恋は、終わったのです

 お父様は、セオドアの不貞が信じられない様子で、怒りに震えている。



「何度も関係修復を試みましたが、無駄でした。もし、セオドアがその令嬢を選び、婚約破棄と言ったら、私は受け入れます。ですが、伯爵家は悪いようにはしないでください」

「ああ、それは約束しよう。伯爵とは親友とまでは言わないが、仲は悪くない。共同事業のことも心配するな。いや、そうではなく……」

 お父様の語尾が揺れる。



「もし言わずに何事もなかったように婚姻を進めようとしたら、不貞の証拠はいくらでもあります。こちら主導で破棄をしてください」


 お父様はしばらく何も言わなかった。


「いくらでも……あるのか。関係はうまくいっていなかったのか? どれくらい前からだ」

「うまくいっていない時期がどのくらい前か、もう忘れてしまいましたわ。ここ数年、贈り物は、あの似合わないドレスのみ。更にここ半年は、顔も合わせておりません」


 お父様が信じられないものを見るように私を見つめる。



「同じ学院にいるのにか? まさか、学院に入ってからの登下校は……」

「一緒に登下校したことなどありません」

 私の言葉が、ゆっくりと沈殿していくように、お父様は目を伏せた。長いため息が、重く響く。



 この会話の先にある未来は、きっと平坦ではない。けれど、私はもう後戻りするつもりはなかった。

 お父様は、再び頭を抱えた。



「似合っていないドレス……そうだな、似合っていなかった。だが、婚約者からの贈り物だったからな。ドレスに合わせて普段とは違う髪型をしているお前を見たら、何も言えなかった。てっきり、喜んでいるものだと……すまない」


 あのドレスを着た日のことを思い出す。

 鏡に映った自分は、まるで見知らぬ誰かのようだった。セオドアが選んだという色もデザインも、私には決して似合わなかった。けれど、それを否定することもできず、ただお父様に微笑んで出かけるしかなかった。

 そのあと、胸を切り裂かれるような出来事が待ち受けていることにも気付かずに。



「お父様は大丈夫とおっしゃいましたが、共同事業が頓挫した場合、公爵家の養子問題で不利益が出た場合、それによって弟に影響が出た場合、私は修道院へ行きます。責任をとって」


「修道院だと!? ……何も問題にはならない。修道院など行かなくてよい、行かせるわけがない。お前には、幸せな道への選択肢がいくつもあるんだ」


 お父様の言葉に、疑問が浮かぶ。

 そんなはずは……。私が婚約破棄をすることで、家に影響が出ないはずがない。



「そうだな。お前がそんな極端な考えを持ってしまったのは、この父のせいだ。言い出せなかったのだろう。嬉々として事業の話をし、将来、セオドア君と共に公爵家を盛り立てていくのだと小さい頃から話した。お前の母の思いも、何度も口にした。セオドア君と結婚するのが当たり前という、義務と責任を植え付けてしまったのだろう」

「私は、お母様の願いも叶えてあげられません……」

「リディア……。お前の母は、お前の幸せを一番に願っていた。もちろん、親友と親戚になりたい気持ちも、みんなで楽しく過ごしたい気持ちもあっただろう。『私たちこんなに気が合うのですもの。子供たちもきっと気が合うわ』とは言っていたが、『勿論成長するとともにお互いが別の人に恋をしたら、幸せを願ってあげましょうね』とも言っていた」

 胸が締めつけられる。私は、母の願いすら歪めて受け取っていたのだろうか。



「すまない……意図的にそのことを話すのを避けていた。妻の願いを叶えようと、小さな綻びから目を背けた。予兆はあったというのに」

 お父様が辛そうな顔をする。


「リディア、お前がしっかりしているからと、仕事にかまけて話を聞いてあげられなかった。どれだけ辛い思いをさせたのかと思うと、胸が痛む。母が生きていたら……女同士、もっと違う形で話ができたかもしれないな。いや、責任転換はよくない、すまない」

 お父様の後悔が滲む声に、思わず拳を握る。



「私は、もっと早くお父様に相談するべきでしたわね」

「なに、これからの人生の方が長いのだ。もっと早くという思いはあるが、相談してくれて感謝する。危うく一生後悔するところだった」


 静かな沈黙が落ちる。けれど、それは苦しいものではなく、温かなものだった。

 修道院に行かなくてもいいのであれば――



「セオドア有責で破棄になったら、……お父様に、私の望みをかなえてほしいのです」


 お父様は、私をじっと見つめる。そして、深く頷いた。



「ああ、何でも言うといい。詫びにはならないだろうが、叶えよう。その望みは、お前が幸せになるために必要なものなのだろう」


「ええ、そうですわ」



 心の奥底に眠らせていた想いを、ようやく解き放つ時が来る。