扉からユイが出てきたとき、マシューは涙を流すユイの顔を見上げた。
トオルもユイも何も言わない。
何があったかはおおよそ見当がつくが、マシューはそれを主に問うことはなかった。
それよりもユイに告げなくてはならないことがあった。
「ユイ」
「……ごめん、今は……」
と言いかけて、ユイは思い直す。
「このタイミングでマシューが声を掛けるってことは理由があるんだよね?」
「ああ……トオルも一緒に聞いてくれ。まずは車内に戻ろう」
マシューは、人にそうあることを望まれて造られた”機械”。
人にとっては残酷な報告も、感情を欠いた声で躊躇なく行うことも出来る。
ただマシューには“主”と共有した多くの時間があった。
しかしこの時のマシューは、それを敢えて顧みなかった。
ユイの姿を確認すると、セキジは車から出てユイを出迎える。
庭で遊んでいた子供たちの姿はもう見えない。
トオルとマシューが最後に孤児院の建物全体を見上げる。
その時トオルは庭の隅にある小屋を見つめる。
大型犬が数頭収容できそうな、犬小屋だ。
「何か動物でも飼ってんのかな?」
トオルはマシューに問いかける。
「さあな」
ユイたちがシートに収まったタイミングで、セキジは車を出していいか確認を取る。
ユイはセキジに数分の待機を伝え、マシューを見た。
それを確認したセキジの視線がバックミラー越しにマシューの視線と交差する。
マシューは語り始めた。
「この孤児院には、地下に一定の広さの空間がある」
「それって地下室があるってこと? そんなの別に珍しいことじゃ……」
マシューの言葉にユイが、ハッとする。
ユイは嫌な予感がした。
例えば地下に何かが潜んでいたとして、どうして知る必要があるのか。
マシューは続けた。
「その地下空間に、複数の生体反応が見られた。犬小屋の内部に、不審物が設置されていた。あえて解除が可能な状態でだが」
トオルの声が震える。
「あの小屋……。マジかよ……」し
「孤児院の内部は、ごく最近改装された跡がある。特に壁には消臭性の高い染料が使われていた。隠すにしてはお粗末だがーー偶然、ですませるにはできすぎている」
そこまで聞いていたセキジから笑顔が消えた。
目は鋭く、視線には冷ややかな怒りが見て取れた。
「――ユイ様、これは我々の手に余ります。急ぎ離れましょう」
「はい……それしかない、よね」
誘われている。動いてみせろと。
挑発されている。犬らしくお預けでもしていろと。
悔しいが現状の最善は、何もしない、だ。
―*―
その帰りの道中、ユイは虚ろな目でただ暗い空を見上げ続けるだけだった。
マシューはそんなユイのバイタルを注意深く確認したが、異常は見られない。
助手席のトオルと運転席のセキジが、雑談をしていた。
「リージョンKの主要都市には昔、高消臭性染料の工場がありましてね」
「ああ、魚の生臭さを消すんだろ? リージョンKは漁獲量が多いって聞いたことがある」
トオルが顎に手を当て何かを考え込むようにして、セキジに応える。
「その高消臭性染料は、一部の人間だけ髪が銀色に変化する副作用が現れるそうです」
「他に人体への影響は?」
セキジはトオルのその問いに、進行方向から目を背けずに答える。
「何も。そもそも、“消臭”ですし」
マシューは最後にあの孤児院のデータベースに干渉した。
あの孤児院に、ある人物から多額の寄付金が寄せられていた。
その寄付金の額は、一介の公務員の年収額を遥かに上回る額だった。
マシューはこの事実だけはユイには伝えなかった。
繊細な心を持つ“主”がこれ以上の現実を受け止めきれないとわかっていたから。
気を紛らわす為にユイがある流行歌を口ずさむ。
原曲よりもキーが高い、美しいソプラノが車内に響く。
それがラブソングで、デュエットであることにトオルだけが気づいた。
トオルもユイも何も言わない。
何があったかはおおよそ見当がつくが、マシューはそれを主に問うことはなかった。
それよりもユイに告げなくてはならないことがあった。
「ユイ」
「……ごめん、今は……」
と言いかけて、ユイは思い直す。
「このタイミングでマシューが声を掛けるってことは理由があるんだよね?」
「ああ……トオルも一緒に聞いてくれ。まずは車内に戻ろう」
マシューは、人にそうあることを望まれて造られた”機械”。
人にとっては残酷な報告も、感情を欠いた声で躊躇なく行うことも出来る。
ただマシューには“主”と共有した多くの時間があった。
しかしこの時のマシューは、それを敢えて顧みなかった。
ユイの姿を確認すると、セキジは車から出てユイを出迎える。
庭で遊んでいた子供たちの姿はもう見えない。
トオルとマシューが最後に孤児院の建物全体を見上げる。
その時トオルは庭の隅にある小屋を見つめる。
大型犬が数頭収容できそうな、犬小屋だ。
「何か動物でも飼ってんのかな?」
トオルはマシューに問いかける。
「さあな」
ユイたちがシートに収まったタイミングで、セキジは車を出していいか確認を取る。
ユイはセキジに数分の待機を伝え、マシューを見た。
それを確認したセキジの視線がバックミラー越しにマシューの視線と交差する。
マシューは語り始めた。
「この孤児院には、地下に一定の広さの空間がある」
「それって地下室があるってこと? そんなの別に珍しいことじゃ……」
マシューの言葉にユイが、ハッとする。
ユイは嫌な予感がした。
例えば地下に何かが潜んでいたとして、どうして知る必要があるのか。
マシューは続けた。
「その地下空間に、複数の生体反応が見られた。犬小屋の内部に、不審物が設置されていた。あえて解除が可能な状態でだが」
トオルの声が震える。
「あの小屋……。マジかよ……」し
「孤児院の内部は、ごく最近改装された跡がある。特に壁には消臭性の高い染料が使われていた。隠すにしてはお粗末だがーー偶然、ですませるにはできすぎている」
そこまで聞いていたセキジから笑顔が消えた。
目は鋭く、視線には冷ややかな怒りが見て取れた。
「――ユイ様、これは我々の手に余ります。急ぎ離れましょう」
「はい……それしかない、よね」
誘われている。動いてみせろと。
挑発されている。犬らしくお預けでもしていろと。
悔しいが現状の最善は、何もしない、だ。
―*―
その帰りの道中、ユイは虚ろな目でただ暗い空を見上げ続けるだけだった。
マシューはそんなユイのバイタルを注意深く確認したが、異常は見られない。
助手席のトオルと運転席のセキジが、雑談をしていた。
「リージョンKの主要都市には昔、高消臭性染料の工場がありましてね」
「ああ、魚の生臭さを消すんだろ? リージョンKは漁獲量が多いって聞いたことがある」
トオルが顎に手を当て何かを考え込むようにして、セキジに応える。
「その高消臭性染料は、一部の人間だけ髪が銀色に変化する副作用が現れるそうです」
「他に人体への影響は?」
セキジはトオルのその問いに、進行方向から目を背けずに答える。
「何も。そもそも、“消臭”ですし」
マシューは最後にあの孤児院のデータベースに干渉した。
あの孤児院に、ある人物から多額の寄付金が寄せられていた。
その寄付金の額は、一介の公務員の年収額を遥かに上回る額だった。
マシューはこの事実だけはユイには伝えなかった。
繊細な心を持つ“主”がこれ以上の現実を受け止めきれないとわかっていたから。
気を紛らわす為にユイがある流行歌を口ずさむ。
原曲よりもキーが高い、美しいソプラノが車内に響く。
それがラブソングで、デュエットであることにトオルだけが気づいた。
