08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

「ユイ、帰るぞ。……立てるか?」
「はい」

 タクマがユイを促し、ユイが立とうとしたとき、身体がすこしだけふらつく。
 マシューが最初に気付くものの、少し遅れてミオンがユイを支える。
 それを見ていたミカゲが、マシューを見た。

「動きたいのに動けないって辛いだろ?」

 その言葉はマシューに告げているのか、ユイに告げているのか。
 ユイは判断が付かなかった。喉からこみあげて来る言葉を突きつける前に、
 ユイを庇うようにマシューが半歩前に進み出る。

「AIドールは万能ではない。出来ないことがあるのは人間と同じだ」
「……それでは護衛(シゴト)は務まらない。だから君の主は“器”を用意しようとしてるんだよ」

 ミカゲの言葉にマシューは言葉を失う。
 
「完璧な護衛が居たら、世の中誰も狙われてませんよ!」

 ミオンがミカゲに訴えかけるように告げる。
 その言葉を聞いたユイは、お腹に右手を添え、しっかりと床に足を付け、背筋を伸ばして告げる。
 
「ミカゲ様、ルシー・フェルドを私にください」

 その言葉を聞いたタクマとアレンが目を見張る。
 
「いいよ。――死神だけど、それでも欲しいんだ?」

 嘲笑を交えたミカゲの問いに、

「私にとっては、ルシー・フェルドは死神ではありません。希望の種なんです」

 ユイは真摯な表情で、真っ直ぐに赤紫の目を射るように見つめ、放つ。
 その言葉は美しい一本の矢のように、ミカゲを射抜いた。

「……へぇ。いいね、気に入った。じゃあお望み通り明日カイドウ家に行くけどいい?」
「構いません」

 ユイは即答する。

「ユイ、それは性急すぎるぞ……」

 代わりに慌てたのはタクマだ。
 しかしユイは杖を持つタクマの左手に、右手を重ねる。
 右手の甲にはあの奇妙な印が浮かびあがっている。
 子供の頃は左手の甲にあったはずだ。模様も昔よりもはっきりしている。
 アレンはそれを目にして、呟いた。

「これは……、まさか、ミシルシ、なのか……?」

 ミカゲはその赤紫の目を真っ直ぐユイに向ける。

「言い切るねぇ。実際それって、女王蜂ってことだよ。自覚、ある?」

 目に含まれる静かな熱に、ユイは少しだけおされ気味になるも――

「……わかりません。ただ、あなたのそのたとえは正しくないと思います」

 視線を一度逸らして再度、赤紫色を見つめなおす。
 その視線の強さに、この場の時間が止まる。

「……書類を一枚増やす。明日は急すぎるようだから翌々日にするとしよう」

 数秒の沈黙の後。ミカゲの顔から笑みが完全に消えた。
 ミカゲはユイを見つめたまま、静かな微笑みを一瞬だけ向け、扉に向かって歩き出す。
 それが合図と言わんばかりに、時間はまた巡り始める。
  
「なんかすごいもの見ちゃった気がする……!」

 ミオンの高揚した声で、ユイは現実に戻る。
 全身から力が抜けるのを、タクマが支えた。

「……はぁ。なんか滅茶苦茶怖かった。心臓の鼓動が半端ないわ……」

 頭から熱が降りてくる。それを心臓ですべて受け止めて、一瞬で中和したような感覚。
 疲労感にも似た感覚に思わず本音が漏れてしまう。
 女王からユイに戻ったその瞬間を、タクマとミオンが笑顔で迎えた。

「気のせいだ。ユイが言うほど心臓は高鳴っていない」

 マシューが冗談を言うなんて、ちょっと貴重かもしれないと思ったとき。

「……ふむ。しかしあのミカゲから笑みを奪うとは……でかしたぞ、ユイ」

 滅多に人を褒めないタクマが、ユイを褒めた。
 それがユイにとっては少しだけ嬉しかった。
 カイドウ家に対して距離を取っていたアレンが、ユイに向かって歩み寄る。
 その足音は、急に重さを伴った現実的な、確かな音としてユイの耳に入る。
 そしてある地点で停まり、深々とユイに向かって一礼する。
 
「ユイ様、数々の無礼をお許しください。貴女様のお言葉、アゼレウス社をあげてお礼申し上げます」

 見上げたアレンの顔には、少しだけ涙が滲んでいた。
  
「今の貴女にならルシー・フェルドを託せます。彼を本当の意味で救ってください」
「はい、必ず……」

 ユイが即答した言葉を、お腹のユーリは嬉しそうに聞いていた。