ユイが再び目をゆっくりと開いたとき――。
深い青地のカーテンと、ベージュとアイボリーホワイトのタイルカーペット。
こげ茶色の猫の足の様な曲線美のクラシカルな家具、明るい花の抽象画。
見慣れた自分の部屋だ。
(ちゃんと帰ってこれたんだ……)
誰もいない部屋。
ユイは起き上がって、カーテンを引いた。
夜のとばりがほどける頃。次第に風景がくっきりと輪郭を帯びてくる。
左手の甲にあったはずの奇妙な“印”。それは今はない。
勝手に消えたと思っていたけど、そうではなかった。
――忘れたから見えなくなった?
本当は今でも左手の甲に刻まれているのかもしれない。
ロレン医師が何かを知っていることは確かだ。
聞けば、彼は答えてくれるだろうか?
(わからない……)
ユイは本棚からルディア占いの本を手に取る。
あの時子供のユイがやっていたことは、ルディア占いの恋愛占いに近かったことに気が付く。
はじめに選んだあの何も書かれていない石は自分へのアドバイスを暗示。
「空白」は、「無垢・可能性」だ。次に手に取った“X”(バツ)の石は、相手の意志を暗示する。
これは「贈り物」の意味がある。
まだ答えは出せない。
もうあの日の夢はきっと出てこない。そんな確信が、ある。
「現実を受けとめて、もう前に進んでいい……」
そう声に出した時、ユイはやっと納得できた。
ルディア記号の本を本棚に戻して、ユイは深呼吸を一つする。
ベッドの影から静かな機械音がするのを、ユイは聞き逃さない。
「マシュー、そこに居るんでしょう?」
マシューから返事は直ぐには来なかった。
きっとマシューも何か知っているんだろう。
AIにも黙秘権があるのかもしれない。それなら無理に聞き出そうとは思わない。
「マシュー……逃げないで」
ユイは再度声を掛ける。
今までは来てくれるのを待っていた。
でももう自分の足で歩いて行ってもいい。
「大丈夫。私は変わる。ううん、変わってみせるよ」
一歩、マシューとの間を詰めて、ある位置でユイは足を止めた。
たぶんこれくらいが45㎝、と考えて。
マシューは、少しだけユイの前に出て、ある距離の場所で足を止めた。
そしてそこに座って、待機状態を取る。
「……そうか。それなら俺は見届けよう」
「うん」
本当は言いたいことがいっぱいあるはずなのに、どれもユイの中を通り過ぎては消えていく。
「以前変化は必要ないと言ったが……変化を気にするなら、己の変化も受け止めるべきだな」
「……マシュー?」
――それは。
その台詞は。
そう。音楽フェスの時。あの頃のマシューのセリフ。
メンテナンスに行く前の、記憶――?
もうそんな記憶、マシューのメモリーにはないと思っていた。
なぜなら、その後ユイの境界線が揺らいだのだから……。
「ミカゲの言ったことは本当だ。俺が失ったものは何も無い」
「どうして……」
(……どうして教えてくれなかったの?)
いや、そんなこと問う必要さえない。全部私のためなのかもしれない。
でもそんなこと……そんなの、考えもしなかった。
「俺は今まで、主のことを誤解していたようだ。……すまない」
「ううん……マシューは本当に今までのマシューなの?」
「ああ。ユイが携帯端末を手にした瞬間から、ずっと俺は俺だ」
「マシュー……」
「ユイがどんなAIを俺の器に選んでも、俺は変わらない。姿カタチは変わるかもしれないが、大事なのはそれではないのだろう?」
「そうだね」
「ああ」
マシューは待機状態を解除し、カーテンを引っ張る。
「窓の外を見たいの?」
「俺の観測によると、美しい朝焼けがみられるはずだ」
東の雲は、生まれたばかりの太陽の光を受けて、空に次第に明るさを映し出す。
やや暗い時間であるのに、ユイにとってはまさに暁光そのものだった。
深い青地のカーテンと、ベージュとアイボリーホワイトのタイルカーペット。
こげ茶色の猫の足の様な曲線美のクラシカルな家具、明るい花の抽象画。
見慣れた自分の部屋だ。
(ちゃんと帰ってこれたんだ……)
誰もいない部屋。
ユイは起き上がって、カーテンを引いた。
夜のとばりがほどける頃。次第に風景がくっきりと輪郭を帯びてくる。
左手の甲にあったはずの奇妙な“印”。それは今はない。
勝手に消えたと思っていたけど、そうではなかった。
――忘れたから見えなくなった?
本当は今でも左手の甲に刻まれているのかもしれない。
ロレン医師が何かを知っていることは確かだ。
聞けば、彼は答えてくれるだろうか?
(わからない……)
ユイは本棚からルディア占いの本を手に取る。
あの時子供のユイがやっていたことは、ルディア占いの恋愛占いに近かったことに気が付く。
はじめに選んだあの何も書かれていない石は自分へのアドバイスを暗示。
「空白」は、「無垢・可能性」だ。次に手に取った“X”(バツ)の石は、相手の意志を暗示する。
これは「贈り物」の意味がある。
まだ答えは出せない。
もうあの日の夢はきっと出てこない。そんな確信が、ある。
「現実を受けとめて、もう前に進んでいい……」
そう声に出した時、ユイはやっと納得できた。
ルディア記号の本を本棚に戻して、ユイは深呼吸を一つする。
ベッドの影から静かな機械音がするのを、ユイは聞き逃さない。
「マシュー、そこに居るんでしょう?」
マシューから返事は直ぐには来なかった。
きっとマシューも何か知っているんだろう。
AIにも黙秘権があるのかもしれない。それなら無理に聞き出そうとは思わない。
「マシュー……逃げないで」
ユイは再度声を掛ける。
今までは来てくれるのを待っていた。
でももう自分の足で歩いて行ってもいい。
「大丈夫。私は変わる。ううん、変わってみせるよ」
一歩、マシューとの間を詰めて、ある位置でユイは足を止めた。
たぶんこれくらいが45㎝、と考えて。
マシューは、少しだけユイの前に出て、ある距離の場所で足を止めた。
そしてそこに座って、待機状態を取る。
「……そうか。それなら俺は見届けよう」
「うん」
本当は言いたいことがいっぱいあるはずなのに、どれもユイの中を通り過ぎては消えていく。
「以前変化は必要ないと言ったが……変化を気にするなら、己の変化も受け止めるべきだな」
「……マシュー?」
――それは。
その台詞は。
そう。音楽フェスの時。あの頃のマシューのセリフ。
メンテナンスに行く前の、記憶――?
もうそんな記憶、マシューのメモリーにはないと思っていた。
なぜなら、その後ユイの境界線が揺らいだのだから……。
「ミカゲの言ったことは本当だ。俺が失ったものは何も無い」
「どうして……」
(……どうして教えてくれなかったの?)
いや、そんなこと問う必要さえない。全部私のためなのかもしれない。
でもそんなこと……そんなの、考えもしなかった。
「俺は今まで、主のことを誤解していたようだ。……すまない」
「ううん……マシューは本当に今までのマシューなの?」
「ああ。ユイが携帯端末を手にした瞬間から、ずっと俺は俺だ」
「マシュー……」
「ユイがどんなAIを俺の器に選んでも、俺は変わらない。姿カタチは変わるかもしれないが、大事なのはそれではないのだろう?」
「そうだね」
「ああ」
マシューは待機状態を解除し、カーテンを引っ張る。
「窓の外を見たいの?」
「俺の観測によると、美しい朝焼けがみられるはずだ」
東の雲は、生まれたばかりの太陽の光を受けて、空に次第に明るさを映し出す。
やや暗い時間であるのに、ユイにとってはまさに暁光そのものだった。
