08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 リージョンN、H市。この町にはアゼレウス社最大規模の支社と修理工場がある。
 ルシー・フェルドはその修理工場の第4倉庫の奥に、放置されていた。

 永らくアゼロン・カンパニーの総責任者、ミカゲ・カイ・マガミはこのAIドールの処分を“保留”にしたうえで、アゼレウス社の倉庫に”放置”させていた。

 AIドールの電力は必要に応じて供給したまま、ルシー・フェルドを拘束するのでもなく、ただ倉庫に無造作に置いたのだ。
 突然のマガミ家当主の来訪を受けたアレン・リード・レゼルは、急ぎ会議を終わらせ、その対応に当たった。
 マガミ家の当主のミカゲ・カイ・マガミは、カザム教における穏健派(ローゼル)の宰導でもある。
 カイドウ家が世界の医療を司るなら、マガミ家は世界の思想を司る。
 アゼロン・カンパニーはそうした人間が興した企業なのだ。

 ミカゲは社長室に案内されたという。
 いま社長室には別のクライアントから回収したAIドールが一時的に置かれている。

「AIドールを誰か下げてくれないか? 技師ならだれでもいい」
「はい、連絡いたします」 

 秘書の一人がアレンの言葉に従い、指示を出す。
 そして今、対面したアレンが驚いたのも無理はない。
 彼の良く知るミカゲ・カイ・マガミと今目の前にいる男性とは全く異なる。
 目の前に居るのは黒髪と赤紫色の目を持つ、線の細い男性だ。
 代替わりした、とは聞いていたが、これほど若い男性だったとは考えもしなかった。
 どう見ても成人したての、18歳か19歳くらいの若者。
 それなのに纏う空気は先代のミカゲよりも“守護者の影”として成熟しているように思えた。

「ミカゲ様が御自らこちらに来られるとは……それほどの案件でしょうか?」

 アレンは慎重に言葉を選ぶ。

「いやあ、そろそろ死神をどうにかしようと思っていてさ」

 部屋の奥で見慣れた顔の技師と、他数名がAIドールを運び出す。
 そのうちの一人が死神という言葉に肩を震わせる。

 ミカゲはそんな彼らを一瞥し、満足そうにアレンに微笑んだ。

「タケシバ君、レイラを呼んできてくれないか?」
「分かりました、失礼します」

 若い女性秘書がミカゲに飲み物を聞いている。
 長い黒髪の前髪の隙間から、整った赤紫色の目が僅かにのぞく。
 その目はずっと冷たいままだ。
 それなのに表情は微笑んだまま、甘い微笑みに若い女性秘書が顔を赤らめる。

「キミのお勧めで良いよ」
「はい……、かしこまりました!」

 ミカゲの甘い微笑みを受けて、女性秘書は足早に去っていく。
 アレンはミカゲに着座を勧める。
 奥の一人掛け椅子に座るミカゲ。アレンは最も立場が低い下座の位置に座る。
 両社の力関係がありありと出ている。
 先代のミカゲよりも現在のミカゲは立場を明確にする傾向があるようだ。
 
「ルシーを処分されるということは、過激派(グライゼル)への対策は……」
 
 ミカゲは足を組んで座り、背もたれに深く身体を埋め、両手を膝の上で組む。
 嬉しそうに窓を見つめながら、彼はあっさりと告げる。

「必要ない。グライゼルのヘイトはカイドウの女王に固定されるだろうしね」
「カイドウの女王……? ユイが? まさか、ルシーを望んでいると?」

 アレンが驚く様子が想定した通りで嬉しいのか、ミカゲは意味ありげに笑う。
 その笑みをアレンは不快に感じたが、その感情を表に出すことはなかった。
 代わりに眼鏡の淵を少し上げる。これはアレンの癖でもあった。

「そのまさか、さ。面白いだろ?」

(彼は何を信じているんだ? ……ユイが拓く未来か?)
 
「……あなた様はユイ様にルシーを託されるおつもりなのですか?」

 アレンはミカゲの赤紫色の目に何かの揺らぎを見つけたいと思いながら、見つめた。
 しかしミカゲは意図的に視線の温度を下げるだけだった。
 それはまるで盤上の重要な駒を置くような目――。

「女王が望むならね。ルシーに関してはそれでもいいと思っているよ」

 この即答にアレンは呆れた。

(彼にとっては人間もAIドールも、世界の“道具”でしかないのか? 現実さえもゲームのように操り、支配するというような……。なんという高慢さなのだろう)

 以前のミカゲであればこんな暴挙など考えもしなかっただろう。

「そんな……10年以上も我々に放置を命じておいて、彼女が必要としなければ破棄すると……?」
「必要な年月さ。なぜかは言わなくても分かるだろ?」

 アレンは武器を持たないと決めたカザム教徒だ。
 神に対する見方はどちらかと言うと過激派(グライゼル)に近い。
 だが、幹部連中の手段を選ばないやり方にはついて行けない。
 かといって穏健派(ローゼル)のように信仰が緩やかでもない。
 実際、グライゼルの信徒の多くは武器を持ち人を殺めることに抵抗がある者たちばかりだ。

 言葉を失うアレンに、ミカゲは更に続ける。

「さて。アゼロン・カンパニーの意向にアゼレウス社も同意したと判断するけどいいね?」

 時計を見ながらミカゲは告げる。
 アレンは片手を強く握りしめる。
   
「……脅迫ですか?」
「まさか。ビジネスだけど?」

 ミカゲが一枚の書類をアレンに持たせる。
 それはルシー・フェルドの“所有権の放棄”を促す書類だ。
 アゼロン・カンパニーが記入する欄には既にミカゲ・カイ・マガミと署名がされている。
 サインする場所は一つしかない。
 ――そういうことだ。

「ミカゲ様、お待たせ致しました……」
「うん、ありがとう」

 差し出された珈琲を笑顔のまま飲みながら、女性秘書の服装を褒めている。
 彼にしてみればそんな会話に意味など無いだろうに、さも大事なことの一つとして錯覚させるような丁寧な対応だ。

 やがてアレンが書類にサインすると、用は済んだとばかりにミカゲは去っていく。

「見送りは要らないよ、直ぐに行きたいからね」

 それでもアレンはエレベーターまで、ミカゲを見送る。
 丁寧に頭を下げるアレンに、ミカゲは呆れたように苦笑する。

「ホント紳士だよね」
 
 エレベーターが閉まってからも、アレンは扉の前に立ち尽くしていた。
 上昇を続けるエレベーターは屋上で停まる。
 屋上にはヘリポートがある。空からなら、30分もあれば着くだろうか。
 
「H市の支社に至急連絡を。20分前後にアゼロン・カンパニーの社長が訪問される」
「かしこまりました。直ぐに」

 アレンを探しに来た秘書は部屋に戻り、通信を行う。
 その会話を聞きながら、大事な友との約束を守れなかったことを悔やんだ。