バイバイを書いた夜、君が来た ――あの夜、君の声が僕を繋ぎ止めた

声を聞いた瞬間、胸が詰まる。

昨日まで、文字だった。
画面の中に並ぶ、感情の輪郭だけを持った存在だった。

それが今は、
呼吸の間も、言葉を選ぶ癖も、沈黙の温度も、全部が伝わってくる。

近い。
思っていたより、ずっと。

イヤホン越しなのに、
耳元で話されているみたいで、少し身構えてしまう。

少しだけ、当たり障りのない話をした。
天気。
配信の予定。
今日あった、どうでもいいこと。

言葉を繋いでいるつもりなのに、
本当は、心拍数を落ち着かせる時間が欲しかった。

この一線を越えたら、
もう“前の自分”には戻れない。

そんな予感が、ずっと胸の底にあった。

「昨日ね」

声を出した瞬間、
自分で分かるくらい、震えが混じった。

喉の奥が、きゅっと鳴る。

逃げ場がない。
でも、逃げたくなかった。

「ちゃんと、話してきた」

一拍、置く。

この間に、
全部が壊れるかもしれないし、
何も変わらないかもしれない。

それでも、止めなかった。

「元彼に」
「正直に」
「全部」

言葉を区切るたびに、
胸の奥から何かが剥がれていく感じがした。

向こうが黙る。

息遣いだけが、耳に残る。
回線が切れる気配はない。

沈黙が、拒絶じゃないことだけは分かる。

「揉めたよ」
「でも、別れた」

言い切った瞬間、
胸の奥で、ずっと張りつめていたものが音を立てて崩れた。

「怖かったし、しんどかったけど」
「後悔はしてない」

本当は、
後悔しそうになる瞬間も、何度もあった。

それでも。

「選んだのは、僕だから」

この言葉だけは、譲れなかった。

誰かに連れていかれたんじゃない。
流されたんでもない。

自分で、決めた。

沈黙が落ちる。

逃げない。
言い訳もしない。

ただ、待つ。

試されている感覚はなかった。
裁かれている感じもしない。

これは、
受け止めてもらうのを待つ時間だった。

やがて、ぱちぇが息を吐く。

それは、重さを外に逃がすみたいな音だった。

「……正直さ」

少し間を置いた声。

迷っているというより、
どこから話すかを選んでいる声音。

「結依に、誰かいるんだろうなって」
「前から、なんとなく思ってた」

胸が、わずかに跳ねる。

見抜かれていた。
それも、ずっと前から。

「一緒に住んでる人がいるかもしれないって」
「そういう現実も、全部含めて」

その言い方が、
“覚悟してきた人”のものだと分かってしまう。

「それでも」

声の芯が、揺れない。

「結依といたいって思ったから」
「ガチ恋宣言、したんだ」

冗談じゃない。
配信のテンションでもない。

これは、
現実を全部見た上での選択だった。

「何も出来なくてさ」
「昨日も、今日も、ただ待つしかなくて」

配信者と視聴者。
距離も、立場も、越えられない線。

踏み込めば、壊れる。
踏み込まなければ、何も始まらない。

「……正直、怖かった」

その言葉が、
弱さじゃなく、誠実さとして届く。

でも。

「話してくれて、ありがとう」
「俺とのこと、ちゃんと考えてくれて」

「それだけで、十分だった」

胸の奥が、静かに熱くなる。

守られている感覚じゃない。
抱え込まれている感じでもない。

“選ぶ余地”を、
最後まで、こちらに残してくれていた。

この人は、
奪わなかった。
迫らなかった。

何かを要求する代わりに、
時間を差し出していた。

ただ、待っていた。

——それが、
どんな愛情表現よりも、重かった。