だが、どこを探しても金烏荘に凪の姿は見当たらなかった。
凪の部屋——いない
居間——いない
台所——いない
中庭——いない
(まさか消えた? そんなはず……)
可能性を否定したくても、凪の姿がないことに不安が募った。
このままでは凪は消えてしまう。
確信めいた気持ちが彩音の中に渦巻き、焦らせた。
(凪が消えちゃうってどういう意味?)
その理由を鏡夜は教えてくれなかった。
『じゃあ、一つヒントをあげるよ。凪について知りたいなら君が今まで見たもの、聞いたもの。ここに来て記憶している全ての事をもう一度振り返ってみるといいよ。全ての答えはきっと君の中にあるから』
鏡夜の言葉を反芻する。
(ここに来て記憶している全ての事?)
今まで凪と過ごした時間。
この金烏荘で見聞きしたこと。
その中で様々な違和感は確かにあった。
それらが違和感の欠片として彩音の中にある。だが、その関連が全く見えない。
瀬織に聞きたいが、瀬織が住んでいるところも連絡先も分からない。
(悠樹に聞いてみよう)
そう思った彩音だったが、昨日の悠樹の様子を思い出して踏み出した足を止めた。
先日凪の体調を尋ねた時、悠樹は「単なる疲労なんじゃないかな」と答えた。
その口調は、悠樹が嘘をついているようには聞こえなかった。
もしかしたら悠樹は凪の異変については知らないのかもしれない。
同時に彩音はもう一つ気になることがあった。
彩音が悠樹の両親について尋ねた時、悠樹の態度が明らかにおかしかった。
ぼうっとどこかを見つめ、彩音の声が聞こえていない様子でその言動も普通ではなかった。
そのことを思い出すと、悠樹に凪のことを気軽に尋ねることに気が引けてしまった。
他には、何か情報がないか。
考えながら玄関を見回した彩音の視界に電話が映った。
『金烏荘とはどこにある場所なのか、分かっているのか?』
その時、葵が言っていたことを思い出した。
(確かにここはどこなんだろう? そうだ、地図を確認すれば!)
書庫に行けば、地図もあるはずだ。
彩音は急いで書庫に行き、本棚の本をチェックし始めた。
すると鏡夜が書いたいくつかの本に混じって、地図があるのを発見した。
焦って震える指でページを捲る。
(ここが私が降りた駅。で、この道を通って……)
記憶を頼りに歩いてきた道を辿ろうとしたが、地図には駅から山に入る道など書かれていなかった。
駅周辺の山を探しても、それらしい村の名前は見当たらない。
地図にない村……そんな考えが彩音の中によぎった時、今度は柚月が電車で言っていた言葉を思い出した。
『この地域には、今はもう地図にはない村があったそうなんです。そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね』
柚月が言っていた〝地図にない村〟とはここの事なのだろうか?
ならば、自分たちは神隠しに遭っているということなのか?
「嘘でしょ……。他に、何かヒントになるものは……」
書庫には鏡夜が執筆した本の他に、彼が執筆のために使った参考資料も並んでいる。
その中には、様々な地域の伝承が書かれている本もあったはずだ。
もし、葵が言っていた伝承が本当ならば、この本の中に神隠しの話も載っているかもしれない。
そう考えた彩音は本棚に並んだ本の背表紙を上から順に確認していくと、本棚の中段に差し掛かった時、背表紙をなぞる彩音の指が止まった。
『神の森と神隠し――幽世と現世を繋ぐ場所』
(神隠し……もしかして何か載っているかも)
ページを捲って内容を確認すると先日葵が言っていたように、神域とされる森があり、足を踏み入れた者は神隠しに遭うという伝承が載っている。
神隠しというのは人間の住まう現世から人ならざる者たちの住まう幽世の狭間に迷い込むこと。
その狭間はその土地の産土神によって管理される。
神によっては、迷い込んだ人間を現世に帰す神もいるし、そのまま幽世に連れ去る神もいるという。
更に本を読み進めると、神域に住まうと言われる神々や妖の名前が記されていた。
森で迷った魂を食べる鏡の付喪神の話、雷雨をもたらす鬼の話などだ。
その中で、見知った名前が飛び込んできた。
(瀬織?)
瀬織津姫——それは川の神の名前だった。
瀬織の名前はこの神の名から付けたのだろうか?
そう思った時に、瀬織の姿が思い出された。
『これ、ありがとう』
以前瀬織は彩音が川のごみ拾いをし、祠を掃除したことを喜び、感謝していた。
そして、彼女の耳には祠にお供えしたはずの花が飾られていた。
(もしかして……瀬織さんって人ではなく、川の神なの?)
ありえない。だがそうならば彼女の言動の辻褄が合う。
信じられない思いと、納得する思いが交錯する。
瀬織が川の神だと仮定するならば、鏡夜も人ではない可能性が高い。
だとすれば、悠樹はどうなのだろうか?
そう考えた彩音の脳裏に悠樹の顔が浮かんだ。
だが、同時に思い出したのだ。葵が電話口で言っていた言葉を。
『もしかして、宮西悠樹も一緒か?』
葵が言っていた宮西悠樹とは、悠樹の事だろうか?
もし、葵の言っているのが彩音の知る悠樹の事ならば、やはり悠樹が何かを知っている筈だ。
彩音は悠樹に話を聞くため、慌てて書庫を飛び出した。
果たして悠樹はすぐに見つかった。
「悠樹!」
「どうしたの? そんなに血相を変えて」
「悠樹の名前は、宮西悠樹って言うの?」
「え……」
「ねえ悠樹、ここはどこなの? 私たちは神隠しに遭っているの?」
彩音が尋ねた瞬間悠樹は驚き、目を見開いた。
だが、悠樹は彩音の問いに答えることなく、視線を彷徨わせる。
その目はここではないどこかを見ているように焦点が合わなくなっていた。
「宮西……僕は、宮西悠樹……なのか? そうだ、全てが嫌で……道に迷って……」
ぶつぶつと呟く悠樹の様子は、まるで記憶を手繰り寄せようとしているようにも見えた。
熱に浮かされているかのように、掠れた声で途切れ途切れに呟く。
そして小さく呻くと、唐突に頭を抱えて崩れ落ちた。
「うっ……」
「悠樹!?」
「そうだ……僕は宮西悠樹だ」
「え……?」
「僕はあの日、家出をして、駅から降りて……そして雨の中で凪に出会ったんだ。神域だから帰れって言われて、でも嫌だって答えて……それから……それから……」
悠樹の言葉で、彩音の中で徐々にこれまでの欠片が繋がっていく。
(やっぱり、私たちは神隠しに遭ってるんだわ)
その時、誰かの足音がして、空気が揺らぐのが分かった。
「悠樹、思い出したか?」
「凪……」
そこにあったのは凪の姿だった。
真っ直ぐに悠樹を見つめている表情は、ひどく静かなものだった。
悲しそうにも、嬉しそうにも、切なそうにも見える。
「僕は、ここの住人じゃないんだね。凪は僕の兄じゃない……」
「そうだ。もう、帰る場所は分かっているな」
凪の言葉に、悠樹がゆっくりと頷いた。
悠樹もまた凪を真っ直ぐに見つめる。
「うん。僕は逃げていただけなんだ。辛い現実から、逃げたくて、投げ出したくて。でもいつまでもここにいては駄目なんだね」
柔らかな声音だったが、その言葉には決意のようなものを感じた。悠樹の表情からも、何か意を決したことが伝わってきた。
「彩音も帰ろう。ここは僕たちがいていい世界じゃないんだ。だから、一緒に帰ろう」
そう言って彩音を見る悠樹の色が徐々に薄れていく。
それは、以前彩音が凪の体が薄れていった光景によく似ていた。
もし、彩音と悠樹が神隠しに遭っているとしたら、彩音もまた金烏荘を離れなければならない。
いつまでもこの地に留まることは、許されないのだろう。
だが、彩音が導き出した答えは一つだった。
「私は、帰れない。凪のことを置いて帰れないよ」
彩音が緩く首を振ると、悠樹は小さく眉を下げて苦笑した。
「そっか。もし会えるのなら、現世でまた会おうね」
それだけを告げ、悠樹は微笑みながら消えていった。
まるで夢を見ているようだった。
これまでそこに存在していた人物が痕跡一つ残さずに目の前で消えていった。
「彩音、ちょっとついて来てほしい」
凪は、蛍を見に行った夜の時の似たような誘いの言葉を口にした。
だが、あの時の凪は顔を赤らめて、少しソワソワした様子だったが、今は一転して静かに落ち着いた空気を纏っている。
(きっと、凪は私に伝えようとしているんだ)
伝えられる言葉は彩音の中の答え合わせになるだろう。
その答えが、きっと凪と彩音の関係を良くも悪くも明確にする。
そんな予感がしながら、彩音は小さく頷いて凪と共に歩き出した。
凪の部屋——いない
居間——いない
台所——いない
中庭——いない
(まさか消えた? そんなはず……)
可能性を否定したくても、凪の姿がないことに不安が募った。
このままでは凪は消えてしまう。
確信めいた気持ちが彩音の中に渦巻き、焦らせた。
(凪が消えちゃうってどういう意味?)
その理由を鏡夜は教えてくれなかった。
『じゃあ、一つヒントをあげるよ。凪について知りたいなら君が今まで見たもの、聞いたもの。ここに来て記憶している全ての事をもう一度振り返ってみるといいよ。全ての答えはきっと君の中にあるから』
鏡夜の言葉を反芻する。
(ここに来て記憶している全ての事?)
今まで凪と過ごした時間。
この金烏荘で見聞きしたこと。
その中で様々な違和感は確かにあった。
それらが違和感の欠片として彩音の中にある。だが、その関連が全く見えない。
瀬織に聞きたいが、瀬織が住んでいるところも連絡先も分からない。
(悠樹に聞いてみよう)
そう思った彩音だったが、昨日の悠樹の様子を思い出して踏み出した足を止めた。
先日凪の体調を尋ねた時、悠樹は「単なる疲労なんじゃないかな」と答えた。
その口調は、悠樹が嘘をついているようには聞こえなかった。
もしかしたら悠樹は凪の異変については知らないのかもしれない。
同時に彩音はもう一つ気になることがあった。
彩音が悠樹の両親について尋ねた時、悠樹の態度が明らかにおかしかった。
ぼうっとどこかを見つめ、彩音の声が聞こえていない様子でその言動も普通ではなかった。
そのことを思い出すと、悠樹に凪のことを気軽に尋ねることに気が引けてしまった。
他には、何か情報がないか。
考えながら玄関を見回した彩音の視界に電話が映った。
『金烏荘とはどこにある場所なのか、分かっているのか?』
その時、葵が言っていたことを思い出した。
(確かにここはどこなんだろう? そうだ、地図を確認すれば!)
書庫に行けば、地図もあるはずだ。
彩音は急いで書庫に行き、本棚の本をチェックし始めた。
すると鏡夜が書いたいくつかの本に混じって、地図があるのを発見した。
焦って震える指でページを捲る。
(ここが私が降りた駅。で、この道を通って……)
記憶を頼りに歩いてきた道を辿ろうとしたが、地図には駅から山に入る道など書かれていなかった。
駅周辺の山を探しても、それらしい村の名前は見当たらない。
地図にない村……そんな考えが彩音の中によぎった時、今度は柚月が電車で言っていた言葉を思い出した。
『この地域には、今はもう地図にはない村があったそうなんです。そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね』
柚月が言っていた〝地図にない村〟とはここの事なのだろうか?
ならば、自分たちは神隠しに遭っているということなのか?
「嘘でしょ……。他に、何かヒントになるものは……」
書庫には鏡夜が執筆した本の他に、彼が執筆のために使った参考資料も並んでいる。
その中には、様々な地域の伝承が書かれている本もあったはずだ。
もし、葵が言っていた伝承が本当ならば、この本の中に神隠しの話も載っているかもしれない。
そう考えた彩音は本棚に並んだ本の背表紙を上から順に確認していくと、本棚の中段に差し掛かった時、背表紙をなぞる彩音の指が止まった。
『神の森と神隠し――幽世と現世を繋ぐ場所』
(神隠し……もしかして何か載っているかも)
ページを捲って内容を確認すると先日葵が言っていたように、神域とされる森があり、足を踏み入れた者は神隠しに遭うという伝承が載っている。
神隠しというのは人間の住まう現世から人ならざる者たちの住まう幽世の狭間に迷い込むこと。
その狭間はその土地の産土神によって管理される。
神によっては、迷い込んだ人間を現世に帰す神もいるし、そのまま幽世に連れ去る神もいるという。
更に本を読み進めると、神域に住まうと言われる神々や妖の名前が記されていた。
森で迷った魂を食べる鏡の付喪神の話、雷雨をもたらす鬼の話などだ。
その中で、見知った名前が飛び込んできた。
(瀬織?)
瀬織津姫——それは川の神の名前だった。
瀬織の名前はこの神の名から付けたのだろうか?
そう思った時に、瀬織の姿が思い出された。
『これ、ありがとう』
以前瀬織は彩音が川のごみ拾いをし、祠を掃除したことを喜び、感謝していた。
そして、彼女の耳には祠にお供えしたはずの花が飾られていた。
(もしかして……瀬織さんって人ではなく、川の神なの?)
ありえない。だがそうならば彼女の言動の辻褄が合う。
信じられない思いと、納得する思いが交錯する。
瀬織が川の神だと仮定するならば、鏡夜も人ではない可能性が高い。
だとすれば、悠樹はどうなのだろうか?
そう考えた彩音の脳裏に悠樹の顔が浮かんだ。
だが、同時に思い出したのだ。葵が電話口で言っていた言葉を。
『もしかして、宮西悠樹も一緒か?』
葵が言っていた宮西悠樹とは、悠樹の事だろうか?
もし、葵の言っているのが彩音の知る悠樹の事ならば、やはり悠樹が何かを知っている筈だ。
彩音は悠樹に話を聞くため、慌てて書庫を飛び出した。
果たして悠樹はすぐに見つかった。
「悠樹!」
「どうしたの? そんなに血相を変えて」
「悠樹の名前は、宮西悠樹って言うの?」
「え……」
「ねえ悠樹、ここはどこなの? 私たちは神隠しに遭っているの?」
彩音が尋ねた瞬間悠樹は驚き、目を見開いた。
だが、悠樹は彩音の問いに答えることなく、視線を彷徨わせる。
その目はここではないどこかを見ているように焦点が合わなくなっていた。
「宮西……僕は、宮西悠樹……なのか? そうだ、全てが嫌で……道に迷って……」
ぶつぶつと呟く悠樹の様子は、まるで記憶を手繰り寄せようとしているようにも見えた。
熱に浮かされているかのように、掠れた声で途切れ途切れに呟く。
そして小さく呻くと、唐突に頭を抱えて崩れ落ちた。
「うっ……」
「悠樹!?」
「そうだ……僕は宮西悠樹だ」
「え……?」
「僕はあの日、家出をして、駅から降りて……そして雨の中で凪に出会ったんだ。神域だから帰れって言われて、でも嫌だって答えて……それから……それから……」
悠樹の言葉で、彩音の中で徐々にこれまでの欠片が繋がっていく。
(やっぱり、私たちは神隠しに遭ってるんだわ)
その時、誰かの足音がして、空気が揺らぐのが分かった。
「悠樹、思い出したか?」
「凪……」
そこにあったのは凪の姿だった。
真っ直ぐに悠樹を見つめている表情は、ひどく静かなものだった。
悲しそうにも、嬉しそうにも、切なそうにも見える。
「僕は、ここの住人じゃないんだね。凪は僕の兄じゃない……」
「そうだ。もう、帰る場所は分かっているな」
凪の言葉に、悠樹がゆっくりと頷いた。
悠樹もまた凪を真っ直ぐに見つめる。
「うん。僕は逃げていただけなんだ。辛い現実から、逃げたくて、投げ出したくて。でもいつまでもここにいては駄目なんだね」
柔らかな声音だったが、その言葉には決意のようなものを感じた。悠樹の表情からも、何か意を決したことが伝わってきた。
「彩音も帰ろう。ここは僕たちがいていい世界じゃないんだ。だから、一緒に帰ろう」
そう言って彩音を見る悠樹の色が徐々に薄れていく。
それは、以前彩音が凪の体が薄れていった光景によく似ていた。
もし、彩音と悠樹が神隠しに遭っているとしたら、彩音もまた金烏荘を離れなければならない。
いつまでもこの地に留まることは、許されないのだろう。
だが、彩音が導き出した答えは一つだった。
「私は、帰れない。凪のことを置いて帰れないよ」
彩音が緩く首を振ると、悠樹は小さく眉を下げて苦笑した。
「そっか。もし会えるのなら、現世でまた会おうね」
それだけを告げ、悠樹は微笑みながら消えていった。
まるで夢を見ているようだった。
これまでそこに存在していた人物が痕跡一つ残さずに目の前で消えていった。
「彩音、ちょっとついて来てほしい」
凪は、蛍を見に行った夜の時の似たような誘いの言葉を口にした。
だが、あの時の凪は顔を赤らめて、少しソワソワした様子だったが、今は一転して静かに落ち着いた空気を纏っている。
(きっと、凪は私に伝えようとしているんだ)
伝えられる言葉は彩音の中の答え合わせになるだろう。
その答えが、きっと凪と彩音の関係を良くも悪くも明確にする。
そんな予感がしながら、彩音は小さく頷いて凪と共に歩き出した。
