毎週水曜日の午後18時。
仕事を終えたミカゲは、カイドウ家にやってくる。
一緒に食事をとり、2時間程度一緒の部屋で過ごして帰っていく。
ここはユイとミカゲの私室だ。
濃紺のカーテン、アイボリーホワイトの壁。
絶対に一緒に寝ることのないキングサイズのベッド、ユーリのベビーベッド。
ユイのお気に入りのロッキングチェア。
表向きはユイに逢うためということになっているが、彼の目的はユーリだ。
彼はユーリを抱かない。
抱かないくせに、ベビーベッドにいるユーリの側には寄り添っている。
いつからかそんなミカゲを見つけると、ユーリは嬉しそうに笑うのだ。
「ユーリに笑い返してあげたらいいのに」
「……どうやって笑ったらいいのか分からなくてさ」
ミカゲのその視線は優しい。
まるでMathewのようなことを言うと、ユイはため息をついた。
そのMathewは、隣の控え室でセキジと何か打ち合わせをしているようだった。
「良くないよ、ソレ。……幸せが逃げる」
ミカゲが指でユーリをあやしながら、声を掛けた。
「今が一番幸せだとでも?」
「……違うの?」
酷い話だ。否定することは最初から選択肢に含まれていない。
ユーリは寝てしまったらしく、ミカゲがソファーに戻ってくる。
私は、テーブルに置いた端末をミカゲに見せた。
画面に表示されるのは、“球骨腫”に関するデータをまとめたものだ。
「球骨腫か。これまた面倒なものを抱えてるね」
「あなたの知恵と思想の力を貸して欲しいの」
ユイの右手に、あのミシルシが現れる。
それがはっきりと姿を現すとき、ユイの中で目に見えない何かが全身を伝う。
「――女王が僕を頼るなんてね。今夜は槍でも降りそうだよ」
ユーリには絶対に向けない、残酷で整いすぎた綺麗な微笑み。
ミオンがミカゲは魔王だと言っていたが、本当にそんな感じがする。
「もし一緒に戦ってくれたら、対価としてあなたが欲しいものをカタチにするよ」
「いいね、それ」
ミカゲは即答した。
そこに迷いなんて微塵も感じられない。
リージョンMで急増している、球骨腫。
幼い子供にかかるその病気の特効薬を、カイドウ家は研究開発していた。
しかし決定打に欠ける効果では、人体投与は難しい。
この奇病が、プラス因子が原因であると告げると、ミカゲはユイを見つめた。
逸らすことを許さない、強い視線だった。
「君は、自分の因子を使うつもりか」
唐突に。
ミカゲの声が、口調が変わった。
そしてこの声。
これは『RARUTO』のラウルの声。
以前は少し似ていると思った。
しかし今は。
推しそのものと言ってもいいほどだ。
(……これは“推し”ではない。“推し”の姿をした贋物)
ユイは呑み込まれそうになるのを必死で耐える。
膝に置いた両手をぐっと握りしめる。
ミカゲの赤紫色の目が、いつの間にか青紫色に変化している。
――ヒロト?
「え……」
何が起きているのか分からず、ユイは小さな声をあげる。
推しの、ラウルの声。ヒロトの目。
髪の黒だけが、何かを守るように残り続けている。
「この病に関する因果は、もうアゼリアに存在する。それが君だ」
「あなたは……ミカゲ?」
「ミカゲであるとも言えるし、ミカゲではないとも言える」
この口調。……間違いない。
これは、管理者・SZだ。
絶対に推しではないし、ヒロトでもない。
それなのに思考回路が混乱する。
激しい頭痛。
激しく脈打つ心臓。
右手の甲の“ミシルシ”が呼吸にシンクロする。
(思考停止。クールダウン。私は女王。自分を抑えなさい。)
ユーリが何かの空気を感じ取り、不安そうにユイとミカゲを見つめている。
(そうよ、私はこの子を守る為に女王になった)
ユイは冷静さを取り戻し、話を続ける。
相手がミカゲであろうが管理者・SZであろうが。
そんなことはどうでもいい。
「ところで君は、リージョンRに咲くスズランを知っているか?」
その声はさらに優しさを増した。
まるで愛する恋人に話しかけるように。
「猛毒があるということしか……」
「渡した意味が分かっていないな。……残念なことだ」
呆れた声に、ユイは少しだけムッとする。
「守護者は30年に一度、海門を開く。その際、アゼリア中を包み込む世界規模の大雨が降る」
「雨?」
「その雨に君の因子を流しこむといい。ただしその代償は私もわからない」
一瞬だけ、ミカゲの青紫色の目が優しさを伴ったかのように見えた。
穏やかな視線には、既視感があった。
――まるで、ヒロトのような。
「ヒロト」
気づけばその名前を呼んでいた。
目の前にはヒロトとは似ても似つかないミカゲ。
しかしユイには。
目の前にヒロトが座わり、ヒロトに見つめられている気がした。
「違うよ」
ハッキリと否定しながら差し出されるハンカチ。
ユイがそのハンカチに刺繍をして、ミカゲに渡したのはつい先日のこと。
「ミカゲ……様?」
声はもういつものミカゲの声だ。
その目も赤紫色に戻っている。
「いまの……なに?」
ユイはハンカチを断り、別のハンカチで涙を拭いた。
「僕の名前は個人名じゃない。その役目を示すものなんだ」
ミカゲは自分のことを、世界の守護者の“御使い”と言った。
その御使いが持つ能力を、“同調”と呼ぶそうだ。
「じゃあ、いま私が話したのは……」
「今のがマガミ家の『裏』の当主だよ。僕は“彼”と同調が出来る」
そうだ。
マガミ家の当主は『表』と『裏』の二人いる。
ミカゲは『表』。
ということは――。
「同調すると物凄く眠くなるんだ。悪いけど、泊めさせてもらうよ」
この部屋のキングサイズのベッドを、初めてミカゲが使った。
別々のベッドをというユイ。
ミカゲはこれも演技の一環であり、協力の対価でもあると押し切った。
まさかヒロト以外の男性と枕を並べて寝る羽目になるとは。
隣で眠る魔王の寝顔は。
警戒するほうが間抜けと言わんばかりに無防備で、可愛らしいものだった。
翌朝。
スッキリした顔で目覚めたミカゲと。
目にクマを作ったユイ。
二人の間でどんな甘い夜が起こったのか。
事情を知らないカイドウ家の使用人の間では、勝手な妄想が膨らんでいた。
仕事を終えたミカゲは、カイドウ家にやってくる。
一緒に食事をとり、2時間程度一緒の部屋で過ごして帰っていく。
ここはユイとミカゲの私室だ。
濃紺のカーテン、アイボリーホワイトの壁。
絶対に一緒に寝ることのないキングサイズのベッド、ユーリのベビーベッド。
ユイのお気に入りのロッキングチェア。
表向きはユイに逢うためということになっているが、彼の目的はユーリだ。
彼はユーリを抱かない。
抱かないくせに、ベビーベッドにいるユーリの側には寄り添っている。
いつからかそんなミカゲを見つけると、ユーリは嬉しそうに笑うのだ。
「ユーリに笑い返してあげたらいいのに」
「……どうやって笑ったらいいのか分からなくてさ」
ミカゲのその視線は優しい。
まるでMathewのようなことを言うと、ユイはため息をついた。
そのMathewは、隣の控え室でセキジと何か打ち合わせをしているようだった。
「良くないよ、ソレ。……幸せが逃げる」
ミカゲが指でユーリをあやしながら、声を掛けた。
「今が一番幸せだとでも?」
「……違うの?」
酷い話だ。否定することは最初から選択肢に含まれていない。
ユーリは寝てしまったらしく、ミカゲがソファーに戻ってくる。
私は、テーブルに置いた端末をミカゲに見せた。
画面に表示されるのは、“球骨腫”に関するデータをまとめたものだ。
「球骨腫か。これまた面倒なものを抱えてるね」
「あなたの知恵と思想の力を貸して欲しいの」
ユイの右手に、あのミシルシが現れる。
それがはっきりと姿を現すとき、ユイの中で目に見えない何かが全身を伝う。
「――女王が僕を頼るなんてね。今夜は槍でも降りそうだよ」
ユーリには絶対に向けない、残酷で整いすぎた綺麗な微笑み。
ミオンがミカゲは魔王だと言っていたが、本当にそんな感じがする。
「もし一緒に戦ってくれたら、対価としてあなたが欲しいものをカタチにするよ」
「いいね、それ」
ミカゲは即答した。
そこに迷いなんて微塵も感じられない。
リージョンMで急増している、球骨腫。
幼い子供にかかるその病気の特効薬を、カイドウ家は研究開発していた。
しかし決定打に欠ける効果では、人体投与は難しい。
この奇病が、プラス因子が原因であると告げると、ミカゲはユイを見つめた。
逸らすことを許さない、強い視線だった。
「君は、自分の因子を使うつもりか」
唐突に。
ミカゲの声が、口調が変わった。
そしてこの声。
これは『RARUTO』のラウルの声。
以前は少し似ていると思った。
しかし今は。
推しそのものと言ってもいいほどだ。
(……これは“推し”ではない。“推し”の姿をした贋物)
ユイは呑み込まれそうになるのを必死で耐える。
膝に置いた両手をぐっと握りしめる。
ミカゲの赤紫色の目が、いつの間にか青紫色に変化している。
――ヒロト?
「え……」
何が起きているのか分からず、ユイは小さな声をあげる。
推しの、ラウルの声。ヒロトの目。
髪の黒だけが、何かを守るように残り続けている。
「この病に関する因果は、もうアゼリアに存在する。それが君だ」
「あなたは……ミカゲ?」
「ミカゲであるとも言えるし、ミカゲではないとも言える」
この口調。……間違いない。
これは、管理者・SZだ。
絶対に推しではないし、ヒロトでもない。
それなのに思考回路が混乱する。
激しい頭痛。
激しく脈打つ心臓。
右手の甲の“ミシルシ”が呼吸にシンクロする。
(思考停止。クールダウン。私は女王。自分を抑えなさい。)
ユーリが何かの空気を感じ取り、不安そうにユイとミカゲを見つめている。
(そうよ、私はこの子を守る為に女王になった)
ユイは冷静さを取り戻し、話を続ける。
相手がミカゲであろうが管理者・SZであろうが。
そんなことはどうでもいい。
「ところで君は、リージョンRに咲くスズランを知っているか?」
その声はさらに優しさを増した。
まるで愛する恋人に話しかけるように。
「猛毒があるということしか……」
「渡した意味が分かっていないな。……残念なことだ」
呆れた声に、ユイは少しだけムッとする。
「守護者は30年に一度、海門を開く。その際、アゼリア中を包み込む世界規模の大雨が降る」
「雨?」
「その雨に君の因子を流しこむといい。ただしその代償は私もわからない」
一瞬だけ、ミカゲの青紫色の目が優しさを伴ったかのように見えた。
穏やかな視線には、既視感があった。
――まるで、ヒロトのような。
「ヒロト」
気づけばその名前を呼んでいた。
目の前にはヒロトとは似ても似つかないミカゲ。
しかしユイには。
目の前にヒロトが座わり、ヒロトに見つめられている気がした。
「違うよ」
ハッキリと否定しながら差し出されるハンカチ。
ユイがそのハンカチに刺繍をして、ミカゲに渡したのはつい先日のこと。
「ミカゲ……様?」
声はもういつものミカゲの声だ。
その目も赤紫色に戻っている。
「いまの……なに?」
ユイはハンカチを断り、別のハンカチで涙を拭いた。
「僕の名前は個人名じゃない。その役目を示すものなんだ」
ミカゲは自分のことを、世界の守護者の“御使い”と言った。
その御使いが持つ能力を、“同調”と呼ぶそうだ。
「じゃあ、いま私が話したのは……」
「今のがマガミ家の『裏』の当主だよ。僕は“彼”と同調が出来る」
そうだ。
マガミ家の当主は『表』と『裏』の二人いる。
ミカゲは『表』。
ということは――。
「同調すると物凄く眠くなるんだ。悪いけど、泊めさせてもらうよ」
この部屋のキングサイズのベッドを、初めてミカゲが使った。
別々のベッドをというユイ。
ミカゲはこれも演技の一環であり、協力の対価でもあると押し切った。
まさかヒロト以外の男性と枕を並べて寝る羽目になるとは。
隣で眠る魔王の寝顔は。
警戒するほうが間抜けと言わんばかりに無防備で、可愛らしいものだった。
翌朝。
スッキリした顔で目覚めたミカゲと。
目にクマを作ったユイ。
二人の間でどんな甘い夜が起こったのか。
事情を知らないカイドウ家の使用人の間では、勝手な妄想が膨らんでいた。
