08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 リージョンK、S市。
 ここは、小さな無人島の周囲を埋め立てて拡張した人工の島。
 島全体が要塞であり、島の中央にはグラゼル家の、本邸がある。
 4階建ての大きな建物は、シンプルなデザインだ。
 これが個人宅とは言い難い。
 
 そして今日。
 1人の若い女性がそこを訪れる。
 白い仮面を付け、フード付きの黒い外套を纏う。
 はみ出した金色の髪の後れ毛が海からの風に揺れる。
 その後ろを黒髪の少年のようなAIドールが続く。
 機械で出来た猫耳が、最奥の部屋で奏でられている楽器の音を捉える。

「ようこそ。……美しき銀円の人」

 白い仮面を付けた執事の声が、エントランスにこだまする。

「……ブルーレイン」

 少し低めの女性の声は、何かの意思をこめてその言葉を口にする。

 執事はそれだけで彼女の要件を理解した。

「ジルヴ」
  
 1人のメイドが蝋燭を模した灯りを両手に、彼女たちの前に現れる。

「ラナン」

 女性が名前を呼ぶ。
 後ろにいたAIドールは、女性の前に数歩進む。
 メイドから2つの灯りを受け取り、片方を女性に手渡した。
 その灯りが彼女の白い仮面の一部を照らす。

 黒の外套のフードが少し風に煽られる。
 外套の隙間から見えている金色の髪を気にして、自然な仕草でフードの中に隠す。
 AIドールと女性は案内を続けるメイドに続いた。
 漆黒の回廊を三つの灯りが点のように続く。
 女性の靴の音が、廊下に置かれた置き時計の秒針と重なる。

 やがてエレベーターが見えて来た。
 メイドが扉を開く。
 ここから先は女性だけが通行を許可されている。
 女性はエレベーターにそのまま歩き進み入る。
 重さを感じ取った空間はその扉を閉じ始めた。
 ゆっくりと閉まる扉の向こう。
 灯りに照らされたAIドールのその顔を、女性は画面の奥から見つめ続けた。

 ーー地上4階。
 エレベーターが速度を落とし、4階で静止する。
 ふと女性の耳にも届く、ハイトーンの柔らかな音色。ヴァイオリンだ。
 エレベーターから一歩踏み出し、その優雅な調べの元に歩みを進める。
 上から緑色の光が照らされる。

『イジョウアリマセン』

 モニターの左の扉が開く。
 ヴァイオリンの旋律が流れ、向こう側には光。
 陽光を限りなく忠実に再現した、偽物だ。
 
 偽物なのは陽光だけではない。
 終わらない青空、美しく咲いた時を保存した花。
 水音は本物だが、流れる水そのものは偽物。
 そんな空間をこの部屋の主は愛している。

 女性は中へ向かう。
 アイスブルーの目が捉えるのは、ヴァイオリンを奏でる1人の女性。

 彼女の年齢はこの女性と同年代の、若い女性に見える。
 銀色の長いストレートヘア。
 紫色の目。
 着ているのは、この地方に長く伝わる伝統衣装。
 ただし白を纏うのには意味がある。
 伝統衣装に白を使うのは、初婚の花嫁の証だ。
 
「わたくしを待たなくていいのに」
「ですが……演奏の途中でしたので」
 
 小さな鈴のような、穏やかで愛らしい声。
 まだあどけなさを残した子供の声だ。
 彼女は途中で弓を持つ手を止める。

「ねぇ、レイラ。……順調、かしら?」
「はい、レイハ様。滞りなく」

 部屋の主に名を呼ばれた女性、――レイラは、女性からヴァイオリンを受け取る。
 それを近くにあるガラスのテーブルの上にそっと置き、ベルでメイドを呼んだ。
 入って来たメイドがヴァイオリンを片付け、別のメイドがグラスに淡い紅色の果実酒を注ぐ。
 それをレイラが受け取り、レイハに渡す。

「彼女は元気?」
「はい」

 レイラが答える。

 銀色の髪の若い女性――レイハは、レイラの白い仮面を、両手で外す。
 露わになる素顔。
 金色の髪のレイラ、銀色の髪のレイハ。
 纏う色が違う、二つの同じ顔が在った。

「レイハ様……私は……」

 レイラはその紫色の目を直視できない。
 見てしまえば、またレイハに重なることを知っているからだ。
 レイハは首を横に振った。

「分かっているわ。わたくしと貴女は一連托生でしょう?」

 あの雨の日。
 レイハに救われた瞬間から、そうなる運命だった。
 そうだ。私は、レイラ・リード・レゼル。
 
「ーー心得ております」

 そう答えたのは、自分なのだろうか。
 それとも、主によるものなのだろうか。
 発した当の本人さえもわからなかった。