迷い込んだ森の中、消えゆくあなたに恋をした

「わー遅刻遅刻!」

少女マンガあるあるのセリフを言いつつ、下駄をカランカランと鳴らして彩音は神社まで急いでいた。

着付けた浴衣は少し歩きにくいが、滅多に着ない浴衣を身につけると心が浮き立ってしまう。

(凪、褒めてくれるかな?)

金烏荘を出る時、着付けをしてくれた瀬織には「とても良くお似合いですわ。きっと凪も喜んでくれると思いますよ」と、褒めてくれた。

やっぱり好きな人にも、可愛いと思ってもらいたい。

自分にこんな乙女チックな気持ちがあるとは彩音自身も驚きだ。

周囲の友達から恋バナを聞いても、彩音は笑顔で聞くものの、その気持ちが分からなかった。

自分で言うのもなんだが、彩音はそういう意味ではドライな性格だ。
だが、今なら友人たちの気持ちが分かる。

彩音はドキドキしながら神社に向かった。

大きな杉並木の参道は、以前来た時とは打って変わって喧騒に包まれていた。
多くの人が行き交い、今までどこにこれだけの人がいたのかと驚くぐらいだ。

(みんな、お面つけてる。なんでかな?)

彩音はすれ違う人々を見ながら、そんな疑問を持った。

浴衣を着た人々は、皆提灯を持っており、お面を着けていた。
狐のお面やカラスのお面、ひょっとこやお多福などのお面を着けている人もいる。

何か風習のようなものなのだろうか?

彩音は不思議に思いながら参道を進むと、やがて朱塗りの鳥居が見えてきた。
鳥居をくぐれば、もう境内だ。

その時、境内に入る石段に、一人のお年寄りが俯いて座っているのが見えた。

(あのお婆さん具合でも悪いのかな?)

突然声をかけたら迷惑だろうか。
逡巡したものの、彩音は声をかけることにした。

「お婆さん、具合でも悪いんですか? 大丈夫ですか?」

そう声をかけると、お年寄りの女性が彩音を見上げた。
女性はお面をしていないため、深く皺が刻まれた顔がはっきりと見えた。

柔らかく微笑みながら女性が彩音の問いに答えた。

「心配かけてすまないねぇ。あたしは平気だよ。ただ、これは夢なんじゃないかと思って、この景色を見ていただけなんだよ」
「確かに、なんか夢みたいな雰囲気ですよね」

人々が持つ提灯の灯りと、参道を照らす篝火、露店から溢れるオレンジの光が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

「ずっとこの祭りが見たかったんだけどねぇ、体が動かなくなってしまって。この祭りも見納めかもしれないねぇ」
「そんなこと言わないでください。きっと来年も見れますよ」

「気を使わせてすまないね。でも、もうあたしは病気で、医者からも長くないと言われてるんだよ。でもあっちには大昔に亡くしてしまった娘も待っているでしょうしねぇ。もしかしたら今度は娘と祭りに来れるかもしれない」

それは、この女性が死後にあの世で娘と再会し、また祭りに来るということだろうか?

彩音はなんと言っていいのか分からず言葉を発せないでいると、女性はゆっくりと立ち上がった。

「あぁ、そろそろ戻らないとねぇ。最後にお祭りを見れて良かった。お嬢さんも楽しんでくださいねぇ」
「あ、ありがとうございます」

そうして女性は彩音に会釈をして去って行った。

「あぁ、間に合ったんだ! よかった。間もなく舞が始まっちゃうよ」

入れ替わりのようにパタパタと足音を立ててやって来たのは鏡夜だった。

「あ、ごめんなさい。ちょっとお婆さんとお話ししてて」

彩音がそう告げると、鏡夜は老人の去っていった方向を見た。
もう小さくなってしまった老人の背中を見て、鏡夜が小さく笑った。

「そっか。あの子も来ていたんだ」
「知り合いですか?」
「うん、古い顔見知りって感じかな?」
「そうなんですね。病気だって言ってましたけど、無事に帰れるか心配です」
「今夜は死なないから大丈夫だよ」

その言いぶりだと、明日以降には死んでしまうと聞こえる。
確かに女性本人も医者から長くないと言われていたようだが、鏡夜の言い方には何か含みがあるような気がした。

「彼女より凪の方が心配だよ。無事に最後まで舞えるといいんだけどね……」
「鏡夜さん……あの、凪はやっぱり体の調子が悪いんですか?」
「やっぱりって、どうしてそう思うんだい?」

「……実は、昨日の夜、凪が舞の練習しているところを見てしまったんです。なんか、体が思うように動かせないみたいで、凄く辛そうだったなって思って。さっきだって顔色が悪そうだったし」
「なるほど、彩音ちゃんは、凪のこと、心配してくれてるんだ」

「当たり前です! 凪は恩人ですから。雷雨の時、凪が助けてくれなかったら今頃どうなっていたか……」

そう答えた彩音の顔を見て、鏡夜はニヤリと笑った。

「それだけー?」
「そ、それだけです」

鏡夜に凪が好きだとはバレたくない。
もしバレたら死ぬほど恥ずかしい。

だから彩音は誤魔化そうとしたのだが、鏡夜は意味深な笑顔を向けたままだ。

「本当にぃ~?」
「本当です!」
「ふふ~ん。怪しいなぁ。浴衣で祭りに来たのって凪のためじゃないのー? 僕、妬けちゃうなぁ~」
「ち、違います。瀬織さんが提案してくれただけで……」
「へー、あの、人間嫌いの瀬織がしたんだ。彼女も彩音ちゃんを認めたってわけだね」

彩音の言葉に鏡夜が驚いた表情を浮かべた。その時、大太鼓の音が夜空に鳴り響いた。

ドン、ドン、ドン!

すると喧騒は消え、一気に静寂が支配した。
舞台中央に進み出たのは、舞の装束に身を包んだ凪だった。

濃紺の着物の上に、白い紗の上着を着ている。

額に着物と同じ濃紺に金縁のついた布を巻き、そこから紫と白の細長い帯状の布がふわりと風に靡いていた。
凪は足音も無く、だが厳かに舞台中央まで進むと、ひらりと扇を広げる。

鈴の音と笛の音に合わせ、ゆっくりと凪の舞が始まった。

(凪……凄い……)

それは夢を見ているような光景だった。

衣装のせいか、それとも朧光を放つ篝火のせいか、舞う凪の姿は神秘的で、人ではないようにも見えた。

凪の装束の袖が蝶のように揺れる。すると空気が浄化され、清々しいものへと変化したように感じられた。

それは現世(うつしよ)の出来事ではない、どこか遠い世界の光景のようで、彩音は凪に魅了されたようにその舞を見つめていた。

「綺麗だろう?」
「すごいですね」

鏡夜の言葉に、彩音は凪から目をそらさずに頷いて答えた。
凪に視線を戻した鏡夜は、凪の舞を見つめたまま誰に語るともなく話し始めた。

「あの舞は産土神(うぶずながみ)がこの村に豊穣と安寧を授けるための舞なんだ」
「産土神?」

「産土神は土地の神。この地を守る神だ。村人たちが日々の恵みの感謝と祈りを産土神に捧げ、産土神はそれに応えて、この地に豊穣と安寧の力を授ける。それを何百年もの間繰り返してきたんだよ」

あれは神の舞だからなのだろうか?

厳かで神聖な空気を纏う凪は、まるで神の化身のように神々しい。

凪は扇を天へとすっと伸ばす。金色の扇が月光に照らされた。
そして、大地を踏みしめた凪は、扇を下ろす。

柔らかな弧を描きながら下された扇から、一瞬だけ光の粒子が舞い、地面へとふわりと落ちて、吸い込まれていったように見えた。

それは篝火の火の粉だったのかもしれない。
だが、あまりにも幻想的な光景だった。

凪の舞が終わった後も、彩音はしばらく呆然とした面持ちで舞台を見ていた。

(夢を見ていたみたい……)

「大丈夫、彩音ちゃん?」

鏡夜の声に、彩音はようやく我に返った。
気づくと周囲に人はおらず、彩音と鏡夜だけがその場に残っていた。

「え? あ……あれ?」
「凪の舞に圧倒されたかな?」
「そうですね。なんか、まだ夢うつつで……」

まだぼんやりとしていると、鏡夜が何かに気づいたように視線を向けた。

「おっ! 凪、お疲れさん」
「おう、鏡夜。彩音も来てくれてたんだな」

凪がそう言いながらやって来た。
その姿はいつものように、Tシャツにジーンズ姿で、纏う空気もすっかりいつもの凪だ。

先ほど、あれだけ見事な舞を踊っていた人物とは同一人物には思えない。

「舞、すっごく素敵だったよ!」
「サンキュ。でも退屈じゃなかったか? ああいうのって都会の人間だと物足りないというか、地味だろ?」

「そんなことないよ! 引き込まれちゃって、ずっと見ていたかった。こう……神秘的で、神々しくて、美しくて……上手く表現できないけど、魂が揺さぶられる感動ってこういうことを言うんだなあって思った! 凪……すごく素敵だったよ!」

もっとこの感動を伝えたいのに、上手く言葉が出ないのがもどかしい。だが、そんな拙い感想を聞いて、凪はふわりと優しく笑った。

「彩音がそう言ってくれて嬉しいぜ。舞ってよかったよ。ありがとな」

満面の笑みを浮かべる凪を見て、少しはこの思いが伝わったようで、彩音もまた笑顔を返した。

「そう言えば、もう着替えちゃったんだね。素敵だったのに」
「はぁ? あんなのいつまでも着て歩けないだろ?」
「まぁ、そう言われたらそうだけど……写真撮りたかったなぁ」

元々美形の凪が、舞装束を着る姿をずっと眺めていたかった。

「やめろよ。恥ずかしいだろ」
「えーそんなことないよ。すごく似合ってたし」

照れているのか少し顔を赤らめた凪は、渋い顔で視線を逸らした。
そんな会話を聞いていた鏡夜が小さく忍び笑いをしたかと思うと、一つの提案をした。

「じゃあさ、記憶に留めておくのはどうだい?」
「記憶ですか?」
「うん、この祭りのこととか、凪の舞のこととか。美しい光景を目に焼き付けて、ずっと覚えていればいいじゃない?」
「そうですね! うん、このこと、忘れないようにします」

彩音が大きく頷いて答えると、鏡夜が満足そうに笑った。

「と、言うことで、じゃ、僕はもう帰るねぇ~」
「え? もう帰っちゃうんですか? せっかくだからお祭り周りませんか?」
「えーだってさ。馬に蹴られて死にたくないじゃん」
「えっ!?」

鏡夜の言葉から、彩音が凪を好きだとバレているのだと分かった。
こんなことを言ったら、凪に自分の気持ちがバレてしまう。

「き、鏡夜さん!」

動揺から声を上擦らせてしまった彩音をよそに、鏡夜はニンマリと笑ったあと、踵を返してしまった。

「まぁ、凪と彩音ちゃんはゆっくり帰っておいでね」
(えええ!)

鏡夜がいなくなり、彩音は凪と二人きりになってしまった。

このままどう会話をすればいいのか。

というか、さっきの鏡夜の言葉で、凪が彩音の気持ちに気づいたらどうしようかと、緊張が走る。

「ええと、鏡夜さん帰っちゃったね。私たちも帰ろうか?」

内心の動揺を抑えつつ、彩音は平静を装ってそう提案した。
凪からどんな返事が返ってくるのか。
ドキドキしていると、凪がさらりと答えた。

「そうだな。せっかくだし祭り、周って行こうぜ」

その言葉が嬉しくて、彩音は声を弾ませて頷いた。

「うん!」

こうして彩音と凪はゆっくりと屋台を巡ることにして歩き始めた。

さっきの鏡夜の言葉から、彩音の気持ちがバレてしまったのではと不安だったが、凪は至って普通で、どうやらバレてはいないようだ。

ただ、あまりにも普通なので、それはそれで寂しかった。

(うーん、乙女心って複雑だなぁ……)

そのまま参道にある屋台を眺めつつ、二人肩を並べて歩く。

祭囃子と人々の喧騒が、耳に心地いい。

ヨーヨー釣りを眺めたり、金魚掬いの屋台を眺めたり。
久しぶりに綿飴を買って、凪と二人で分けて食べた。

祭りの雰囲気は非日常で、ただでさえ気分が高揚する。
でもそれだけではなく、凪と一緒に屋台を巡っていることが、何よりも楽しかった。

「りんご飴なんて初めて食べたかも」

カランコロンと下駄を鳴らしつつ、彩音はりんご飴片手にそんなことを言った。

「ははは、りんご飴なんて祭りの定番だと思うけどな」
「うーん、気にはなっていたけど、食べ方が分からないし、手を出せないでいたというか……あつ!」

りんご飴に気を取られた彩音は、前から来た人にぶつかってしまった。

「すみません!」
「大丈夫ですよ」

そんな会話をして、気づいた時には凪の姿はなかった。
きょろきょろと周囲を見回すが、それらしい姿は見つけられない。

(あ、あれ? もしかして逸れちゃった?)

この人混みの中、凪を見つけるのは困難だ。
どうしていいのか。凪を探すか、先に金烏荘に戻るべきか。

彩音が焦って考えていると、不意に誰かに手首を掴まれた。

「ひゃ!」
「はぁ、見つけた」
「凪……」

凪は焦った表情をしたまま息を切らしていた。
その様子から彩音を必死に探していたことが察せられた。

「ったく、こんなところで突っ立って。また迷子になったかと思って焦ったぜ」
「ごめんね」

そう言って苦笑した凪は、不意に彩音に手を差し伸べてきた。
どういう意味か分からず彩音が首を傾げていると、凪は少しだけ視線を逸らし、ぶっきらぼうに言った。

「ほら、もう逸れないように、握ってろ」
「いいの?」
「迷子になられたら困るからな」

そう言った凪の耳がうっすらと赤いのは気のせいだろうか?
彩音は微笑みながらゆっくりと凪の手を握った。

温かい手。

「彩音」
「ん?」
「浴衣、似合っている」
「!」

不意打ちのように言われて、彩音は心臓が止まるかと思った。
赤面しているのが自分でも分かる。
繋いだ手から凪もドキドキしているのが伝わってくる。

もし、凪に顔が赤いと指摘されたら、屋台の明かりのせいにしよう。

彩音はそう思いつつ、凪と手を繋いで再び歩き出した。