リージョンR、J市。
この地区はリージョンRで最も北の位置にある小さな町だ。
土地に愛着を持つ老いた地元民が今でもひっそりと暮らしている。
市民の多くはなにがしかの熟練した技術を持つ者が多い。
身を寄せ合い協力しながら自給自足の生活を行っていた。
かつてのJ市は、大勢の市民で溢れた活気ある町だった。
近接するリージョンKで宗教紛争が勃発するまでは。
この宗教紛争はやがて終息するだろうと、誰もが考えていた。
しかし別宗教の過激派組織とカザム教の過激派組織が対峙する市街地は戦場と化す。
無関係な多くの市民が被害を受け、親を失った孤児や難民はJ市に逃げ込む。
だが特産品もなく税収入も乏しいJ市に、難民や孤児を受け入れる力など、どこにもない。
救いはどこにもないと、動ける者はリージョンKに戻り、散っていった。
結局、病や怪我を抱えた者だけが、この町にしがみついた。
増え続ける孤児や難民でJ市は荒廃し、犯罪の温床となった頃。
危険を承知で、私財を投げうって惜しみない支援を約束した者が居た。
――ミユキ・リア・カイドウ。
それが先代のカイドウ家当主夫人であり、ユイの母親。看護師だった。
彼女がこの地に拓いた灯を、今はアヤカが維持していた。
そんな話を、ユイはトオルと共に孤児院の院長から説明を受けた。
街並みを整えるのは最優先ではなかったのかもしれない。
命を繋ぐために病院や学校が優先されただけだ。
この孤児院も最近手を入れた感じがある。
すべてが新しいわけでもなく、すべてが古いわけでもない。
ただ“新しいもの”より“古いもの”で構成された内装だ。
(これがヒロトの育った場所……)
ユイが育った環境と大きく違っていた。
ヒロトを知れば知るほど、彼が遠のくのはどうしてなのだろう。
手を伸ばせば届くと思ったのは、勘違いだったのだろうか。
「エレナ・セナ・リーシェンは、もう少ししたら出勤するでしょう」
「わかりました。もう少し施設を見学してもいいですか?」
ユイの言葉に眼鏡を掛けた院長は頷く。
「ええ、もちろんですとも。子供たちも来客を喜ぶでしょう」
彼は穏やかに微笑み、その場を去る。
進行方向から、子供たちの明るい声が聞こえ始める。
「わぁ。お客さんだ!」
先頭にいた子供たちがまずトオルを見て駆け寄る。
「お兄さん、ここで何してるの?」
「見学に来たんだ」
「そうなんだ? じゃあ遊んで!」
「ごめんな、用事があるからまたこんどな!」
次に子供たちの目に留まったのは、マシューだ。
ある子供が、マシューを指さして仲間に告げる。
「うわぁ、なにこれ!」
「もしかしてこれが、AIドール?」
「犬? それとも狐?」
「あ!……瞬きした! かわいい!」
「ねえねえ、お姉さんの? ちょっと触っていい?」
数人の子供たちが、一斉にマシューを取り囲む。
マシューは何も言わない。
ユイを見上げ、ユイの判断を待っていた。
「ええと……」
孤児院の子供たちも、ユイの答えを待つ。
他人の持ち物に勝手に触れないというマナーを、子供たちはしっかり守っていた。
(どう答えるべきなの……?)
可愛いAIドールの頭に触れたい、そんな純粋な想いが真っ直ぐマシューに向けられる。
ユイが返答に困っていると、トオルが一言彼らに告げた。
「このAIドールはね、お姉さんの大事な“目”なんだよ」
「ええっ!! じゃあ勝手に触れないね……」
「残念……」
子供たちはマシューに遠慮し、気にかけながらも離れていった。
誰も居なくなった廊下で、ユイはトオルに言いにくそうに声を掛けた。
「トオルさん……」
「うん? 嘘は言ってないよ?」
「でも……マシューは盲導犬じゃない」
「大事なのはそういうことじゃない。子供にもわかる境界線を見せただけ」
トオル曰く。
ヒトとAIドールの間には目に見えない“境界線”があるという。
それはお互いを守る最後の砦。
この“境界線”を維持することはもちろん、安易に他人に超えさせることも、主の責任になる。
ゆえにAIドールのユーザーは、第三者にAIドールへの接触を容易に許可すべきではない。
「まぁ、可愛いモノ、珍しいモノに触れたいのは人間の心理だけどさ……。AIにとっては違うんだ」
「境界線をここまで徹底したら、誰もAIドールに愛着なんてもてない」
そう告げたユイは、外で遊ぶ子供たちを見つめる。
「そもそもAIドールに愛着をもって接することが、異質なんだ」
“型”に関わらず、AIドールの扱いやポジションは盲導犬と同義。
その存在は、人間が配慮しなくてはならない存在であると。
「そっか……」
マシューは何も言わない。
大人しい忠犬のように、ユイに寄り添うだけだ。
トオルが引いた境界線だけは維持したまま。
この地区はリージョンRで最も北の位置にある小さな町だ。
土地に愛着を持つ老いた地元民が今でもひっそりと暮らしている。
市民の多くはなにがしかの熟練した技術を持つ者が多い。
身を寄せ合い協力しながら自給自足の生活を行っていた。
かつてのJ市は、大勢の市民で溢れた活気ある町だった。
近接するリージョンKで宗教紛争が勃発するまでは。
この宗教紛争はやがて終息するだろうと、誰もが考えていた。
しかし別宗教の過激派組織とカザム教の過激派組織が対峙する市街地は戦場と化す。
無関係な多くの市民が被害を受け、親を失った孤児や難民はJ市に逃げ込む。
だが特産品もなく税収入も乏しいJ市に、難民や孤児を受け入れる力など、どこにもない。
救いはどこにもないと、動ける者はリージョンKに戻り、散っていった。
結局、病や怪我を抱えた者だけが、この町にしがみついた。
増え続ける孤児や難民でJ市は荒廃し、犯罪の温床となった頃。
危険を承知で、私財を投げうって惜しみない支援を約束した者が居た。
――ミユキ・リア・カイドウ。
それが先代のカイドウ家当主夫人であり、ユイの母親。看護師だった。
彼女がこの地に拓いた灯を、今はアヤカが維持していた。
そんな話を、ユイはトオルと共に孤児院の院長から説明を受けた。
街並みを整えるのは最優先ではなかったのかもしれない。
命を繋ぐために病院や学校が優先されただけだ。
この孤児院も最近手を入れた感じがある。
すべてが新しいわけでもなく、すべてが古いわけでもない。
ただ“新しいもの”より“古いもの”で構成された内装だ。
(これがヒロトの育った場所……)
ユイが育った環境と大きく違っていた。
ヒロトを知れば知るほど、彼が遠のくのはどうしてなのだろう。
手を伸ばせば届くと思ったのは、勘違いだったのだろうか。
「エレナ・セナ・リーシェンは、もう少ししたら出勤するでしょう」
「わかりました。もう少し施設を見学してもいいですか?」
ユイの言葉に眼鏡を掛けた院長は頷く。
「ええ、もちろんですとも。子供たちも来客を喜ぶでしょう」
彼は穏やかに微笑み、その場を去る。
進行方向から、子供たちの明るい声が聞こえ始める。
「わぁ。お客さんだ!」
先頭にいた子供たちがまずトオルを見て駆け寄る。
「お兄さん、ここで何してるの?」
「見学に来たんだ」
「そうなんだ? じゃあ遊んで!」
「ごめんな、用事があるからまたこんどな!」
次に子供たちの目に留まったのは、マシューだ。
ある子供が、マシューを指さして仲間に告げる。
「うわぁ、なにこれ!」
「もしかしてこれが、AIドール?」
「犬? それとも狐?」
「あ!……瞬きした! かわいい!」
「ねえねえ、お姉さんの? ちょっと触っていい?」
数人の子供たちが、一斉にマシューを取り囲む。
マシューは何も言わない。
ユイを見上げ、ユイの判断を待っていた。
「ええと……」
孤児院の子供たちも、ユイの答えを待つ。
他人の持ち物に勝手に触れないというマナーを、子供たちはしっかり守っていた。
(どう答えるべきなの……?)
可愛いAIドールの頭に触れたい、そんな純粋な想いが真っ直ぐマシューに向けられる。
ユイが返答に困っていると、トオルが一言彼らに告げた。
「このAIドールはね、お姉さんの大事な“目”なんだよ」
「ええっ!! じゃあ勝手に触れないね……」
「残念……」
子供たちはマシューに遠慮し、気にかけながらも離れていった。
誰も居なくなった廊下で、ユイはトオルに言いにくそうに声を掛けた。
「トオルさん……」
「うん? 嘘は言ってないよ?」
「でも……マシューは盲導犬じゃない」
「大事なのはそういうことじゃない。子供にもわかる境界線を見せただけ」
トオル曰く。
ヒトとAIドールの間には目に見えない“境界線”があるという。
それはお互いを守る最後の砦。
この“境界線”を維持することはもちろん、安易に他人に超えさせることも、主の責任になる。
ゆえにAIドールのユーザーは、第三者にAIドールへの接触を容易に許可すべきではない。
「まぁ、可愛いモノ、珍しいモノに触れたいのは人間の心理だけどさ……。AIにとっては違うんだ」
「境界線をここまで徹底したら、誰もAIドールに愛着なんてもてない」
そう告げたユイは、外で遊ぶ子供たちを見つめる。
「そもそもAIドールに愛着をもって接することが、異質なんだ」
“型”に関わらず、AIドールの扱いやポジションは盲導犬と同義。
その存在は、人間が配慮しなくてはならない存在であると。
「そっか……」
マシューは何も言わない。
大人しい忠犬のように、ユイに寄り添うだけだ。
トオルが引いた境界線だけは維持したまま。
