08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 リージョンN、カイドウ家本邸でのある日の朝。
 程よい明るさで目が覚めると、そこは私の青い部屋だ。
 Mathewが青紫色の花の鉢植えに水をあげていた。
 側にはミオンも居る。

「おはようございます、ユイ様」
「ユイ、おはよう。今日は……」
 
 黒い執事服を着た、長い銀髪のMathew。
 それを首の後ろで一つに編み込んでいる。

「2人ともおはよう」

 Mathewはあれからずっとアップデートを繰り返している。
 人間が普通にやっている当たり前の動作は、AIドールには理解しにくい複雑さがある。
 生まれたばかりの赤子が手探りで世界に馴染むように、Mathewも世界に触れ、学習を繰り返す。

 Mathewのそんな様子を、ユイは嬉しく思う。
 実際、Mathewはカイドウ家に馴染んでいた。
 この見た目が美しい青年のAIドールは、誰よりも勤勉で在ったから。
 そしてユイに忠実な護衛として、安心安全を維持し続けたから。

「聞いてください、ユイ様! Mathew様はお菓子まで作れるようになったんですよ!」
「え、ホントに!?」

 着替えを行いながら興奮した様子のミオン。
 5本の指を均等に同時に動かす訓練のために、ミオンが選んだものがお菓子作りだ。
 着替えが終わったタイミングに、席を外していたMathewが持ってきたのが、歪な形のクラッカー。

「ユイの好きな青を使ってみた。形は課題だが敢えて整えていない。青が死ぬからな。……味は保証する」

 綺麗な青とアイボリーホワイトのマーブル。
 低音でじっくりと時間をかけて焼いたのか、焦げ目はほとんどない。

「初めての作品? これ、で?」
「さすが神……」

 口に含むと、見た目のマーブル模様のインパクトを裏切る優しい味わい。
 ほのかに香るスパイスとチーズ。
 これは確かに私好みだ。ワインが飲みたくなる。

「……美味しい。これはヤバい。手が止まらないかも」

 私とミオンの意見が一致する。
 当のMathewといえば。
 クラッカーに視線を落とし、無表情のまま腕組みをして何かを考え込んでいる。
 その両目がルシー・フェルドブルーの淡い青から、スカイブルーに変化している。
 きっとアップデート中なのだろう。

 ユーリを抱いた元当主の妻ーーアヤカが、部屋に戻ってくる。
 泣き出した息子をあやしてくれたのだろう。

「お母さんが起きたようね」
「ありがとう、おいでユーリ」

 ユイはアヤカから、我が子を受け止める。
 時計を見て状況を察したミオンが、さりげなくMathewと共に部屋を出る。
 Mathewの前でユーリに母乳を与えるのは恥ずかしかったから、ミオンの気配りが嬉しい。
 ユーリは夢中でユイの母乳を飲んでいた。
 その様子をアヤカが嬉しそうに見守る。
 ようやく訪れた幸せな時間。
 当主になったばかりのユイにとって、ユーリがいる生活は癒しそのものだった。
 お腹が満たされたのかスヤスヤと眠るユーリ。
 額に軽くキスをして、ユイは再びメイド達を部屋に呼んだ。

 ―*―
 メイド達に支度を手伝ってもらい、今日の予定を確認する。
 カイドウ家当主を退いたタクマは、アヤカと共にユイのサポートに徹している。
 先代当主として必要があれば指導を行い、まだ不慣れなユイを全面的に支える。
 そうかと思えば長年後回しにしてきた趣味の園芸を楽しんでいる。
 基幹デザインのAIドール達や庭師達に混じり庭木の手入れをする姿は、本当に生き生きとしていた。

 一方、元々世話焼きなアヤカはユイの秘書として忙しい日々を送っていた。
 Mathewが護衛に徹することが出来るのも、アヤカの存在が大きいとユイは思う。
 そのMathewは、セキジやミオンら護衛メンバーと一緒に“護衛”のイロハを学んでいた。
 最近では執事長のフジナミが得意とする“針”の扱いにも興味を持ったようだ。
 
「……午後からは婚約者のミカゲ様と共に報道会見を行う予定です」

 今日一番の戦いはこの報道会見だ。
 いよいよ“マガミ家当主”(ミカゲ)を“生涯の伴侶”として選んだことを世界に知らしめる。
 これはユイにとって、ユーリにとって最強の切り札でもあると同時に諸刃の剣でもある。
 
(グライゼルの敵視はすべて私に固定する。ユーリには絶対に向かせない)

 支度が整ったタイミングで、護衛用の黒いスーツに着替えたミオンとMathewが部屋に戻ってくる。
 セキジや他メンバーは会見会場だ。
 
 アップデートを終えた女王(ユイ)は、婚約者が待つ報道会見の会場に出撃した。