バイバイを書いた夜、君が来た ――あの夜、君の声が僕を繋ぎ止めた

部屋の中に、しばらく音がなかった。
 誰かが動く気配も、急かす空気もない。ただ、二人分の呼吸だけが、同じ速度で続いている。

 がらんとした床。
 まだ何も置かれていない壁。
 生活の形は、これから少しずつ作られていく。

 それでいい、と思えた。

 何かを始めなくても、決めきらなくても、
 今日ここに一緒に立っている、それだけで足りている。

 その沈黙を壊すみたいに、でも急かさない声で、ぱちぇが口を開いた。

「俺は……嬉しいよ」

 それは飾りのない声音だった。
 喜びを誇張するわけでもなく、照れ隠しもなく、ただ事実として置かれる言葉。

「〇〇が、ここにいるのが」

 その呼び方を聞くたびに、胸の奥が温かくなる。
 当たり前みたいに呼ばれて、当たり前みたいに受け取れるようになったことが、何よりも嬉しい。

 僕は視線を逸らして、少しだけ笑った。

「……僕もだよ」

 それ以上、言葉はいらなかった。

 ぱちぇは僕の方に向き直る。
 視線が合って、逃げ場がなくなる。でも、嫌じゃない。むしろ、こうしてちゃんと向き合える距離が、今は心地いい。

「これからさ」

「うん」

「楽な日ばっかりじゃないと思う」

 分かってる。
 不安がないわけじゃない。
 でも、その続きを聞きたくて、僕は黙って頷いた。

「それでも俺は、〇〇と一緒にいる選択を、何度でもするよ」

 強い言い方じゃない。
 約束みたいに大げさでもない。
 それなのに、不思議と疑う余地がなかった。

「……ずるい」

 ぽつりと落ちた言葉に、ぱちぇが小さく目を瞬かせる。

「そんな言い方されたら、安心するに決まってる」

 そう言うと、ぱちぇは小さく笑った。

「安心していいんだよ」

 その一言が、胸の奥まで染みていく。

 僕は少し間を置いてから、正直な気持ちを吐き出した。

「傍にいてくれて、ありがとう」

 行動への感謝じゃない。
 ただ、存在そのものへの言葉。

 ぱちぇは一瞬だけ黙ってから、ゆっくりと頷いた。

「……こちらこそ」

 そして、少しだけ距離を詰めて、穏やかな声で続ける。

「ずっと一緒だよ。これからも」

 それは未来を縛る言葉じゃなくて、
 今を肯定する言葉だった。