恋は、終わったのです


卒業パーティーの当日。華やかな装飾が施された会場の入り口に立ちながら、私は最後の参加者が横を通り過ぎるのを感じた。


 扉の向こうではすでに多くの人々が談笑し、笑い声が響いていることだろう。


「……来なかったな」

 レオナードが小さく呟いた声は、静寂の中に消えていった。


「もう入場したのね、きっと」

 私は小さく頷く。セオドアは、エマを選んだということね。



 レオナードが、姿勢を正し手を差し伸べてくる。


「さあ、レディ、参りましょう」

「ええ、よろしくってよ」


 微笑み、ドレスの裾を軽く持ち上げながら、会場の扉をくぐった。


 シャンデリアが煌めく広間は、まばゆい光に包まれている。上質なドレスを纏った貴族の令嬢たちが優雅に談笑し、令息たちは品良くグラスを傾けている。


 間もなく学院長が壇上に上がり、厳かな口調で挨拶を始めた。


 その言葉を聞きながら、私はこの学院で過ごした日々を思い返す。楽しかったこと、苦しかったこと、すべてが色褪せることなく胸に刻まれている。



 学院長の挨拶が終わると、ダリウスとカタリナが私たちのもとへやってきた。



「卒業おめでとう、リディア」

「ありがとう、カタリナ。あなたもね」



 ふと、ダリウスがレオナードと目配せを交わした。



「少し失礼するよ。卒業論文でお世話になった先生方に先に挨拶に行ってくる」

「そうね、私たちは、人混みが少なくなったら感謝を伝えに行くわ」


 二人は人混みの中へと消えていった。




「素敵なドレスね。リディアにぴったりだわ」


 カタリナが私を見つめながら微笑む。



「そうでしょう? 自分で選んだの」

「そうだと思ったわ。私も自分で選んだのよ。お金を出したのはダリウスだけど」

 くすっと笑いながらカタリナは肩をすくめる。




「やっぱり、自分に似合うものは自分が一番分かっているってことね」

「ふふ、よく似合っているわ」


 ダリウスは、本当はカタリナのドレスを選びたかったに違いない。でも、カタリナは、私が気にしないように、あえてそうしなかったのだろう。



「ダンスの時間まで食事を楽しみましょう」


 テーブルには贅を尽くした料理が並び、芳醇な香りが漂っている。


 グラスを傾けながら、私はカタリナと一緒に、クラスメイト達と語り合った。

 それぞれが新しい未来へ進んでいく。今はこうして笑い合っているけれど、これからは少しずつ関係が変わっていくのだと思うと、胸が締め付けられるような寂しさを感じた。



「リディア、私ちょっとお化粧を直してくるわ」

「ええ、私はここで待っているわね」


 カタリナが静かに離れ、私はグラスを揺らしながら、華やかな宴の喧騒をぼんやりと眺めていた。








 その時、数名の令息と令嬢が近づいてくる。彼らの足音がホールに響き、穏やかだった空気がじわりと歪むような気がした。


 彼らの纏う華やかな衣装とは裏腹に、どこか冷たい視線がこちらへと注がれる。



「ちょっとよろしいかしら?」

 一人の令嬢の穏やかな声色。しかし、その言葉の奥には鋭い刃のようなものが隠されているのを感じる。



 気づけば周りを囲まれ、強引に庭へと連れて行かれる。


 反論する間もなく、囲い込まれるように彼らに取り囲まれた。穏やかな庭園が、一瞬にして閉塞感を帯びた空間に変わる。甘やかな花の香りが妙に鼻についた。



「エマには何もしないでって言われたけど」

 一人の令嬢が、憤りを隠さないまま言う。



「あなた、エマに、愛人になれっておっしゃったのですって?」

 静寂を引き裂くように、言葉が落ちる。周囲の空気が張り詰めた。



「……あんなに惹かれあっているのに、よくそんなひどいことを言えるな」


 令息が冷ややかな笑みを向ける。



「セオドア様は、公爵になるのよ」

 きらびやかな衣装を纏った別の令嬢が、扇で口元を隠しながら言う。




「公爵の想い人にそんな言い方をして許されると思うの?」

「そうよ! 未来の公爵が愛している人を傷つけるだなんて」


 誰もが同意するように頷き合い、視線には侮蔑の色が滲む。



「皆様、お忘れですか?」

 私は真っ直ぐに彼女たちを見据えた。



「私、その未来の公爵の婚約者なのですが」

 しかし、返ってきたのは、鼻で笑うような声音だった。




「はっ! 想われていない婚約者だろ?」

「結婚だってセオドア様の気持ち次第よ」

「もしセオドア様がエマを選んだら、社交界の笑いものにしてやるわ」

 一人が意地悪く笑うと、周囲の令嬢や令息たちも追従するように笑い声を上げる。



「『未来の公爵の婚約者』だなんて、偉そうにしていたってね」

 背筋に冷たいものが走る。次第に包囲され、逃げ道がなくなっていくのを感じた。そのとき——




「皆、なにをしているの? やめて……」

 澄んだ声が響く。



 エマが、駆け寄ってくる。風に揺れる髪。困惑に揺れる瞳。エマによく似合う可愛らしい水色に近いブルーのドレス。セオドアの色、もう隠す気は無いということね。




「エマは優しすぎるのよ」

 令嬢のひとりがため息混じりに呟く。



「誰から見ても、セオドア様から愛されているのに、諦めるの? 私たちは応援するわ」

「……もう少し時間をくれ。今この女に自分から身を引くと言わせるから」

 ざわり、と空気が揺れる。




「エマ様は、いいお友達をお持ちね。ええと、右から子爵令嬢、伯爵令嬢、男爵令息の方々でしたかしら?」

 ゆっくりと彼らを見渡す。



「身分の下の者からのこのような振る舞い、完全に礼に反しますが、今日までは許してさしあげますわ」

 その言葉に、令嬢たちは口元を歪めた。



「生意気よ!」

「間違ったことは言っていないわ」


 一瞬の静寂の後、何かがきらめいた。




 次の瞬間——

 ——グラスが、投げつけられた。

 澄んだガラスが空を舞う。光が閃き、こちらへと降り注ぐ。一つじゃない、避けきれない——。