08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 世界の中心、セントラル。
 報道会見の場所はかつてユイが参加した成人式が行われたセレモニーホールの2階。
 以前見た内装と全く同じなのに、もうユイには同じ景観とは思えなかった。
 あの日あの時、ヒロトとぶつかり、初めて会った想い出の会場。
 何もかも遠い昔のような、いや、違う人生で起きたことのように遠く感じた。

(ここも……、上書きされてしまうのね) 
 
 そう思うと切なかった。
 しかし右後ろに控えるMathewの姿を見て、感傷に浸っている場合ではないと思い直す。
 イヤリング型の通信機から、セキジとミオンの応援の言葉が届いた。

『本日は歴史的な戦いの日。ユイ様、ご武運を……』
『わたしは会場の隅からお守りします! ユイ様、ファイティン!』
「ふたりともありがとう。……行ってくるね」
 
 Mathewが、私を見つめる。
 恐らく私のバイタルを心配しているのかもしれない。

「大丈夫、ちゃんと戦える」
「……では俺はその盾になろう」

 その言葉にユイは小さく頷いた。
 ルシー・フェルドの中に宿っても、かつてのマシューが傍にいる。

「Mathew……、知ってる? 今夜は変わった月が見られるんだよ」

 一緒に、見よう――。そんな言葉を飲み込む。
  
「そうか。それは楽しみだな」

 きっとふたりは別々の場所で月を見つめるだろう。
 Mathewが、内ポケットからサングラスを取り出す。
 その仕草は正に人間のそれだった。

 ―*―
 会見会場。
 ミカゲ・カイ・マガミは、すでに用意された席についていた。
 黒髪と赤紫の目。整った甘い顔立ち。
 左手の薬指には、ユイが贈ったファミリー・リングが輝いている。

 やがてその場に、護衛のMathewを伴った“女王”(ユイ)が姿を現す。
 上品な仕立てのライトグレーのスーツを纏い、背筋を伸ばして歩くユイの姿は。
 その場に集う人々の視線を惹きつけた。

「ユイ、今日もキレイだね」
「ふふっ……。ありがとう、ミカゲ」

 Mathewが引く椅子に座るユイに、隣に座るミカゲが声を掛ける。
 その甘い台詞に照れたように微笑むユイ。もちろんこれは演技の一環だ。
 
 ユイ・リア・カイドウ。
 ミカゲ・カイ・マガミ。

 当主の二人がお互い見つめ合って名を呼び合うだけで、人々は勝手に“愛”を想像する。
 この二人が互いの境界線を越えて手と手を取ったその瞬間を。
 ユイの左手の薬指に光る婚約指輪が、会場の照明を受けて煌めく。

 Mathewは、ユイが座る座席から距離を取った背後に立つ。
 カイドウ家当主の正式な護衛として黒いスーツを着用したその姿は、世界で最も美しい黒子だ。

 司会者が報道会見の開始を告げる。
 ユイの正面に位置する報道カメラが、天井からの照明の光を受け、僅かに煌めく。

 出産と結婚を祝う言葉を掛けられ、ユイは女王の微笑みでその言葉を受け止めた。
 打ち合わせの通り、ユイとミカゲは寄り添い、幸せそうに微笑み合った。
 人々の目には、恐らくこう映るだろう。
 挙式を数週間後に控えた、名声、資金、相愛、誰の目から見ても理想のカップルそのものだ、と。
 
 そう。大切なのは、この「見た目」。
 これは契約に基づく政略結婚であり、ユイが長年憧れた恋愛結婚ではない。
 ユイとミカゲは世界を相手に嘘を演じる。そう、世界一甘美な共犯者だ。

 そして質問フェーズ、本番だ。
 ミカゲは宣言する。
 今後マガミ家はカイドウ家を支え、共に世界を邁進していく。そう言った趣旨の内容だ。
 それは事実上、マガミ家がカイドウ家の傘下に入ることを意味していた。
 
 その言葉に、会場に激震が走る。
 そして浴びせられる集中砲火。
 しかし、ユイを守る騎士のように、多くの問いにはミカゲが飄々と対応していた。
 実際、ユイが選び答えたのはこの質問だけだ。

「カイドウ家は医療を、マガミ家は思想を司る名家。どちらかに従うとなれば危険では?」

 いい質問だ。下世話なネタに紛れ込んだ、鋭い切り口。

「カイドウ家は医療を生業としていますが、それは現在と未来の命を救うための技術です。一方マガミ家の思想は過去・現在・未来の全ての(しるべ)です。技術と思想が手を取り合うとき、人は自らの意志で可能性の海に一歩を踏み出すことができると考えます」

「それはつまり……?」

 ユイの言葉に、思わずある女性記者が質問を投げかけた。
 それは記者たちの共通の問いだったのだろう、挙手をしていた記者たちが一斉に手を降ろす。

「……技術と思想の、境界線を無くすこと。」

 そう告げたユイは言い切る。そしてその後で一呼吸を置き、言葉を続けた。

「人は思想によって心を救われ、医療技術によって身体を救われます。私とミカゲが一緒に目指すのは、病を治すだけでなく、先の見えぬ“絶望”を“希望”に変える世界でありたい。そのためにお互いの境界線を無くすのです」

 ミカゲは意図的に優しく微笑む。
 いつもなら冷たく感じる赤紫の目は、穏やかな温かさがあった。
 
 ――悪くないよ。

 ユイにはそう言っているようにも見えた。
 ミカゲはカザム教・穏健派の宰導としての立場として、と前置きの後でユイの言葉に続いた。

「我々の神の導きは永遠ではありません。神が人を導かれるのは、ヒトが真に人たり得るまでのこと。人が自らの足で未来を切り拓くに至るのであれば、それは、神の教えが達されたことと同義。以降、神は導き手では無く、守護者となられます」

(なんて美しい噓なんだろう)

 ユイがミカゲの言葉を聞いてそう思ったとき、乾いた鋭い音が空を切り裂く。

 眩むほどの強い光が止まる。
 ざわめきも一緒に消えた。
 それが何であるかユイはわからなかったが、Mathewの左手には、矢が握られていた。
 咄嗟にミカゲはユイをかばい、強く抱き寄せた。
 そんなアドリブさえも、巧妙な演技に見える。
 聞こえた心臓の鼓動は敢えて聞かなかったことにした。
 認めてしまえば内側から崩れるからだ。
 Mathewが掴んだ細い銀の矢には手紙がついていた。

『神を否して何とする。神の名を穢す愚行、その愛は罪に歪むだろう』

 紅いインク。流暢な手書きの文章。
 その文字の綴り方には特徴がある。
 ユイにとっては見慣れていたものだった。
 
 こみあげて来る感情を押し殺して、女王の仮面のまま冷たく微笑んだ。
 再度会場のあちこちで起こったざわめきが一瞬にして消える。
 そして、告げた――。
 
「私が望む”神のいない世界”は、これまでのカザム教の教義を否定するものではありません」

 それはゆっくりとした口調だった。
 ユイはミカゲを見つめる。
 ミカゲもまたユイをまっすぐに見つめ、ただ頷いた。

 ユイは女王として宣言する。
 
「神が神の役目を終えた時、世界は、人はあるべき本来の姿に変わらなければならない。アゼリアに生きるすべての人々のために、カイドウとマガミは手を取り合うのです。今まさに世界の一部で起きている悲しい衝突……。この婚姻は平和な未来に繋がる足がかり。それは神が望んだ未来であると言えます」

 圧倒的な光の中。
 世界の革命を宣言した女性が、本当の意味で女王になった瞬間だった。