恋は、終わったのです

 sideリディア



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「もう、どうしてくれるのよ。結婚式、楽しみにしていたのに。リディアが娘になる日も遠のいたわ」

 公爵夫人の嘆きが部屋に響いた。


 ふわりと揺れるレースのカーテンの向こう、窓から差し込む陽光が床に模様を描く。

 公爵夫人は大げさに肩を落としながらも、その瞳にはまだ楽しげな色が滲んでいた。




「それは大丈夫です」

 落ち着いた口調でお父様が応じる。ちらりと視線を扉の方に向け、私に問う。



「リディア、いるんだろ。外に」

「はい」



 控えめに返事をすると、お父様は、扉の外にいたレオナードを呼ぶように侍女に指示を出した。



 呼び出された彼は、私の隣に案内され、困惑した様子できょろきょろと辺りを見回しながら座った。



『どうなった、うまくいったか?』

 小声で尋ねる彼の声音には、僅かに緊張が滲んでいた。

 私は微かに息を吸い、言葉を選びながら告げる。



「私、セオドアとの婚約がなくなったわ」

 レオナードの瞳が一瞬だけ大きく見開かれる。驚きと、何か別の感情が混ざったような表情。私は続けた。



「この報告書、あなたの言った通り使う日が来たわね。覚えている? 望みを一つだけ叶えることを報酬にしたこと」


 彼は静かに頷く。



「覚えている」

「私は賭けに負けたから、望みは言えないの。でも、あなたの望みときっと一緒よ」

 一瞬の沈黙。空気が張り詰める。


 レオナードは視線を落とし、拳をぎゅっと握りしめた。





「……一緒なわけがない」

「言ってみなくてはわからないわ」


 レオナードが顔を上げ、私を見つめる。


「……言ってもいいのか。俺は王子殿下じゃないぞ」

「あなたの申し込みは、断らないって言ったわ。私」

「……お前の望みと違ったら……笑って断ってくれていい」



 レオナードは深く息を吐き、天を仰ぎ見ると、覚悟を決めたように再び私を見つめた。その目には揺るぎない決意が宿っている。



「……リディア。胸にしまった想いを伝えることは、永遠にないと思っていた。侯爵令嬢である君との夢のような日々。これからは現実に向き合い、生活のために生きる。君は、違う世界の人だと自分に言い聞かせた」


 ゆっくりと、彼は言葉を紡ぐ。



「一つ願いを、本当に願いを叶えてもらえるのなら——君の傍に、婚約者として居たい。何年かかるかわからないが、爵位くらい獲得してみせる。俺の望みを……リディア、叶えてくれ」


 静寂が落ちる。外の木々が風に揺れ、窓の向こうで小鳥がさえずる音だけが響く。


 私は、そっと微笑む。



「ほら、やっぱりあなたの望みは、私の望みだわ」



 彼の目が見開かれる。

 私は立ち上がり、公爵夫妻とお父様に向き直った。



「モンルージュ公爵。彼はボーモント子爵家の三男、レオナードです。私は彼と結婚しますので、どうか彼を養子に迎えてください」


「は? 結婚……養子ってなんだ?」

 レオナードの声が裏返る。私は微笑を深めた。



「私の傍に居たいのでしょう?」

「居たいが、え?」



 困惑する彼の表情に、クスリと笑いがこぼれる。




「彼は、難関の文官試験を一発で合格するほど優秀です。その報告書を作ったのも彼です。子爵家の令息ではありますが、公爵家を背負っていくにふさわしい教養と人柄をもっております。どうかお願いします」


 公爵夫人は私を見つめ、柔らかく微笑んだ。



「私は、リディアが選んだのなら全く構わないわ。ねえ、あなた」


 公爵も頷き、手に持った報告書を眺めながら笑う。



「ああ、私もリディアの見る目を疑うことはしない。それに、この報告書は学生が作ったとは思えないくらいよくできている。これは、何度も定期的にまとめ、書き直していたのだろう。はは、私だったら、ただの友人のためにここまではしない」


 公爵夫人が目を輝かせながら口を挟む。


「ふふ。でも、リディア、彼は初耳なのでしょう? 目に見えて動揺しているわ」


「おま……公爵家って正気か? 俺は……子爵令息だぞ」


 レオナードは、まだ混乱している。それでも、その瞳の奥には確かな熱が灯っていた。

 私は彼の手を取る。




「レオナード、私たちには身分差があるのだもの。あなたには頑張ってもらわないと。爵位くらい獲得して見せるのでしょう? まさか、自信がないの?」

「あるわけ……あー……ある!」


 彼はぐっと息を吸い、手を握ったまま力強く頷いた。



「お前のために頑張ってみせる。任せろ。もちろん、リディアも助けてくれるんだろ?」


 私は微笑んで、しっかりと頷く。


「ええ、もちろん、婚約者として」




 その様子を見ていた公爵夫人が楽しげに笑う。

「素敵ね、あなた!」


 公爵とお父様が穏やかに頷き合う。



「娘のプロポーズに立ち会う親も珍しいな、侯爵」

「はは、そうですね」



 柔らかな笑い声が部屋に満ちた。新たな未来の幕開けが静かに訪れていた。