朝、空は晴れているものの、うっすらと雲が膜を張り、暑い日差しは影を潜めている。
彩音はまるで自分の心のようだなと思いながらそんな空を見上げた。
決して悲しいわけではないのに、なんとなく気持ちが晴れない。
思い浮かぶのは凪と瀬織が抱き合っている光景だった。
涙を流す瀬織を凪がそっと抱きしめていた。
聞いてはいけないと思いつつも、立ち聞きしてしまった会話の内容から察するに、瀬織が彩音の存在が気に入らないというのがありありと伝わってきた。
『あんな人間、凪が助ける価値なんてありませんわ』
瀬織の言葉と去り際に向けられた激しい憎しみの篭った目を見れば、彩音を疎ましく思っているのは明らかだ。
だが、『あんな人間』呼ばわりされる理由が見当もつかなかった。
その他にも二人の会話が分からない言葉も多々あった。
例えば『あんな人間たちを守護する必要なんてないはず』という言葉の意味が分からない。
文脈から察するに凪が人間たちを守護する、という意味なのだろうが、凪は何か重要な役割を担っているのだろうか。
(たとえば、村長の息子とか? うーん、何だろう?)
その他に、瀬織はもう一つ気になる言葉を口にした。
『凪は消えてしまうかもしれないのに』
あの言葉は何を意味しているのだろうか?
可能性として考えられるのは、凪がこの夏で金烏荘を辞めることだろう。
悠樹や凪の口ぶりから推測するに、凪は金烏荘を閉めて都会に行くつもりのようだ。
そのことを瀬織は『凪は消えてしまうかも』と表現したのだろうか?
だから、凪と離れたくない瀬織はあんなに必死に凪に訴えたのだろうか?
(まぁ、部外者の私が知らないのは当然だけど)
だが、会話の意味と二人の関係が、どうしようもなく気になるのは事実で。
ふと玄関掃除の手がいつの間にか止まっていることに気づいた。
彩音は我に返ると、頭を振った。
(ってか、どうして私、そこまで凪の事ばっかり考えちゃうの!)
あの二人がどんな関係か気になるのは確かだ。
だが、それを知って何になるのだろう?
「あーー! もう考えても仕方ない! よし! 掃除頑張ろう!」
彩音はすっきりと晴れない気持ちを振り切るように、再び箒を持つ手を動かした。
凪の事など気にしない気にしない。
そう自分に言い聞かせていると、突然凪が玄関に現れた。
「お、彩音。玄関掃除か。感心感心」
「な、凪!?」
今の今まで考えていた人物の登場に、彩音の声が裏返ってしまった。
まさか、このタイミングに凪がやって来るとは思わなかった。
「お、お帰りなさい。えっと、お祭りの準備に行ってたんだっけ?」
彩音は内心の動揺を悟られないようにしながら、思い出した話題を口にした。
今朝、凪は朝食を食べるとすぐに、夏祭りの準備があるからと宿から出て行ってしまったのだ。
少しばかり挙動不審になってしまった気もしたが、凪はそれに気づかないようで、いたって普通に答えた。
「ああ」
「もう終わったの?」
「実はまだなんだ。それでさ、彩音はこの後用事あるか?」
「ううん、特には無いよ」
「んじゃ、祭りの準備の方、手伝ってくれないか?」
「もちろん」
玄関掃除はもう終わりだし、その後に悠樹に頼まれている仕事もない。
彩音は二つ返事で了解すると、凪と祭りの手伝いに出かけることになった。
※
どうやら祭りは金烏荘からほど近くにある、村の神社で行われるらしい。
凪に連れられて神社に向かうと、苔むした石が乱雑に組み合わされた石畳の参道が続く。
両脇には見上げるほど大きな杉が等間隔に植えられていて、厳かな雰囲気を醸し出していた。
そして、朱塗りの鳥居をくぐった先には、お社が立っていた。
村の神社と言うので、小さな神社だと勝手に思っていたのだが、彩音の想像より立派な社だった。
分厚い茅葺屋根に全体的に臙脂の色をした社殿。
柱は少し痛んでいるところもあるし、参拝用の鈴も錆び付いてしまっている。
何か凄い装飾があるわけではない。
それでも厳かで、なのに暖かく懐かしい気持ちになる社だった。
「立派な神社だね」
「そうか?」
「うん。この村の信仰の中心だったなって思うし、長い間この村を守ってきた神様が祀られているって感じがする」
彩音の言葉に、凪は驚いた様子だったが、すぐに柔らかく笑った。
「ありがとな。そう言ってもらえて嬉しい」
「別に凪を褒めてるわけじゃないよ」
「まぁそうだけど。やっぱり村を褒められるのは嬉しいな」
「そう? なら良かった」
少し変なことを言ってしまったのではないかと不安に思ったが、凪の様子から察するに大丈夫なようだ。
その時、遠くから彩音を呼ぶ声がした。
「彩音ちゃーん」
「あ、鏡夜さん。悠樹も来ていたんだね」
こちらに向かってくる二人の手には、お米や榊、お酒や塩といったものがあった。
たぶん神社にお供えするものなのだろう。
「彩音も手伝いに来てくれたの?」
「うん」
「ありがとう。人手が足りなかったんだ」
そう言われてみれば、境内にいるのは彩音たちだけだ。
村祭りなのだからもっと準備の人がいると思ったのだが、日中だから人がいないのだろうか?
首を傾げていると、彩音の疑問を見透かしたように、悠樹がその答えを口にした。
「この村に住んでいる人ってあまりいないんだよ。だから、基本準備は僕たちがしているってわけ」
「なるほど。それで、鏡夜さんまで駆り出されているんですね」
昼間は部屋に篭っている鏡夜が珍しく外に出ているのは、そういう理由なのかと彩音は納得した。
「そうなんだよー。凪と悠樹が僕をこき使うんだ。頑張ってる僕を褒めてほしいな」
そう言って鏡夜は彩音にずいっと近寄った。
相変わらず距離感がバグっている。思わずのけ反ると、凪が鏡夜の後頭部を思いっきり叩いた。
「彩音に近寄るな! つーか、そのくらいしろ、居候め」
「暴力反対ー!」
「金烏荘から叩き出してやろうか?」
「ううう……凪が虐める」
わざとらしくシクシクと泣き真似をする鏡夜を悠樹はいつものようにスルーして、彩音に向き直った。
「彩音にはちょっと力仕事になっちゃうんだけど、凪と一緒に篝火の準備をしてほしいんだ」
「篝火を焚くの?」
「そう、当日は凪が舞を踊るから、その灯りが必要なんだ」
「えっ! 凪が舞を!?」
悠樹の言葉に彩音が驚いて凪の顔を見てしまう。
普通は女性が舞うものだと思っていただけに、男の凪が舞うのも意外だった。
それに凪は外を出歩くことが多い、どちらかと言えば闊達なタイプだ。
線の細い悠樹ならともかく、男らしい体つきの凪が踊るのは想像できない。
思わずそう思っていたのを見透かしたようで、凪は不貞腐れたような表情を浮かべた。
「なんだよ、似合わないって?」
「いや……ちょっと想像できないかなぁって」
「舞って言ってもお前が想像しているのとは違うと思うけどさ」
「そうなの? でもお祭りで舞うんだよね? 楽しみだな」
想像がつかないだけに、どんなものか期待に胸が膨らむ。
「じゃあ、さっさと準備するか」
「あ、待って!」
彩音の期待に満ちた目から逃れるように凪が先に行ってしまう。
彩音は慌ててその後を追った。
そうして向かったのは、神社の裏手にある場所だった。
そこにはいくつかの薪が用意されていた。どうやらこれを運べばいいらしい。
「重いから、彩音は一本一本でいいぞ」
「大丈夫だよ!」
そう言いながら彩音は薪を三本ほど抱え、境内に戻ろうとした。
その時ふと林道があるのに気づいた。
山に続くと思われる林道には、まるでそれを守るかのように大きな杉の木が両脇にあり、その間がしめ縄で結ばれていた。
突然足を止めた彩音に気づき、凪が訝し気な表情で声を掛けてきた。
「どうした?」
「ん? あそこに道があるんだね。どこに続いているのかなって思って」
「あぁ、あそこか。あっちは行くんじゃないぞ」
「え? なんで?」
「あっちの森は神域で、入ってはいけないことになってるんだ」
凪の言葉を聞いて、彩音はふと思い出したことがあった。
そう言えば、以前電車で会った葵と柚月という二人組の男性が、そのようなことを言っていた気がする。
(確か神域に入ると神隠しに遭う、とか言っていたような……)
『そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね』
柚月の言葉を思い出して、彩音の背中がゾクリとした。
あくまで伝説だとは分かっているものの、やはり怖い。
触らぬ神に祟りなしというし、近づかないようにしよう。
彩音がそう思って歩き出そうとしたのだが、ふともう一つ思い出して再び足を止めた。
(神隠しの話の前に、葵さんが何か言っていた気がする……)
『この土地の逸話を考えると、宮西悠樹がいる可能性は高いが』
彩音の知る〝悠樹〟といえば、一人しかいない。
(偶然だよね。悠樹なんて名前の人なんて結構いるだろうし)
そう思い直した彩音は、今度こそ再び歩き出し、薪を運ぶことにした。
彩音はまるで自分の心のようだなと思いながらそんな空を見上げた。
決して悲しいわけではないのに、なんとなく気持ちが晴れない。
思い浮かぶのは凪と瀬織が抱き合っている光景だった。
涙を流す瀬織を凪がそっと抱きしめていた。
聞いてはいけないと思いつつも、立ち聞きしてしまった会話の内容から察するに、瀬織が彩音の存在が気に入らないというのがありありと伝わってきた。
『あんな人間、凪が助ける価値なんてありませんわ』
瀬織の言葉と去り際に向けられた激しい憎しみの篭った目を見れば、彩音を疎ましく思っているのは明らかだ。
だが、『あんな人間』呼ばわりされる理由が見当もつかなかった。
その他にも二人の会話が分からない言葉も多々あった。
例えば『あんな人間たちを守護する必要なんてないはず』という言葉の意味が分からない。
文脈から察するに凪が人間たちを守護する、という意味なのだろうが、凪は何か重要な役割を担っているのだろうか。
(たとえば、村長の息子とか? うーん、何だろう?)
その他に、瀬織はもう一つ気になる言葉を口にした。
『凪は消えてしまうかもしれないのに』
あの言葉は何を意味しているのだろうか?
可能性として考えられるのは、凪がこの夏で金烏荘を辞めることだろう。
悠樹や凪の口ぶりから推測するに、凪は金烏荘を閉めて都会に行くつもりのようだ。
そのことを瀬織は『凪は消えてしまうかも』と表現したのだろうか?
だから、凪と離れたくない瀬織はあんなに必死に凪に訴えたのだろうか?
(まぁ、部外者の私が知らないのは当然だけど)
だが、会話の意味と二人の関係が、どうしようもなく気になるのは事実で。
ふと玄関掃除の手がいつの間にか止まっていることに気づいた。
彩音は我に返ると、頭を振った。
(ってか、どうして私、そこまで凪の事ばっかり考えちゃうの!)
あの二人がどんな関係か気になるのは確かだ。
だが、それを知って何になるのだろう?
「あーー! もう考えても仕方ない! よし! 掃除頑張ろう!」
彩音はすっきりと晴れない気持ちを振り切るように、再び箒を持つ手を動かした。
凪の事など気にしない気にしない。
そう自分に言い聞かせていると、突然凪が玄関に現れた。
「お、彩音。玄関掃除か。感心感心」
「な、凪!?」
今の今まで考えていた人物の登場に、彩音の声が裏返ってしまった。
まさか、このタイミングに凪がやって来るとは思わなかった。
「お、お帰りなさい。えっと、お祭りの準備に行ってたんだっけ?」
彩音は内心の動揺を悟られないようにしながら、思い出した話題を口にした。
今朝、凪は朝食を食べるとすぐに、夏祭りの準備があるからと宿から出て行ってしまったのだ。
少しばかり挙動不審になってしまった気もしたが、凪はそれに気づかないようで、いたって普通に答えた。
「ああ」
「もう終わったの?」
「実はまだなんだ。それでさ、彩音はこの後用事あるか?」
「ううん、特には無いよ」
「んじゃ、祭りの準備の方、手伝ってくれないか?」
「もちろん」
玄関掃除はもう終わりだし、その後に悠樹に頼まれている仕事もない。
彩音は二つ返事で了解すると、凪と祭りの手伝いに出かけることになった。
※
どうやら祭りは金烏荘からほど近くにある、村の神社で行われるらしい。
凪に連れられて神社に向かうと、苔むした石が乱雑に組み合わされた石畳の参道が続く。
両脇には見上げるほど大きな杉が等間隔に植えられていて、厳かな雰囲気を醸し出していた。
そして、朱塗りの鳥居をくぐった先には、お社が立っていた。
村の神社と言うので、小さな神社だと勝手に思っていたのだが、彩音の想像より立派な社だった。
分厚い茅葺屋根に全体的に臙脂の色をした社殿。
柱は少し痛んでいるところもあるし、参拝用の鈴も錆び付いてしまっている。
何か凄い装飾があるわけではない。
それでも厳かで、なのに暖かく懐かしい気持ちになる社だった。
「立派な神社だね」
「そうか?」
「うん。この村の信仰の中心だったなって思うし、長い間この村を守ってきた神様が祀られているって感じがする」
彩音の言葉に、凪は驚いた様子だったが、すぐに柔らかく笑った。
「ありがとな。そう言ってもらえて嬉しい」
「別に凪を褒めてるわけじゃないよ」
「まぁそうだけど。やっぱり村を褒められるのは嬉しいな」
「そう? なら良かった」
少し変なことを言ってしまったのではないかと不安に思ったが、凪の様子から察するに大丈夫なようだ。
その時、遠くから彩音を呼ぶ声がした。
「彩音ちゃーん」
「あ、鏡夜さん。悠樹も来ていたんだね」
こちらに向かってくる二人の手には、お米や榊、お酒や塩といったものがあった。
たぶん神社にお供えするものなのだろう。
「彩音も手伝いに来てくれたの?」
「うん」
「ありがとう。人手が足りなかったんだ」
そう言われてみれば、境内にいるのは彩音たちだけだ。
村祭りなのだからもっと準備の人がいると思ったのだが、日中だから人がいないのだろうか?
首を傾げていると、彩音の疑問を見透かしたように、悠樹がその答えを口にした。
「この村に住んでいる人ってあまりいないんだよ。だから、基本準備は僕たちがしているってわけ」
「なるほど。それで、鏡夜さんまで駆り出されているんですね」
昼間は部屋に篭っている鏡夜が珍しく外に出ているのは、そういう理由なのかと彩音は納得した。
「そうなんだよー。凪と悠樹が僕をこき使うんだ。頑張ってる僕を褒めてほしいな」
そう言って鏡夜は彩音にずいっと近寄った。
相変わらず距離感がバグっている。思わずのけ反ると、凪が鏡夜の後頭部を思いっきり叩いた。
「彩音に近寄るな! つーか、そのくらいしろ、居候め」
「暴力反対ー!」
「金烏荘から叩き出してやろうか?」
「ううう……凪が虐める」
わざとらしくシクシクと泣き真似をする鏡夜を悠樹はいつものようにスルーして、彩音に向き直った。
「彩音にはちょっと力仕事になっちゃうんだけど、凪と一緒に篝火の準備をしてほしいんだ」
「篝火を焚くの?」
「そう、当日は凪が舞を踊るから、その灯りが必要なんだ」
「えっ! 凪が舞を!?」
悠樹の言葉に彩音が驚いて凪の顔を見てしまう。
普通は女性が舞うものだと思っていただけに、男の凪が舞うのも意外だった。
それに凪は外を出歩くことが多い、どちらかと言えば闊達なタイプだ。
線の細い悠樹ならともかく、男らしい体つきの凪が踊るのは想像できない。
思わずそう思っていたのを見透かしたようで、凪は不貞腐れたような表情を浮かべた。
「なんだよ、似合わないって?」
「いや……ちょっと想像できないかなぁって」
「舞って言ってもお前が想像しているのとは違うと思うけどさ」
「そうなの? でもお祭りで舞うんだよね? 楽しみだな」
想像がつかないだけに、どんなものか期待に胸が膨らむ。
「じゃあ、さっさと準備するか」
「あ、待って!」
彩音の期待に満ちた目から逃れるように凪が先に行ってしまう。
彩音は慌ててその後を追った。
そうして向かったのは、神社の裏手にある場所だった。
そこにはいくつかの薪が用意されていた。どうやらこれを運べばいいらしい。
「重いから、彩音は一本一本でいいぞ」
「大丈夫だよ!」
そう言いながら彩音は薪を三本ほど抱え、境内に戻ろうとした。
その時ふと林道があるのに気づいた。
山に続くと思われる林道には、まるでそれを守るかのように大きな杉の木が両脇にあり、その間がしめ縄で結ばれていた。
突然足を止めた彩音に気づき、凪が訝し気な表情で声を掛けてきた。
「どうした?」
「ん? あそこに道があるんだね。どこに続いているのかなって思って」
「あぁ、あそこか。あっちは行くんじゃないぞ」
「え? なんで?」
「あっちの森は神域で、入ってはいけないことになってるんだ」
凪の言葉を聞いて、彩音はふと思い出したことがあった。
そう言えば、以前電車で会った葵と柚月という二人組の男性が、そのようなことを言っていた気がする。
(確か神域に入ると神隠しに遭う、とか言っていたような……)
『そこでは神域に足を踏み入れた人間は、神の世界に連れていかれると言われているそうですよ。まさしく〝神隠し〟ですね』
柚月の言葉を思い出して、彩音の背中がゾクリとした。
あくまで伝説だとは分かっているものの、やはり怖い。
触らぬ神に祟りなしというし、近づかないようにしよう。
彩音がそう思って歩き出そうとしたのだが、ふともう一つ思い出して再び足を止めた。
(神隠しの話の前に、葵さんが何か言っていた気がする……)
『この土地の逸話を考えると、宮西悠樹がいる可能性は高いが』
彩音の知る〝悠樹〟といえば、一人しかいない。
(偶然だよね。悠樹なんて名前の人なんて結構いるだろうし)
そう思い直した彩音は、今度こそ再び歩き出し、薪を運ぶことにした。
