私もその輪に入る。端の端。
誰も押し出していないのに、そこが私の位置になる。
若い子の円の端は、柔らかいはずなのに、今日はガラスみたいに硬い。
みおが、ひとりを見た。
「ユイ、お願い」
「はーい!」
弾む声。
短いポニーテールが跳ねる。体の動きが大きい。大きいのに軽い。
軽いことが、才能になる年齢だ。
「佐倉ユイ、十八歳!」
数字を言うとき、声が少しだけ上がる。
年齢が誇りとして喉から出る。
「ダンス五年! 歌はまぁ普通! でも体力だけはマジであるから!」
胸を張る。
その胸の張り方が、可愛いより先に“戦う”に見える。
「よろしくお願いしまーす!」
拍手が起きる。
拍手の中で、ユイの視線が私に触れた。ほんの一瞬。
触れて、すぐ離れる。
興味じゃない。分類。仕分け。
――敵か、味方か、素材か。
そんな速度。
次に前に出たのは、小柄で目の印象が薄い子だった。
みおが名前を呼ぶと、肩が跳ねる。
「りな、大丈夫。深呼吸して」
みおの声が、手を差し伸べる温度になる。
りなはその温度に縋るみたいに頷いて、前へ出た。
「……藤沢りな、です。十七」
声が細い。
でも、その細さは“消えたい”じゃなく、“消えたくない”の細さだ。
消えないギリギリを、自分で知っている。
「歌が好きで……ダンスは、苦手だけど……頑張ります」
言い終わった瞬間、りなの指が、自分のスウェットの裾を掴む。
癖だ。緊張が指先に逃げる癖。
私はその癖に、なぜか胸が痛くなる。
癖は、自分を守るために身につく。守る必要があった人の癖だ。
「うん。りなは歌、伸びる」
みおが断言する。
褒めるんじゃない。“決める”。
その一言で、りなの呼吸が少し整う。空気が、りなを“役割”として受け入れる。
次。
前に出たのは、線が細いのに芯が硬い子だった。
「朝比奈さや。十六」
声が低い。
年齢に合わない冷たさがあるわけじゃない。
期待を過剰に抱かない冷静さがある。
「バレエやってました。……歌はこれから。負けるのは嫌い」
最後の一言だけ、目が笑わない。
薄い刃が光る。
ユイの刃が派手なら、さやの刃は静かで抜けない。
四人目。
ショートヘアの子が、勢いよく手を挙げた。
「城戸ひまり! 十九歳!」
明るい声。
明るいのに、底が静かだ。
誰かを元気づける明るさじゃない。自分が折れないための明るさ。
「趣味はランニング! 特技もランニング! 空気読むのも得意……たぶん!」
笑いが起きる。
りながつられて笑って、さやがほんの少しだけ口元を緩めた。
ひまりはその反応を確認してから、輪に戻る。
空気を読むのが得意、は多分本当だ。
自己紹介が一周して、輪の中心が空く。
空いた場所が、私に向けて口を開ける。
呼ばれていないのに、順番が来たと分かる。
そして――その瞬間が、一番怖い。
市役所の窓口なら、名札が先に説明してくれる。
所属も、役割も、手順も。
私は“私は誰ですか”を、言わなくてよかった。
ここでは、言わないと始まらない。
言った瞬間に、“私”が固定される。
固定された私が、耐えられる形かどうかは、まだ分からないのに。
喉が渇く。
舌が上手く動かない。
唾液が薄い。薄い唾液は、緊張の証拠だ。
朝霧が、私の少し後ろで姿勢を正した。
声を出さない。
でも、背筋の伸びる音がした気がする。
「大丈夫」と言わない代わりに、逃げない姿勢で背中を支える。
みおが私を見る。
真正面から。
優しい目。
でも、その優しさは“逃げていい”じゃなく、“立てるよね”の目だ。
「透子さん、お願い」
呼ばれた。
名前を先に言われると、もう逃げられない。
逃げないために、私は一歩前へ出た。
床が足裏に絡む。
滑らない。
滑らない床は、誤魔化しを許さない。
「宮坂……透子です」
声が、思ったより低く出た。
低い声は強く見える。
強く見せたいわけじゃない。ただ崩れたくない。崩れたくない気持ちが声を低くする。
「二十四です」
一拍。
空気が止まる。
ほんの一秒。
でもはっきり分かる。全員の中に、同じ言葉が浮かんだ。
――遅い。
遅い、という言葉が何より残酷なのは、事実に近いからだ。
私はその事実を、昨日の面談でも聞いた。
それでも、ここで“十代の空気”に晒されると、事実は刃になる。
「え、まじ?」
ひまりが思わず漏らし、すぐ手で口を押さえる。
りなが目を見開き、慌てて視線を落とす。
さやは無言で、私の足元を見る。フォームを見るみたいに。
そしてユイが、笑った。
「……結構いってますね」
冗談の形。
でも冗談じゃない温度。
悪意の有無より、“遠慮が無い”ことが一番刺さる。
胸の奥が冷える。
冷えたのに、体は熱い。
足先が軽く痺れる。逃げたい痺れじゃない。立っているだけで血が暴れる痺れだ。
ユイは続ける。止まらない。止まる理由がない速度で。
「アイドルってさ、体力勝負だし、成長スピードも命じゃん」
私を見る。
“だから?”の目。
「正直、ババアじゃん」
言い切った。
躊躇がない。
その速さが、現実の速さだ。
――ここは、そういう場所だ。
可愛い言葉だけで守られない。
優しい嘘で包まれない。
そして、多分それは、私が選んだ“未完成を晒す場所”の正しさでもある。
みおが、柔らかく口を挟む。
「ユイ、言い方」
責めない。
でも整える。
場の中心が、場の端の刃を管理する。
ユイは肩をすくめる。
「事実は事実じゃん」
そして、私に向ける。
「本人も分かって来てるよね? そこ」
逃げ道を塞ぐ言い方。
分かってるなら泣くな。
分かってるなら辞めるな。
分かってるなら、ここに立て。
息を吸う。浅い。
浅いけれど、逃げないための呼吸。
言い返す言葉はいくらでも浮かぶ。
でも、口にした瞬間、全部が言い訳になる。
言い訳は、ここでは一番弱い。
「……はい」
声が、まっすぐ出た。
自分の声が揺れていないことに、遅れて気づく。
強いわけじゃない。揺れる余裕がないだけだ。
「分かってます」
それだけ。
ユイが一瞬だけ目を細めた。
興味が湧いた目。
けれど、それを見せるのも癪だとばかりに、「ふーん」と視線を外す。
私は立っている。
心臓がうるさい。
でも足は動かない。
誰も押し出していないのに、そこが私の位置になる。
若い子の円の端は、柔らかいはずなのに、今日はガラスみたいに硬い。
みおが、ひとりを見た。
「ユイ、お願い」
「はーい!」
弾む声。
短いポニーテールが跳ねる。体の動きが大きい。大きいのに軽い。
軽いことが、才能になる年齢だ。
「佐倉ユイ、十八歳!」
数字を言うとき、声が少しだけ上がる。
年齢が誇りとして喉から出る。
「ダンス五年! 歌はまぁ普通! でも体力だけはマジであるから!」
胸を張る。
その胸の張り方が、可愛いより先に“戦う”に見える。
「よろしくお願いしまーす!」
拍手が起きる。
拍手の中で、ユイの視線が私に触れた。ほんの一瞬。
触れて、すぐ離れる。
興味じゃない。分類。仕分け。
――敵か、味方か、素材か。
そんな速度。
次に前に出たのは、小柄で目の印象が薄い子だった。
みおが名前を呼ぶと、肩が跳ねる。
「りな、大丈夫。深呼吸して」
みおの声が、手を差し伸べる温度になる。
りなはその温度に縋るみたいに頷いて、前へ出た。
「……藤沢りな、です。十七」
声が細い。
でも、その細さは“消えたい”じゃなく、“消えたくない”の細さだ。
消えないギリギリを、自分で知っている。
「歌が好きで……ダンスは、苦手だけど……頑張ります」
言い終わった瞬間、りなの指が、自分のスウェットの裾を掴む。
癖だ。緊張が指先に逃げる癖。
私はその癖に、なぜか胸が痛くなる。
癖は、自分を守るために身につく。守る必要があった人の癖だ。
「うん。りなは歌、伸びる」
みおが断言する。
褒めるんじゃない。“決める”。
その一言で、りなの呼吸が少し整う。空気が、りなを“役割”として受け入れる。
次。
前に出たのは、線が細いのに芯が硬い子だった。
「朝比奈さや。十六」
声が低い。
年齢に合わない冷たさがあるわけじゃない。
期待を過剰に抱かない冷静さがある。
「バレエやってました。……歌はこれから。負けるのは嫌い」
最後の一言だけ、目が笑わない。
薄い刃が光る。
ユイの刃が派手なら、さやの刃は静かで抜けない。
四人目。
ショートヘアの子が、勢いよく手を挙げた。
「城戸ひまり! 十九歳!」
明るい声。
明るいのに、底が静かだ。
誰かを元気づける明るさじゃない。自分が折れないための明るさ。
「趣味はランニング! 特技もランニング! 空気読むのも得意……たぶん!」
笑いが起きる。
りながつられて笑って、さやがほんの少しだけ口元を緩めた。
ひまりはその反応を確認してから、輪に戻る。
空気を読むのが得意、は多分本当だ。
自己紹介が一周して、輪の中心が空く。
空いた場所が、私に向けて口を開ける。
呼ばれていないのに、順番が来たと分かる。
そして――その瞬間が、一番怖い。
市役所の窓口なら、名札が先に説明してくれる。
所属も、役割も、手順も。
私は“私は誰ですか”を、言わなくてよかった。
ここでは、言わないと始まらない。
言った瞬間に、“私”が固定される。
固定された私が、耐えられる形かどうかは、まだ分からないのに。
喉が渇く。
舌が上手く動かない。
唾液が薄い。薄い唾液は、緊張の証拠だ。
朝霧が、私の少し後ろで姿勢を正した。
声を出さない。
でも、背筋の伸びる音がした気がする。
「大丈夫」と言わない代わりに、逃げない姿勢で背中を支える。
みおが私を見る。
真正面から。
優しい目。
でも、その優しさは“逃げていい”じゃなく、“立てるよね”の目だ。
「透子さん、お願い」
呼ばれた。
名前を先に言われると、もう逃げられない。
逃げないために、私は一歩前へ出た。
床が足裏に絡む。
滑らない。
滑らない床は、誤魔化しを許さない。
「宮坂……透子です」
声が、思ったより低く出た。
低い声は強く見える。
強く見せたいわけじゃない。ただ崩れたくない。崩れたくない気持ちが声を低くする。
「二十四です」
一拍。
空気が止まる。
ほんの一秒。
でもはっきり分かる。全員の中に、同じ言葉が浮かんだ。
――遅い。
遅い、という言葉が何より残酷なのは、事実に近いからだ。
私はその事実を、昨日の面談でも聞いた。
それでも、ここで“十代の空気”に晒されると、事実は刃になる。
「え、まじ?」
ひまりが思わず漏らし、すぐ手で口を押さえる。
りなが目を見開き、慌てて視線を落とす。
さやは無言で、私の足元を見る。フォームを見るみたいに。
そしてユイが、笑った。
「……結構いってますね」
冗談の形。
でも冗談じゃない温度。
悪意の有無より、“遠慮が無い”ことが一番刺さる。
胸の奥が冷える。
冷えたのに、体は熱い。
足先が軽く痺れる。逃げたい痺れじゃない。立っているだけで血が暴れる痺れだ。
ユイは続ける。止まらない。止まる理由がない速度で。
「アイドルってさ、体力勝負だし、成長スピードも命じゃん」
私を見る。
“だから?”の目。
「正直、ババアじゃん」
言い切った。
躊躇がない。
その速さが、現実の速さだ。
――ここは、そういう場所だ。
可愛い言葉だけで守られない。
優しい嘘で包まれない。
そして、多分それは、私が選んだ“未完成を晒す場所”の正しさでもある。
みおが、柔らかく口を挟む。
「ユイ、言い方」
責めない。
でも整える。
場の中心が、場の端の刃を管理する。
ユイは肩をすくめる。
「事実は事実じゃん」
そして、私に向ける。
「本人も分かって来てるよね? そこ」
逃げ道を塞ぐ言い方。
分かってるなら泣くな。
分かってるなら辞めるな。
分かってるなら、ここに立て。
息を吸う。浅い。
浅いけれど、逃げないための呼吸。
言い返す言葉はいくらでも浮かぶ。
でも、口にした瞬間、全部が言い訳になる。
言い訳は、ここでは一番弱い。
「……はい」
声が、まっすぐ出た。
自分の声が揺れていないことに、遅れて気づく。
強いわけじゃない。揺れる余裕がないだけだ。
「分かってます」
それだけ。
ユイが一瞬だけ目を細めた。
興味が湧いた目。
けれど、それを見せるのも癪だとばかりに、「ふーん」と視線を外す。
私は立っている。
心臓がうるさい。
でも足は動かない。
