バイバイを書いた夜、君が来た ――あの夜、君の声が僕を繋ぎ止めた

音声は、まだ聞こえない。

イヤホン越しの沈黙が、やけに重かった。
回線が切れているわけじゃない。ただ、互いに言葉を探しているだけ。

この数秒が、やたらと長く感じる。
もし、このまま何も聞こえなかったら。
そんな考えが頭をよぎって、無意識に画面を握りしめた。

「……もしもし?」

声を出した瞬間、自分の心臓の音が大きく跳ねるのがわかった。
こんなふうに、誰かに声を向けるのは久しぶりだった。

 配信中とは違う。
 作らなくていい、飾らなくていい声。

それが、こんなにも頼りなく聞こえるなんて。
自分でも驚くくらい、声が震えていた。

 一拍、二拍。

 そして。

「……大丈夫?」

イヤホン越しに響いたその声は、
いつも文字で見ていた人のものとは、別物だった。

 低くて、穏やかで。
 でも、距離が近い。

 画面の向こうに、確かに“人”がいる。
 その事実が、急に現実味を帯びて迫ってくる。

 低くて、落ち着いた声。
 それは、想像よりずっと近くて、生々しかった。

 喉が詰まる。
 言葉が出てこない。

「……あ、えっと……」

 情けない声が漏れた。
 頭が真っ白になる。

 声。
 本当に、声だ。

 この人、ずっと声を出していなかったはずなのに。
知っているのは、文字だけだった。

 それなのに今、
 この人は、僕のために声を出している。

 そのことが、胸の奥をじわりと熱くさせた。

「急に入ってごめん。……その、心配になって」

 淡々としているのに、どこか必死な響きがあった。
 それが余計に、胸を締めつける。

「……通知見て。今行かないと、いなくなりそうな気がして」

 その言葉に、息を呑んだ。

 いなくなる。
 そんなつもりは、なかったはずなのに。

 でも、否定できなかった。

「……大丈夫、だよ」

言った瞬間、自分でわかっていた。
これは、安心させるための言葉だ。

 でも同時に、
 この人にこれ以上踏み込ませないための、壁でもあった。

 それでも、言わずにはいられなかった。

 嘘だった。
 でも、正直に言えるほど強くもなかった。

「そっか」

 短い返事。
 それでも、マイクは切れない。

続いていることが、ありがたかった。
切られない。それだけで、心が少し落ち着く。

 言葉がなくてもいい。
 今は、ただ――ここにいてほしかった。

 沈黙が落ちる。
 なのに、不思議と苦しくなかった。

 誰かが、そこにいる。
 それだけで、夜の重さが少しだけ変わる。