言って先に1週間も前に目的地へ行ってしまった。
残された彩音と弟は後発部隊として行く事になったのだが、弟は部活があるからという理由で旅行を拒否。
結果、彩音はこうして一人で山奥の旅館まで行く事となったのだ。
(あのラブラブ両親の中で、旅行を楽しめと!? 無理! 絶対無理! というか、むしろ別行動したい……。はぁ……)
内心ため息をついていると、バッグの中にあるスマホが震えた。
送信元は母親だ。何かあったのかと思い、彩音はメッセージアプリを開いた。
だが、メッセージ内容を見て思わず口元を引きつらせた。
『はろー! もうそろそろ着く頃かしら?
お父さんと二人で今はのんびりアイスを食べていまーす!
高原のアイスはとっても美味しいわよ☆
じゃあ、また宿で会いましょうね!』
やたらテンションの高いメール文面を見た彩音は思わず「スン」となった。
(もうやだ。やっぱり家でのんびりすればよかった……)
だが、既に電車は秘境の宿へと向かっており、目的の駅はすぐそこなのだ。
今更引き返すことなどできない。
その時、不意に彩音の耳に話し声が飛び込んできた。
「葵、そろそろですね」
「あぁ」
繁忙期にも拘わらず、メジャーな観光地ではないせいか車内はがらがらだったので、その声の主はすぐに判明した。
それは斜め向かいに座っていた、ニ人組の男性の会話だった。
(観光かな? でも男性ニ人組で観光っていうのも……どんな関係かな)
ちょっとした好奇心で、彩音はチラリと二人を盗み見た。
葵と呼ばれている男性は年の頃は二十代半ばだろう。
切れ長の目にサラサラの黒髪。スッと通った鼻で涼やかな顔立ちの青年だった。
少しでも笑えば爽やか好青年に見えるだろうが、憮然とした面持ちで窓に目を向けている様子は、少し近寄りがたさを感じる。
もう一人は長身の男性だ。
少し長めの髪は淡い栗色をしていて、光の加減では金色にも見える。同じく色素の薄い瞳を持ち、肌は白く、ともすれば女性にも見える中性的な顔立ちの男性だった。
中性的な顔立ちの青年が憮然とした顔の〝葵〟という方に、苦笑交じりに声を掛けた。
「そんな顔しなくてもいいではありませんか」
「は? どんな顔だ?」
「いかにもつまらなそうという顔ですよ」
「……まぁ、仕事で来ているわけだしな」
どうやら二人は仕事でこの田舎の電車に乗っているわけだ。
このような辺境の田舎に出張というのも不思議な気もするが、まぁ世の中には多くの職業がある。
(仕事かぁ。旅行会社の人とかかな?)
内心そう考えながら、二人の事が少々気になりつつも、彩音は素知らぬ顔でスマホをいじっていた。
だが、耳は確実に二人の会話に向いてしまう。
「そうですが……たまの息抜きだと思って、ちょっとは楽しんではどうですか? ほら、いい景色ですよ」
中性的な顔の青年は葵をたしなめるように言うが、葵にはその言葉は響いていないようでため息をついただけだった。
「楽しむ、ねぇ。確かにネットの情報と依頼者からの話とこの土地の逸話を考えると、宮西悠樹がいる可能性は高いが。だが、それはそれで厄介だけどな」
「確かに、怪異となれば観光どころではありませんが……あまり根を詰め過ぎても良くはありません。僕もついていますし、まずはこの景色でも楽しみましょう」
「柚月は楽観的でいいなぁ」
ニコニコと微笑む柚月と呼ばれた青年に対し、葵は面倒だとばかりにボヤいていたかと思うと、不意にこちらを見た。
思わず目が合う。
(やば! 目が合っちゃった)
慌てて目線を外したが、既に時遅し。
「葵、どうしたんですか?」
「いや、俺達以外にも、奇特な客が居るものだと思って……」
柚月も彩音に目を留めた。
かと思うと、こちらに微笑みながら声を掛けてきた。
「おや。本当ですね。お嬢さんは旅行ですか?」
突然話しかけられた彩音は、すっかり動揺してしまった。
「は、はい!」
「そうですか。気をつけてくださいね。この辺りには神隠しの伝説があるそうですから」
「神隠し、ですか?」
突然、普段耳にしない単語を言われ、彩音は鸚鵡返しに尋ねていた。
「ええ。この地域には、今はもう地図にはない村があったそうなんです。そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね」
「そんな怖い話が……」
これから旅行に行くというのに、ホラーな話は聞きたくなかった。
なんとなく先行き不安だ。
「神域の森に入らなければ大丈夫ですよ」
「まぁ、よっぽどのバカじゃない限り、あんな場所に入ろうとは思わないだろうがな」
青くなる彩音に柚月が宥めるように言い、葵が少し小馬鹿にしたように言った。
その時、がたんとひと際大きく車体が揺れると、駅の到着を告げるアナウンスが車内に響いた。
(この駅だ! 降りなくちゃ!)
彩音は慌てて荷物を抱えると葵と柚月に「それじゃあ失礼します!」という短い挨拶をして電車から飛び降りた。
同時に、プシューという音を立てて、電車のドアが閉まる。
窓越しにニコニコと微笑む柚月と、小さく手を上げる葵が見えた。
彩音はもう一度小さく頭を下げると、二人を乗せた電車を見送った。
