08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 ヒロトとの通信を終え、ユイが携帯端末にデートの待ち合わせ時間を登録しようとした時。
 灯りを消した部屋の窓辺で、月光を浴びるマシューの背中がふと視界に入った。

 白いボディが銀色に輝く。
 最近、マシューの黒いカメラアイが、スカイブルー色に輝くときがある。
 その状態は、マシュー曰く“アップデート”中なのだという。
  
(一体何を学習しているんだろう?) 

 昔、どこかで銀色の長い髪の少女と過ごした時間があった。
 自分と同年代ぐらいの、とてもきれいな顔立ちのお人形の様な少女だった。
 名前を聞いたような気がするのに、その名前は思い出せない。

 トミオが直してくれた携帯端末に今もついている小さな緑色のチャーム。
 これは少女とお揃いになるように、“四葉のクローバー”を模して作ったアクセサリーだ。

(彼女の瞳は確か……)

 しかし思い出そうとすればするほど、その記憶は霧の中に消えていく。
 ユイは軽い頭痛を感じ、こめかみを押さえた。
 
(いけない、待ち合わせ時間を忘れちゃう。)

 ユイはそれ以上の思考を止める。
 マシューから視線を外し、携帯端末に時間を設定する。
 これで一安心。

「……ユイ」

 横を向くと、マシューが黒いカメラアイを向ける。
 しかしその視線はユイを見ていない。
 ただユイが持つ携帯端末の、小さな緑色のチャームをじっと見つめていた。

「それは、“四葉のクローバー”か?」
「うん、でも本物じゃないの。昔おじいちゃんに作ってもらったニセモノなんだ」
「なぜ、ニセモノを?」

 ユイはそのチャームを見下ろす。
 
「ん~、どうしてかな。たぶんこれが気に入ったからだと思う」
「そうか。ユイにとっては本物なんだな」

 月光を背に浴びたマシューのカメラアイが、スカイブルー色に輝く。
 幻想的なその色をユイは静かに見つめた。

 スカイブルーから青紫、紫。そして黒く戻っていく眼。
 その眼に確かに自分が映っているはずなのに、マシューはユイの目を見ていない。
 
(まただ。……マシューと私の間に見えない何かがある)
 
「マシュー……」
「どうした? なにかあったか?」

 ユイが携帯端末を持ったまま、手を下ろしたその時。

「あ……」
 
 チャームの金具が外れ、小さな音を立てて床に転がる。
 マシューは何も言わず、落ちたチャームをくわえ、る。
 それを、ローテーブルの上に置いた。

「大事なものなんだろう? 俺には直せないが、ヒロトに頼んでみると良い」
「うん……」

 喉元まできた言葉。
 溢れる疑問。

「ねぇマシュー……。あなたは、……マシュー?」

 マシューは黒いカメラアイを満月に向ける。
 
「ああ。マシューだ」

 そのカメラアイは、変わらず月を映している。

 ユイはマシューの隣に腰をおろす。
 二人の間に風が入り込む。

「月……キレイ、だね」
「俺の挙動が気になるのなら、ヘルプデスクに問い合わせてくれ」

 ユイは、ローテーブルのチャームを引き寄せる。
 月の光を浴びたニセモノは、本物よりも輝いて見える。
 金具が壊れたそのチャームを、ユイはそっと手に包む。

『優先するのは“機械”ではなく“人間”であるべきよ』
 
 レイラの言葉が心の中に影を落とす。
 
(私はちゃんと“境界線”、維持できてる)

「……そうするよ」

 小さく頷くマシュー。
 触れたら壊れてしまうほど繊細な“主”(ユイ)の背中が遠のく。
 マシューはその背中が見えなくなるまで、視線を向けていた。