08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 目が覚めると、そこは明るい室内。
 白衣を纏った男性が、ベッドの傍に控えていた。
 のんびりした口調、穏やかな青い目。
 ユイは記憶の中の、若かった頃の主治医の姿を思い出す。

(彼は確か……)
 
 ーーアルバ・ジョイ・ロレン。精神科の医師だ。

「……もしかして、ロレン先生?」
「そう。久しぶりだね。ユイちゃん。大きくなって」
 
 彼によるとここはリージョンR、M市。
 あのコンサートホールから離れた区画にある、ロレン医師の自宅のようだ。
 
「マシュー……?」

 ユイが目を開けたのを確認して、マシューは充電盤の上に乗り、眼を閉じた。
 
「ここは……?」
「君は発作を起こして倒れた。リーシェン君がマシューと一緒に連れてきてくれたんだ」

 マシューの検索とヒロトの医者の心当たりが一致したのだとか。
 
「妻を呼んでくるよ」

 ロレン医師はユイに水の入ったグラスを渡し、部屋のドアを開いた。

 ー※ ー 
 トレーを持って部屋に現れたのは、昨日の音楽フェスの舞台でソプラノのソリストをつとめた女性――
 レミ・イナ・ロレンだった。

 (きれいなひと……)

「あなたがリーシェン君の運命の人だったのね」
「運命の人? ……違います」

 キッパリと否定するユイの剣幕に、レミは少し苦笑しながらトレーを置く。
 目に飛び込むのは鮮やかな赤。湯気が立ち上り、トマトのよいにおいが香ってくる。
 温かいうちにと進められたのでスプーンを手に取る。

「おいしい……」

 ふと思い出す。前にも味わったことがある、懐かしい感じ。
 子どもの頃、ロレン先生にお世話になった時だ。そうか、あの時の。

「ちょっとだけ……、昔話を聞いてくれる?」
「……はい」

 レミはイスに腰を下ろし、右足のソックスを少しだけ下げる。
 肌色だが、ゴムのような質感。ーーーー義足だ。
 
 22XX年3月15日。忌まわしき大惨事。
 レミは当時まだ学生で、恋人と共に平和式典に参加したという。
 そしてグライゼルの襲撃によって恋人を失い、彼女もまた右足を失った。
 そんな時出会ったのが、歌だった。
 
「AIドールを持てなくても、こんな足でも、前に進みたかった」
 
 だから歌に生涯をかけようと思った、と。

「強いんですね。私にはそんな……」
「あなたも、失ったのでしょう? あの時」
「……」

 レミはソックスを戻し、うつむく。
 それからそっと目を閉じ、微笑む。

 流れる時間。あの時のことを思い出すと誰もが悼む。

「ごめんなさいね」
「……ありがとうございます」

 着替えをベッドサイドに置き、レミは部屋のドアに向かう。
 そこでふとレミは立ち止まり、振り返った。

「もしよかったら、あなたも歌ってみない?」

 ユイが負担に感じないように、レミは遠慮しがちに声を掛ける。
 
「もし興味があれば。深く考えないでね?」

 ユイの反応を見てレミは、静かに部屋を退室する。
 湯気が消えた赤いスープを口に運ぶ。それでも温もりは消えていなかった。