空が薄紫色に覆われ、西の空は茜色に染まる頃。
今夜、いよいよ祭りが行われる。
夕食を食べたあとで悠樹たちと祭りに行く予定だ。
祭りに行くなんていつぶりだろう。
祭りの準備を手伝ったこともあるし、久しぶりの祭りに、彩音の心は弾んでいた。
早めの夕食の準備を手伝うため台所に向かおうとした彩音だったが、ちょうど玄関先で凪が靴を履いている場面に遭遇した。
「もしかして、もうお祭りに行っちゃうの?」
「ああ、祭りの準備があるから先に行ってる」
「準備なら、何か手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ。それよりなんか楽しそうだな」
ソワソワしている彩音の態度に気づいたのだろう。
凪が揶揄うような口調で尋ねてきた。
「だってお祭りなんて久しぶりに行くから楽しみで! 凪は舞を踊るんでしょ? それも楽しみにしてるね」
「……ああ、サンキュ」
彩音の言葉に、凪は歯切れ悪く答えた。
村のことを褒めると満面の笑みを返してくれる凪にしては、珍しい反応だった。
その態度を意外に思いながら彩音は凪の顔を見ると、いつもより顔色が悪いように見える。
「顔色悪い気がするけど、具合悪い?」
「そんなことないぜ。俺は元気だ。問題なし!」
「そう?」
凪は、今度はいつものように闊達な笑顔を向けた。
無理をしているのではないか、と彩音は一瞬思った。
だが、その心配を口にする前に凪は彩音に背を向け、玄関を出ようとしていた。
「でも、心配してくれてありがとな。じゃ! 行ってくる」
「あ、いってらっしゃい! 頑張ってね!」
慌ただしく出ていった凪の様子は、やはりいつもとは違う気がした。
それは、些細な違和感だった。
だがどこがおかしいというのは、はっきり分からない。
顔色が悪く見えたのは夕暮れだったから。
そして口調が硬かったのは舞を踊る前の緊張だから。
そう言われてしまえばそうかもしれない。
(でも、なんかスッキリしないんだよね……)
少しだけ引っかかりを覚えたが、やはり気のせいかもしれない。
彩音はそう思って台所に向かおうとした時だった。
宿の奥から慌ただしく悠樹が走ってきた。
「あ、彩音! ちょうど良かった、凪にこれ届けてくれない? ちょっと手が離せなくて!」
「う、うん。いいけど、何?」
「今日の舞で使う扇子だよ。これがないと舞は踊れないからね」
「そうなの!? すっごい大変じゃない! 分かった、渡してくるね!」
「うん、よろしくね」
今なら走れば凪に追いつくかもしれない。
彩音は悠樹から扇子を受け取ると、そのまま凪を追いかけた。
凪が出て行ってから、悠樹が入れ違いに入ってきたので、そこまで遠くまで行ってないだろう。
そう思った彩音の読み通り、少し走るとすぐに凪の背中が見えた。
「凪!」
「ん? 彩音、どうしたんだ?」
「よかった……追いついた……。はぁはぁ……」
驚いて振り向いた凪に駆け寄ると、彩音は弾む息を抑えつつ、凪に扇子を見せた。
「え……? あ! 届けてくれたのか。助かった!」
「ううん。これないと舞えないもんね」
「走らせちまって悪ぃな」
「平気。でも追いついてよかった。はい、これ」
彩音はそう言いながら凪に扇子を渡そうとした。が、扇子は凪の手からするりと滑り落ち、カランという乾いた音を響かせた。
「わ……悪ぃ。ちょっと手が滑った」
凪は落ちた扇子を地面から拾いあげようとしたのだが、うまく掴めず、何度目かでようやく拾い上げることができたのだった。
その様子は明らかにおかしかった。
「凪……本当に大丈夫?」
「心配すんなって。ちょっと、緊張しているのかも」
ぎこちなく笑う凪の様子は、いつもと違うのは明白だった。
しかし、彩音はそれ以上追及する言葉が見つからない。
凪が平気だと言うのに、それを否定する根拠がないからだ。
「そうなの? なら……いいんだけど」
「んじゃ、ありがとな」
そう言うと凪はまるで逃げるように行ってしまった。
遠ざかる凪の背中を見て、彩音の中で言い知れぬ不安が広がっていく。
このまま、凪がどこか遠くに行ってしまうのではないか。
不意にそんな考えが頭をよぎった。
(そういえば、昨日の夜も変だった)
思い出したのは昨夜、凪が中庭で舞っていた姿だった。
あの時も、体の動きがぎこちなく、凪自身上手く踊れないことに苛立っている様子だった。
どこか体が悪い?
それとも何か病気を抱えているのだろうか?
だが、今まではそんな素振りは見せなかった。
畑仕事も元気にこなしていたし、魚釣りをしていた時も普通に釣りをしていて、体が不自由な様子はなかった。
(ただ、私が知らないだけ?)
凪と過ごした時間は、一ヶ月にも満たない。
だから彩音は凪の全てを知っているわけではない。
あの夜のことを思い出した彩音の耳に、鏡夜の言葉が蘇った。
『その体じゃ、まともに舞なんて舞えないだろ?』
『無理に舞を舞う必要はないだろ?』
鏡夜のあの言葉は、凪の体に異変があるということを意味しているのではないか?
同時に、凪が無理してでも舞を踊りたい理由は何なのだろうか?
舞には何か意味があるのか?
そう考えた彩音は凪の消えた方向をもう一度振り返った。
(何か胸騒ぎがするけど……気のせいだよね)
「彩音さん」
突然名前を呼ばれて驚いて振り向くと、そこには瀬織が立っていた。
瀬織の体を見た瞬間彩音の体が強張り、体を包んだ冷たい水の感触が蘇った。
また、金烏荘から出て行けと言われるのだろうか?
(だけど、絶対に金烏荘から出て行かない。凪から離れるなんて嫌)
凪への恋心を自覚した今、瀬織の言うことを聞いてすごすごと出て行くなんて真っ平ご免だ。
だから彩音は引こうとした足を踏ん張って、その場に留まった。
瀬織には負けない。
そういう思いを込めて、彩音は瀬織を睨みつけた。
「また金烏荘から出て行けと言う話ですか?」
問いかけた声は彩音自身が思うよりもずっと冷たく、鋭いものだった。
だが、彩音の予想に反して、瀬織の表情からは敵意が感じられなかった。
むしろ、少し悲しげで、今にも泣き出しそうだ。
「ごめんなさい。恩人を殺すところでしたわ。許してもらえないかもしれないけど、謝らせてくださいませ」
そう言った瀬織は静かに、そして深々と頭を下げた。
「どういうこと?」
瀬織の突然の行動に、彩音は戸惑いを隠せなかった。
尋ねた言葉に、瀬織はゆっくりと顔を上げると、眉を下げて泣きそうな顔をして答えた。
「凪から聞きました。川のごみを拾い、祠を綺麗にしてくれたのは貴女だと」
「えっ?」
確かにこの間、魚釣りの帰りに川のごみ拾いをした。
だが、それが瀬織と何か関係があるのだろうか。
「これ、ありがとう」
そう言った瀬織の耳には紫色の小さな花が飾られていた。
彩音が祠に供えた花——イワタバコの花だった。
瀬織はそっとイワタバコの小さな花に触れながら、嬉しそうに小さく微笑んで、言葉を続けた。
「とても嬉しかったわ。人がこうして祈ってくれるのは久しぶりだったから」
そこまで言うと、瀬織は言葉を区切り、彩音をまっすぐに見つめた。
「だから、そんな優しい貴女を追い出そうとして……凪に凄く怒られてしまったわ。あんなに怒る凪、初めて見たわ」
そう語る瀬織の口調から、凪との親密さが伝わって来た。
彩音の胸がざわりと騒めいた。
「あなたにとって、凪はどういう存在ですか?」
気づけば自然とその疑問を口にしていた。
それをきっかけに堰を切ったように凪への想いが溢れ出した。
「私は……凪が好きです。二人が恋人同士だと知っています。でも、気づいてしまった気持ちに蓋はできません。だから、金烏荘から出て行きません」
感情に任せて一気に言った彩音の言葉を聞いた瀬織は、一瞬だけ驚いた顔をした。
だけど、すぐに柔らかく笑った。
「凪のこと、そう想ってくれるのね。嬉しいわ」
「嬉しい?」
「ええ、貴女のような人間が凪を想ってくれる。それがとても嬉しいわ。それに貴女は誤解しているわ。わたくしたちは恋人同士ではないの。だけどこの間も言いましたけど、わたくしも凪のことが大切。でも、それは恋愛感情ではないわ」
「そう、なんですか?」
瀬織が凪を好きだと言うのは彩音の勘違いだというわけだ。
本心ではあるものの、凪への想いを告白してしまったことに気づき、彩音の顔が羞恥で染まった。
だが、そんな彩音を見つめて、瀬織は優しく微笑んだ。
「そしてね、凪にとっても貴女は大切なのだと思うわ。自分の身を犠牲にしても、守りたいと思っている。ねぇ、貴女のさっきの気持ちは本心? 凪のことが好き?」
「はい、好きです」
口に出して言葉にすると、より一層凪への想いが強くなった。
はっきりと告げた彩音に、瀬織が目元を和らげながら尋ねた。
「じゃあ、凪のことをずっと忘れないでいてくださいます?」
突然の問いに、彩音は一瞬虚をつかれた。
だけど、彩音もまた瀬織を見つめ返して答えた。
「もちろん、忘れません」
この恋心を忘れることなどできない。
むしろ――
(ずっと傍に居たい)
そう。
彩音が金烏荘にいるのは一時的なものだ。
だけど、このままずっと一緒に暮らしたいというのもまた、本心だった。
ずっとこの生活が続けばいいと思うほどに。
「貴女の気持ちが聞けて良かったわ。絶対に、凪を忘れないでくださいませね」
瀬織は満面の笑みを浮かべてそう言った。
そして夜の風が吹いて、瀬織の長い髪が揺れる。
「そろそろ祭りが始まってしまうわね」
「あ! そんな時間なんですね」
「そうだわ。せっかく夏祭りに行くのだもの。精一杯お洒落して、凪を驚かせてくださいな」
「お洒落、ですか?」
急に話題が変わると同時に、今までの張り詰めた空気が一気に柔らかいものとなった。
少し憂いを含んでいた瀬織の表情も、すっかり明るいものになっている。
そのことに、彩音が面食らっている一方で、瀬織は見るからに楽しそうに微笑んだ。
「ええ。浴衣を着ていったらどうかしら」
「でも浴衣なんて持ってませんよ」
「私に任せてくださいな」
(えっ? な、何!?)
彩音は艶やかに微笑んだ瀬織と共に金烏荘に戻ることになった。
今夜、いよいよ祭りが行われる。
夕食を食べたあとで悠樹たちと祭りに行く予定だ。
祭りに行くなんていつぶりだろう。
祭りの準備を手伝ったこともあるし、久しぶりの祭りに、彩音の心は弾んでいた。
早めの夕食の準備を手伝うため台所に向かおうとした彩音だったが、ちょうど玄関先で凪が靴を履いている場面に遭遇した。
「もしかして、もうお祭りに行っちゃうの?」
「ああ、祭りの準備があるから先に行ってる」
「準備なら、何か手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ。それよりなんか楽しそうだな」
ソワソワしている彩音の態度に気づいたのだろう。
凪が揶揄うような口調で尋ねてきた。
「だってお祭りなんて久しぶりに行くから楽しみで! 凪は舞を踊るんでしょ? それも楽しみにしてるね」
「……ああ、サンキュ」
彩音の言葉に、凪は歯切れ悪く答えた。
村のことを褒めると満面の笑みを返してくれる凪にしては、珍しい反応だった。
その態度を意外に思いながら彩音は凪の顔を見ると、いつもより顔色が悪いように見える。
「顔色悪い気がするけど、具合悪い?」
「そんなことないぜ。俺は元気だ。問題なし!」
「そう?」
凪は、今度はいつものように闊達な笑顔を向けた。
無理をしているのではないか、と彩音は一瞬思った。
だが、その心配を口にする前に凪は彩音に背を向け、玄関を出ようとしていた。
「でも、心配してくれてありがとな。じゃ! 行ってくる」
「あ、いってらっしゃい! 頑張ってね!」
慌ただしく出ていった凪の様子は、やはりいつもとは違う気がした。
それは、些細な違和感だった。
だがどこがおかしいというのは、はっきり分からない。
顔色が悪く見えたのは夕暮れだったから。
そして口調が硬かったのは舞を踊る前の緊張だから。
そう言われてしまえばそうかもしれない。
(でも、なんかスッキリしないんだよね……)
少しだけ引っかかりを覚えたが、やはり気のせいかもしれない。
彩音はそう思って台所に向かおうとした時だった。
宿の奥から慌ただしく悠樹が走ってきた。
「あ、彩音! ちょうど良かった、凪にこれ届けてくれない? ちょっと手が離せなくて!」
「う、うん。いいけど、何?」
「今日の舞で使う扇子だよ。これがないと舞は踊れないからね」
「そうなの!? すっごい大変じゃない! 分かった、渡してくるね!」
「うん、よろしくね」
今なら走れば凪に追いつくかもしれない。
彩音は悠樹から扇子を受け取ると、そのまま凪を追いかけた。
凪が出て行ってから、悠樹が入れ違いに入ってきたので、そこまで遠くまで行ってないだろう。
そう思った彩音の読み通り、少し走るとすぐに凪の背中が見えた。
「凪!」
「ん? 彩音、どうしたんだ?」
「よかった……追いついた……。はぁはぁ……」
驚いて振り向いた凪に駆け寄ると、彩音は弾む息を抑えつつ、凪に扇子を見せた。
「え……? あ! 届けてくれたのか。助かった!」
「ううん。これないと舞えないもんね」
「走らせちまって悪ぃな」
「平気。でも追いついてよかった。はい、これ」
彩音はそう言いながら凪に扇子を渡そうとした。が、扇子は凪の手からするりと滑り落ち、カランという乾いた音を響かせた。
「わ……悪ぃ。ちょっと手が滑った」
凪は落ちた扇子を地面から拾いあげようとしたのだが、うまく掴めず、何度目かでようやく拾い上げることができたのだった。
その様子は明らかにおかしかった。
「凪……本当に大丈夫?」
「心配すんなって。ちょっと、緊張しているのかも」
ぎこちなく笑う凪の様子は、いつもと違うのは明白だった。
しかし、彩音はそれ以上追及する言葉が見つからない。
凪が平気だと言うのに、それを否定する根拠がないからだ。
「そうなの? なら……いいんだけど」
「んじゃ、ありがとな」
そう言うと凪はまるで逃げるように行ってしまった。
遠ざかる凪の背中を見て、彩音の中で言い知れぬ不安が広がっていく。
このまま、凪がどこか遠くに行ってしまうのではないか。
不意にそんな考えが頭をよぎった。
(そういえば、昨日の夜も変だった)
思い出したのは昨夜、凪が中庭で舞っていた姿だった。
あの時も、体の動きがぎこちなく、凪自身上手く踊れないことに苛立っている様子だった。
どこか体が悪い?
それとも何か病気を抱えているのだろうか?
だが、今まではそんな素振りは見せなかった。
畑仕事も元気にこなしていたし、魚釣りをしていた時も普通に釣りをしていて、体が不自由な様子はなかった。
(ただ、私が知らないだけ?)
凪と過ごした時間は、一ヶ月にも満たない。
だから彩音は凪の全てを知っているわけではない。
あの夜のことを思い出した彩音の耳に、鏡夜の言葉が蘇った。
『その体じゃ、まともに舞なんて舞えないだろ?』
『無理に舞を舞う必要はないだろ?』
鏡夜のあの言葉は、凪の体に異変があるということを意味しているのではないか?
同時に、凪が無理してでも舞を踊りたい理由は何なのだろうか?
舞には何か意味があるのか?
そう考えた彩音は凪の消えた方向をもう一度振り返った。
(何か胸騒ぎがするけど……気のせいだよね)
「彩音さん」
突然名前を呼ばれて驚いて振り向くと、そこには瀬織が立っていた。
瀬織の体を見た瞬間彩音の体が強張り、体を包んだ冷たい水の感触が蘇った。
また、金烏荘から出て行けと言われるのだろうか?
(だけど、絶対に金烏荘から出て行かない。凪から離れるなんて嫌)
凪への恋心を自覚した今、瀬織の言うことを聞いてすごすごと出て行くなんて真っ平ご免だ。
だから彩音は引こうとした足を踏ん張って、その場に留まった。
瀬織には負けない。
そういう思いを込めて、彩音は瀬織を睨みつけた。
「また金烏荘から出て行けと言う話ですか?」
問いかけた声は彩音自身が思うよりもずっと冷たく、鋭いものだった。
だが、彩音の予想に反して、瀬織の表情からは敵意が感じられなかった。
むしろ、少し悲しげで、今にも泣き出しそうだ。
「ごめんなさい。恩人を殺すところでしたわ。許してもらえないかもしれないけど、謝らせてくださいませ」
そう言った瀬織は静かに、そして深々と頭を下げた。
「どういうこと?」
瀬織の突然の行動に、彩音は戸惑いを隠せなかった。
尋ねた言葉に、瀬織はゆっくりと顔を上げると、眉を下げて泣きそうな顔をして答えた。
「凪から聞きました。川のごみを拾い、祠を綺麗にしてくれたのは貴女だと」
「えっ?」
確かにこの間、魚釣りの帰りに川のごみ拾いをした。
だが、それが瀬織と何か関係があるのだろうか。
「これ、ありがとう」
そう言った瀬織の耳には紫色の小さな花が飾られていた。
彩音が祠に供えた花——イワタバコの花だった。
瀬織はそっとイワタバコの小さな花に触れながら、嬉しそうに小さく微笑んで、言葉を続けた。
「とても嬉しかったわ。人がこうして祈ってくれるのは久しぶりだったから」
そこまで言うと、瀬織は言葉を区切り、彩音をまっすぐに見つめた。
「だから、そんな優しい貴女を追い出そうとして……凪に凄く怒られてしまったわ。あんなに怒る凪、初めて見たわ」
そう語る瀬織の口調から、凪との親密さが伝わって来た。
彩音の胸がざわりと騒めいた。
「あなたにとって、凪はどういう存在ですか?」
気づけば自然とその疑問を口にしていた。
それをきっかけに堰を切ったように凪への想いが溢れ出した。
「私は……凪が好きです。二人が恋人同士だと知っています。でも、気づいてしまった気持ちに蓋はできません。だから、金烏荘から出て行きません」
感情に任せて一気に言った彩音の言葉を聞いた瀬織は、一瞬だけ驚いた顔をした。
だけど、すぐに柔らかく笑った。
「凪のこと、そう想ってくれるのね。嬉しいわ」
「嬉しい?」
「ええ、貴女のような人間が凪を想ってくれる。それがとても嬉しいわ。それに貴女は誤解しているわ。わたくしたちは恋人同士ではないの。だけどこの間も言いましたけど、わたくしも凪のことが大切。でも、それは恋愛感情ではないわ」
「そう、なんですか?」
瀬織が凪を好きだと言うのは彩音の勘違いだというわけだ。
本心ではあるものの、凪への想いを告白してしまったことに気づき、彩音の顔が羞恥で染まった。
だが、そんな彩音を見つめて、瀬織は優しく微笑んだ。
「そしてね、凪にとっても貴女は大切なのだと思うわ。自分の身を犠牲にしても、守りたいと思っている。ねぇ、貴女のさっきの気持ちは本心? 凪のことが好き?」
「はい、好きです」
口に出して言葉にすると、より一層凪への想いが強くなった。
はっきりと告げた彩音に、瀬織が目元を和らげながら尋ねた。
「じゃあ、凪のことをずっと忘れないでいてくださいます?」
突然の問いに、彩音は一瞬虚をつかれた。
だけど、彩音もまた瀬織を見つめ返して答えた。
「もちろん、忘れません」
この恋心を忘れることなどできない。
むしろ――
(ずっと傍に居たい)
そう。
彩音が金烏荘にいるのは一時的なものだ。
だけど、このままずっと一緒に暮らしたいというのもまた、本心だった。
ずっとこの生活が続けばいいと思うほどに。
「貴女の気持ちが聞けて良かったわ。絶対に、凪を忘れないでくださいませね」
瀬織は満面の笑みを浮かべてそう言った。
そして夜の風が吹いて、瀬織の長い髪が揺れる。
「そろそろ祭りが始まってしまうわね」
「あ! そんな時間なんですね」
「そうだわ。せっかく夏祭りに行くのだもの。精一杯お洒落して、凪を驚かせてくださいな」
「お洒落、ですか?」
急に話題が変わると同時に、今までの張り詰めた空気が一気に柔らかいものとなった。
少し憂いを含んでいた瀬織の表情も、すっかり明るいものになっている。
そのことに、彩音が面食らっている一方で、瀬織は見るからに楽しそうに微笑んだ。
「ええ。浴衣を着ていったらどうかしら」
「でも浴衣なんて持ってませんよ」
「私に任せてくださいな」
(えっ? な、何!?)
彩音は艶やかに微笑んだ瀬織と共に金烏荘に戻ることになった。
