その日、ユイは産婦人科医の診察を受けた。
お腹の子の調子は順調で、すくすくと育っているらしい。
ユイのお腹もとても大きくなってきており、必要な外出以外は自宅静養にならざるを得なかった。
あれからユイの周りでは危険を感じる出来事は何もない。
あの外出での危機が遠い昔のようにも感じられる。
「ユイさんもたまには息抜きをしてもいいのよ? 当主の仕事を学ぶばかりじゃなくてね」
「そうですけど、今は学ぶことしか出来ないし……」
今ユイはアヤカの執務室で業務の真っ最中だ。
マシューは別室でレイラとその部下たちによる簡易メンテナンスを受けている。
ユイが見つめる端末の画面には、思わず手が震えてしまいそうなほどの桁の金額が並ぶ。
上がってきた予算案をチェックしているのだ。
「根詰めるのも良くないわ。休憩と致しましょう」
「はぁい」
アヤカが手を叩くと、ミオンがワゴンを押して入室する。
ワゴンには柑橘系のフルーツとハーブティが入ったポットが置かれている。
「今日はユイ様がお好きな、フィリア・オレンジを用意しました!」
ミオンは明るい声で、ユイにハーブティを渡す。
深紅のハーブティーは香り豊かでリラックス効果が高いらしい。
丁寧に表皮や薄皮を取り除いたフィリア・オレンジを、別のメイドが小皿に盛り付け、ユイとアヤカの前に置く。
「ふふ。ユイさんがお腹にいる時、ミユキさんもよく食べていたわね……このオレンジ」
「だから何となく懐かしい気がするんですね」
「私はリージョンFのナルバをよく食べていたわね。南国の果物は苦手だったのに、不思議ね」
ナルバは黄色い楕円形の果実だ。皮は柔らかく、果実はほんのり甘い。
アヤカの話によるとナルバの最高品種は南国のリージョンFの特産品なのだという。
そこは白い砂浜、サンゴ礁が美しい青い海。
小さな諸島が浮かぶ海域に、マガミ家が所有する大きな島があり、その島全体が邸宅だそうだ。
「ナルバはカットしてドライ加工したものをチョコレートケーキに入れると美味しいです」
「じゃあ今度作っていただこうかしら?」
「喜んで。でも一緒に作ったものを一緒に食べるのもまた格別ですよ」
ユイがそう提案すると、アヤカは少し躊躇いながら答えた。
「わたくしお菓子作りは苦手なのよ。素材の重量を量るのがどうも面倒なのよね」
「あ~、分かります。私もついボトルごとドバドバと……」
確か……計量せずにボトルごと大雑把に入れていたら、マシューに指摘されたんだっけ。
(なつかしいな。あの頃にはもう戻れないんだろうな……)
レイラがマシューを連れて執務室に戻ってくる。
「お待たせ。マシューのメンテ、終わったよ~!」
「ありがとう。おつかれさま。もしよかったらレイラも一緒にどう?」
「あ……これからトオルと行くところがあるんだよね、ゴメン!」
レイラがトオルと口にした時、少しだけ嬉しそうだった。
ユイはそんなレイラを見て、ヒロトとデートしたあの日を思い出す。
「ん、じゃあまた今度ね。行ってらっしゃい」
「またね」
笑顔で手を振り退室するレイラ。
ユイとレイラのやり取りを、アヤカは穏やかに見守る。
「……これがフィリア・オレンジか。品種改良された最上級品だな。香りがとても良い」
マシューが尻尾を振りながらフィリア・オレンジを分析する。
その様子を不思議そうにしながら、ミオンがマシューに問う。
「マシュー様は嗅覚を感じられるんですか?」
「ああ」
「マシュー様ってなんかもう神AIドールですよね……。拝んでいいですか?」
「……どうしてそうなるのか理解できんが、止める理由もないな」
ミオンがマシューに向けて手を合わせて拝む。
「ホントに拝んでる……」
「ミオンはピュアなのよ……信心深いでしょう?」
「だって、尊いものは拝みたくなりません?」
「……なるほどね、そういう事なら何となくわかるかも」
ユイもマシューに向けて手を合わせて拝む。
「……何も出ないぞ」
マシューが困ったようにユイから視線を逸らす。
その時ユイが願ったたった一つのことが、本当に叶うと、この時のユイは思っていなかった。
お腹の子の調子は順調で、すくすくと育っているらしい。
ユイのお腹もとても大きくなってきており、必要な外出以外は自宅静養にならざるを得なかった。
あれからユイの周りでは危険を感じる出来事は何もない。
あの外出での危機が遠い昔のようにも感じられる。
「ユイさんもたまには息抜きをしてもいいのよ? 当主の仕事を学ぶばかりじゃなくてね」
「そうですけど、今は学ぶことしか出来ないし……」
今ユイはアヤカの執務室で業務の真っ最中だ。
マシューは別室でレイラとその部下たちによる簡易メンテナンスを受けている。
ユイが見つめる端末の画面には、思わず手が震えてしまいそうなほどの桁の金額が並ぶ。
上がってきた予算案をチェックしているのだ。
「根詰めるのも良くないわ。休憩と致しましょう」
「はぁい」
アヤカが手を叩くと、ミオンがワゴンを押して入室する。
ワゴンには柑橘系のフルーツとハーブティが入ったポットが置かれている。
「今日はユイ様がお好きな、フィリア・オレンジを用意しました!」
ミオンは明るい声で、ユイにハーブティを渡す。
深紅のハーブティーは香り豊かでリラックス効果が高いらしい。
丁寧に表皮や薄皮を取り除いたフィリア・オレンジを、別のメイドが小皿に盛り付け、ユイとアヤカの前に置く。
「ふふ。ユイさんがお腹にいる時、ミユキさんもよく食べていたわね……このオレンジ」
「だから何となく懐かしい気がするんですね」
「私はリージョンFのナルバをよく食べていたわね。南国の果物は苦手だったのに、不思議ね」
ナルバは黄色い楕円形の果実だ。皮は柔らかく、果実はほんのり甘い。
アヤカの話によるとナルバの最高品種は南国のリージョンFの特産品なのだという。
そこは白い砂浜、サンゴ礁が美しい青い海。
小さな諸島が浮かぶ海域に、マガミ家が所有する大きな島があり、その島全体が邸宅だそうだ。
「ナルバはカットしてドライ加工したものをチョコレートケーキに入れると美味しいです」
「じゃあ今度作っていただこうかしら?」
「喜んで。でも一緒に作ったものを一緒に食べるのもまた格別ですよ」
ユイがそう提案すると、アヤカは少し躊躇いながら答えた。
「わたくしお菓子作りは苦手なのよ。素材の重量を量るのがどうも面倒なのよね」
「あ~、分かります。私もついボトルごとドバドバと……」
確か……計量せずにボトルごと大雑把に入れていたら、マシューに指摘されたんだっけ。
(なつかしいな。あの頃にはもう戻れないんだろうな……)
レイラがマシューを連れて執務室に戻ってくる。
「お待たせ。マシューのメンテ、終わったよ~!」
「ありがとう。おつかれさま。もしよかったらレイラも一緒にどう?」
「あ……これからトオルと行くところがあるんだよね、ゴメン!」
レイラがトオルと口にした時、少しだけ嬉しそうだった。
ユイはそんなレイラを見て、ヒロトとデートしたあの日を思い出す。
「ん、じゃあまた今度ね。行ってらっしゃい」
「またね」
笑顔で手を振り退室するレイラ。
ユイとレイラのやり取りを、アヤカは穏やかに見守る。
「……これがフィリア・オレンジか。品種改良された最上級品だな。香りがとても良い」
マシューが尻尾を振りながらフィリア・オレンジを分析する。
その様子を不思議そうにしながら、ミオンがマシューに問う。
「マシュー様は嗅覚を感じられるんですか?」
「ああ」
「マシュー様ってなんかもう神AIドールですよね……。拝んでいいですか?」
「……どうしてそうなるのか理解できんが、止める理由もないな」
ミオンがマシューに向けて手を合わせて拝む。
「ホントに拝んでる……」
「ミオンはピュアなのよ……信心深いでしょう?」
「だって、尊いものは拝みたくなりません?」
「……なるほどね、そういう事なら何となくわかるかも」
ユイもマシューに向けて手を合わせて拝む。
「……何も出ないぞ」
マシューが困ったようにユイから視線を逸らす。
その時ユイが願ったたった一つのことが、本当に叶うと、この時のユイは思っていなかった。
