08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 ――3月15日。

 これはこの世界――アゼリアの歴史において、世界が“再構成”された日だ。
 数百年も前のこと、世界は一度破壊された。

 いや、正しくは“壊されたことにした”。

 突如起こった天変地異。
 記録にはそう残っているが、実態は世界の“守護者”による世界の再構成だった。

 当時、アゼリアには複数の国家があった。
 どの国家も有限な資源を虎視眈々と狙い、友好的な政治圧力で対話を続けていた。
 水面下で相手国の喉元に高エネルギー兵器の刃をチラつかせながら。
 それが常であり、そういう時代だった。
 
 やがて世界大戦が現実になるかと思われた時、武力に傾く文明を世界の“守護者”は「正しい在り方ではない」と判断を下し、世界の再構成にいたる。

 結果として人口の三分の一が失われ、その後には救済と絶望の波に呑み込まれ、最終的に世界の人口は半減した。

 この3月15日を乗り越えた者たちは、こう告げられたのだ。

 ――汝らは世界に選ばれ、守られた人類である、と。

 だからこそ、生き抜けと。
 その言葉をどう受け取るかでカザム教は揺れ、その結果3つに割れてしまう。

 守護者を唯一絶対の“神”と狂信的に信じ、盲目的な忠誠を誓った過激派(グライゼル)
 世界の主を守護者とし、創られた世界の倫理と秩序に仕える穏健派(ローゼル)
 そして、世界の“守護者”としての存在を認めると同時に、宗教としての信仰を捨てた“受容派”(カゼル)

 選ばれた正しさは、一つだけではなかった。
 歪みだけが、数百年後の概念にまで、確実に引き継がれたのだ。

 ―*―
 トオルからAIドールの説明を受けた日から、数日が経った。
 医療資源の配分、緊急対応の裁定などといったカイドウ家の次期当主としての実務は多岐に渡る。
 特に人の生死にかかわる判断を下す日々にも、ユイはいつの間にか慣れを感じてしまっている。
 世界の医療を背負う立場も覚悟も、独りで向き合うことへの抵抗感を、次第に失いつつあった。
 
 昼下がり、軽い実務を終えた後。
 亡き祖父トミオが直してくれた携帯端末を手に取った。 
 レイラが直してくれた、四葉のクローバーのチャームが左右に揺れる。
 端末に表示された名前を見つめる。

 アレン・リード・レゼル。
 現在のアゼレウス社の代表取締役社長だ。トミオと同じく導師と呼ばれた技師でもある。
 ただユイにとっては、家族ぐるみで仲良くしてきたトミオの友人だ。

 多忙だろうとユイは敢えて文字通信を行なうが、
 アレンのほうから音声通信が届く。
 ユイはそれを“受諾”し、画面に映った老いた男性に手を振る。
 穏やかで優しい深緑色の目、白髪交じりの金色の髪。
 ユイの良く知るアレンそのものだ。

『久しぶりだね、ユイ。元気でいるかい?』
「お久しぶりです、アレンさん。今のところ元気でやっています」
『レイラから聞いているよ。AIドールの購入を検討しているんだろう?』
「はい……」

 ユイはそこで一度、深呼吸をした。

「FOSについて教えて貰えませんか?」
『……わかったよ。そうだね……。いまから説明に伺っても良いかな?』

 FOSは“AI存在距離規定”の略語だ。
 ユイがその言葉を口にした途端、アレンの目から優しさが消える。

「はい」
『30分程度で到着できると思います。では後程――』  

 通信を終えてユイは、一息つく。
 この距離を覚悟して選んだというのに、どうして寂しくなるのだろう。

 ユイはマシューの姿を探した。
 彼はユイから少し離れた場所で、丸くなってあくびをしていた。
 ユイの視線を感じると、マシューの黒いカメラアイもユイを見つめる。
 ただそれは一瞬のことで直ぐに逸らされる。

「マシュー」
「なんだ?」

「私の今日のラッキーカラーを教えて」
「……水色だ」
「ん……。そっか、ありがとう」

 会話はそこで終わる。
 マシューは小さく頷き、目を伏せた。
 ユイはローズゴールド色の小さなベルを鳴らし、メイドを呼んだ。