恋は、終わったのです

 sideセオドア


 夜会の喧騒は遠のき、庭には静寂が広がっていた。


 甘やかな花の香りが漂い、月明かりが輝く。私は物陰に身を潜め、じっとチャンスを窺う。


 そこへ、リディアとレオナードが姿を現した。二人は並んで歩き、親しげな雰囲気を醸し出している。


 運命が私に味方している――この機を逃すものか。



「リディア!」


 呼びかけると、レオナードが即座に反応し、彼女の前に立つ。まるで盾のように。まったく、身の程をわきまえぬ男だ。



「モンクレア伯爵令息、なぜここに?」


 警戒心を滲ませたレオナードの声が鋭い。


 だが、構うものか。私は一歩踏み出し、真っ直ぐにリディアを見据えた。



「リディア、君を救うために来た。君は騙されているんだ。その男に」


 二人は一瞬、互いに顔を見合わせた。

 意味がわからないというように、わずかに眉をひそめるリディア。



「侯爵令嬢と子爵令息なんて、身分が違いすぎるだろう」

 吐き捨てるように言うと、リディアはふっと笑った。その笑みに嘲りが混じる。



「ああ、そういうことでしたか。私、身分を失う可能性があるのに、恋しさを選んだモンクレア伯爵令息に感化されたのですわ」


 身分を失う――そんなこと、知らなかった。私は拳を握り締める。



「私たち、身分差を乗り越えましたの。素敵でしょう? 一度は諦めたのだけれど、心に嘘をつけなくて、どうにもならない思いを伝え合ったのですわ。二人で身分差を乗り越えるために力を尽くし、最後には周りに祝福されて望みをかなえる。感動的だと思いませんこと? 物語のようで」

 澄んだ瞳でそう語るリディア。その様子に、怒りがこみ上げる。以前私とエマが語った物語を皮肉っているのだろう。



「何も感動的ではない! 現実を見ろ。つまり、リディアは、以前からその男と不貞をしていたということなんだな」

 リディアの表情が冷たくなる。


「失礼ですわ。心で思うことは自由って言ったのを覚えていまして? 婚約者としての義務を優先し、切ない思いを隠し……。あなたになら、よくわかるのではないかしら?」



「そんなの認めない……」


「認められなくても構いませんわ」


 突き放すような言葉。よそよそしい話し方。背筋に冷たいものが走る。



「子爵令息だったこの男が公爵家に養子だと!? 家柄にふさわしくないだろ!」



「……自分から、享受していた幸運を手放したのに、八つ当たりとは」


 レオナードが呆れたように低く呟く。こいつは――



「っ! お前、知っていたんだろ。公爵を狙って……やはり、リディア、君は騙されている!」


 叫ぶ私に、レオナードは静かに言った。



「私の一番の幸運は、リディアに選ばれたということだ。あとからついてきた数々ものではない。私は、リディアが許してくれるのなら、共に働いて、慎ましく暮らすでも構わなかった。ああ、万が一、私の力不足で没落してしまったら、そうすることにしよう、リディア」


 リディアが嬉しそうに笑う。



「ふふ、私とあなたがいるのに没落などしないわ。でも、そうなったら、共に文官なんかいいわね」


「はは、さすが私の妻だ」



 ――妻?

 耳を疑う。



「妻……だと……?」



 レオナードが勝ち誇ったように笑う。


「なんだ、知らなかったのか? 式はまだ先だが、王家の許可のもと聖堂で婚姻の誓いをし、そのまま届け出を出している。だから私の妻を名前で呼ぶことは許さない」



 血の気が引く。そんな――まさか。



「そんな……」

 呆然とする私を、レオナードは一瞥した。そして、鋭い声を上げる。


「衛兵! 招待客以外の者が紛れ込んでいる! 今すぐ来てくれ!」



 足音が近づく。腕を乱暴に捕まれ、私は引きずられるように連れ出された。

 夜会の華やかな明かりや音楽が遠ざかる。月が静かに、冷たく輝いていた。




 *****


 sideリディア




「なんだったのかしら……」

 静かに呟くと、レオナードは肩をすくめる。



「モンクレア伯爵には、私から苦情を入れておこう」

 彼の声音には、どこか余裕すら感じられた。すべて終わったことだと言わんばかりに微かに微笑む。私はそんなレオナードに目を向けた。彼はすっと手を差し出す。



「では、愛しいリディア、私とダンスを踊ってくれますか?」


 私はその手を取る。指先が触れた瞬間、彼の体温が心地よく伝わってきた。



「ええ、喜んで」


 優しい月明かりの下、夜会の音楽が流れ込み、庭の花々が優雅に香る。


 たくさんの星々に見守られたあの日のように、ただ二人だけの世界がそこにあった。