08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 毎週水曜日の午後18時。
 仕事を終えたミカゲは、カイドウ家にやってくる。
 一緒に食事をとり、2時間程度一緒の部屋で過ごして帰っていく。

 ここはユイとミカゲの私室だ。
 濃紺のカーテン、アイボリーホワイトの壁。
 絶対に一緒に寝ることのないキングサイズのベッド、ユーリのベビーベッド。
 ユイのお気に入りのロッキングチェア。
 
 表向きはユイに逢うためということになっているが、彼の目的はユーリだ。
 彼はユーリを抱かない。
 抱かないくせに、ベビーベッドにいるユーリの側には寄り添っている。
 いつからかそんなミカゲを見つけると、ユーリは嬉しそうに笑うのだ。

「ユーリに笑い返してあげたらいいのに」
「……どうやって笑ったらいいのか分からなくてさ」

 ミカゲのその視線は優しい。
 まるでMathewのようなことを言うと、ユイはため息をついた。
 そのMathewは、隣の控え室でセキジと何か打ち合わせをしているようだった。

「良くないよ、ソレ。……幸せが逃げる」

 ミカゲが指でユーリをあやしながら、声を掛けた。

「今が一番幸せだとでも?」
「……違うの?」

 酷い話だ。否定することは最初から選択肢に含まれていない。
 ユーリは寝てしまったらしく、ミカゲがソファーに戻ってくる。
 私は、テーブルに置いた端末をミカゲに見せた。
 画面に表示されるのは、“球骨腫”に関するデータをまとめたものだ。

「球骨腫か。これまた面倒なものを抱えてるね」
「あなたの知恵と思想の力を貸して欲しいの」

 ユイの右手に、あのミシルシが現れる。
 それがはっきりと姿を現すとき、ユイの中で目に見えない何かが全身を伝う。  

「――女王が僕を頼るなんてね。今夜は槍でも降りそうだよ」

 ユーリには絶対に向けない、残酷で整いすぎた綺麗な微笑み。
 ミオンがミカゲは魔王だと言っていたが、本当にそんな感じがする。

「もし一緒に戦ってくれたら、対価としてあなたが欲しいものをカタチにするよ」
「いいね、それ」

 ミカゲは即答した。
 そこに迷いなんて微塵も感じられない。
 
 リージョンMで急増している、球骨腫。
 幼い子供にかかるその病気の特効薬を、カイドウ家は研究開発していた。
 しかし決定打に欠ける効果では、人体投与は難しい。

 この奇病が、プラス因子が原因であると告げると、ミカゲはユイを見つめた。
 逸らすことを許さない、強い視線だった。

「君は、自分の因子を使うつもりか」

 唐突に。
 ミカゲの声が、口調が変わった。
 そしてこの声。
 これは『RARUTO』のラウルの声。
 以前は少し似ていると思った。
 しかし今は。
 推しそのものと言ってもいいほどだ。

(……これは“推し”ではない。“推し”の姿をした贋物) 

 ユイは呑み込まれそうになるのを必死で耐える。
 膝に置いた両手をぐっと握りしめる。
 ミカゲの赤紫色の目が、いつの間にか青紫色に変化している。

 ――ヒロト?
 
「え……」

 何が起きているのか分からず、ユイは小さな声をあげる。
 推しの、ラウルの声。ヒロトの目。
 髪の黒だけが、何かを守るように残り続けている。

「この病に関する因果は、もうアゼリアに存在する。それが君だ」
「あなたは……ミカゲ?」 
「ミカゲであるとも言えるし、ミカゲではないとも言える」

 この口調。……間違いない。
 これは、管理者・SZだ。
 絶対に推し(ラウル)ではないし、ヒロトでもない。
 それなのに思考回路が混乱する。
 激しい頭痛。
 激しく脈打つ心臓。
 右手の甲の“ミシルシ”が呼吸にシンクロする。

(思考停止。クールダウン。私は女王。自分を抑えなさい。)
 
 ユーリが何かの空気を感じ取り、不安そうにユイとミカゲを見つめている。
 
(そうよ、私はこの子を守る為に女王になった)

 ユイは冷静さを取り戻し、話を続ける。
 相手がミカゲであろうが管理者・SZであろうが。
 そんなことはどうでもいい。
  
「ところで君は、リージョンRに咲くスズランを知っているか?」
 
 その声はさらに優しさを増した。
 まるで愛する恋人に話しかけるように。

「猛毒があるということしか……」 
「渡した意味が分かっていないな。……残念なことだ」

 呆れた声に、ユイは少しだけムッとする。
 
「守護者は30年に一度、海門を開く。その際、アゼリア中を包み込む世界規模の大雨が降る」
「雨?」
「その雨に君の因子を流しこむといい。ただしその代償は私もわからない」

 一瞬だけ、ミカゲの青紫色の目が優しさを伴ったかのように見えた。
 穏やかな視線には、既視感があった。

 ――まるで、ヒロトのような。
 
「ヒロト」

 気づけばその名前を呼んでいた。
 目の前にはヒロトとは似ても似つかないミカゲ。
 しかしユイには。
 目の前にヒロトが座わり、ヒロトに見つめられている気がした。

「違うよ」

 ハッキリと否定しながら差し出されるハンカチ。
 ユイがそのハンカチに刺繍をして、ミカゲに渡したのはつい先日のこと。
 
「ミカゲ……様?」

 声はもういつものミカゲの声だ。
 その目も赤紫色に戻っている。
 
「いまの……なに?」

 ユイはハンカチを断り、別のハンカチで涙を拭いた。

「僕の名前(ミカゲ)は個人名じゃない。その役目を示すものなんだ」

 ミカゲは自分のことを、世界の守護者の“御使い”と言った。
 その御使いが持つ能力を、“同調”と呼ぶそうだ。

「じゃあ、いま私が話したのは……」
「今のがマガミ家の『裏』の当主だよ。僕は“彼”と同調が出来る」

 そうだ。
 マガミ家の当主は『表』と『裏』の二人いる。
 ミカゲは『表』。
 ということは――。

「同調すると物凄く眠くなるんだ。悪いけど、泊めさせてもらうよ」

 この部屋のキングサイズのベッドを、初めてミカゲが使った。
 別々のベッドをというユイ。
 ミカゲはこれも演技の一環であり、協力の対価でもあると押し切った。
 まさかヒロト以外の男性と枕を並べて寝る羽目になるとは。
 
 隣で眠る魔王の寝顔は。
 警戒するほうが間抜けと言わんばかりに無防備で、可愛らしいものだった。
 
 翌朝。
 スッキリした顔で目覚めたミカゲと。
 目にクマを作ったユイ。 
 
 二人の間でどんな甘い夜が起こったのか。
 事情を知らないカイドウ家の使用人の間では、勝手な妄想が膨らんでいた。