バイバイを書いた夜、君が来た ――あの夜、君の声が僕を繋ぎ止めた

「結依、今日もおつかれ」

 名前を呼ばれる。

 昨日より、少しだけ自然な声。
 でも、どこか探るみたいな間があって、
それが余計に意識させた。

 胸が、きゅっと鳴る。

「ありがとう」

 短く返す。
 声が揺れないように、意識して。

 本当は、
「昨日のこと」とか
「さっきの言葉」とか
言いたいことはいくつもあった。

 でも、どれも今じゃない気がして、
それ以上は言えなかった。

 配信を切ったあと、部屋は急に静かになる。

 さっきまで誰かの気配で満たされていた空間が、
一気に“一人分”に戻る。

 ヘッドセットを外して、深く息を吐いた。

 昨日は、勢いだった。
 今日も、偶然。

 そう思いたいのに、
胸の奥は全然納得してくれない。

 スマホを手に取る指が迷う。

 自分から送る理由はない。
 でも、待ってしまっている。

 通知が光る。

「昨日の配信、楽しかった」

 短いメッセージ。

 言葉を選びすぎていない文面。
 でも、雑でもない。

 彼らしい距離感。

 少し間を置いてから、返す。

「ありがとう。
 盛り上がってよかった」

 本音と建前が、半分ずつ。

 すぐに、返事が来る。

「結依、無理してない?」

 その一言に、言葉が詰まる。

 昨日の告白より、
この問いかけの方が、ずっと核心を突いていた。

 無理。
 していないと言えば嘘になる。

 でも、全部を預けるほど、
まだ踏み込んでいい関係じゃない。

「大丈夫だよ」

 そう送ると、
画面を見つめたまま、しばらく動けなくなる。

 少し間があってから返ってきた。

「そっか。
 ならよかった」

 それ以上は、何も続かない。

 深追いしない。
 責めない。
 でも、見捨ててもいない。

 その距離感が、
昨日までよりずっと近く感じられて、
なのに、安心したのが分かる。

 やり取りは、短い。
 踏み込まない。

 でも、昨日までより確実に“近い”。

 夜が更けていく。

 ベッドに横になりながら、天井を見る。

 あの言葉は、罰ゲームだった。
 でも、何度も言われた。

 そのたびに、
声は少しずつ真剣になっていった。

 冗談にしては、まっすぐすぎた。

 スマホが震える。

「また、遊ぼう」

 予定でも、約束でもない、
ただの一言。

 それなのに、
胸がふっと温かくなる。

「うん」

 短く返す。

 余計な言葉はいらない。
 今は、それでいい。

 まだ、名前の意味も。
 気持ちの形も、分からない。

 でも。

 あの夜を境に、
 彼は“視聴者”じゃなくなっていた。

 そして僕も、
 ただの配信者ではいられなくなっていた。

 この距離が、どこへ向かうのか。
 まだ分からない。

 分からないまま、
 夜は静かに、二人分の気配を残していく。